神保町のスケール

久々に、秋葉原から神保町までを歩いた。
6月にしては真夏ぶっている、太陽のまっすぐな日差しが肌に痛かったけれど。

こんなふうに肌をジリジリ焼きながら、のんびりと歩いたのはいつぶりかな、と思いながら缶ビールを片手に懐かしく見渡していた。

はたと、すずらん通りの入り口あたりで猛烈な違和感に。

神保町のまちなみが変わった。
5年ほど目を離したすきに。
(もちろん、ニュースでは見聞きしていたんだけども)

まず靖国通りに堂々たる三省堂が無く、歯抜けになっている。
なんだか、ザルで旨味を濾してしまったような。消しゴムで記憶を消してしまったような、別のまちに来たような感覚を覚える。

ガラス張りのビルが増えたなぁ。

スイートポーズも、ミロンガも、いもやもないのか。なんて無いものばっかり探してしまうが、目当てで神保町に来ていたお店が無くなったのだから仕方ない。店主の顔が思い浮かぶだけに懐かしく切ない。ブラッセルズはあったかなぁ。

個人商店の集積が、まち、という感覚。
個の集合体がまち、という感覚がこのエリアになぜかあったなぁ。お店の力だったのだな。表参道や青山とはまた違う、そのまちに適切で背景のある縮尺やスケールみたいなもの。

きっと、そのスケールを崩してしまうと一気に違和感が増す、という気持ちを最近よくいだく。

木々の大きさや量、道の幅、建物の高さという測れるもののほかに、
風の通り方、におい、
人の密度や、濃度、商いの大きさ、みたいな目に見えないけどもエネルギーを感じるものというのが、まちにはあるんだろうな。

そういうものを大切にした仕事がしたい。

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