kinako

文化的なものごとに垂涎。

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最近の記事

友達以上恋人未満、家族以上自分未満

大切な人ほどいつまでも身近に置いておきたいという隠れた欲望を感じる人に出会うことがたまにある。 そうだよな。 いまの付かず離れず、ソウルメイトのような関係は、 恋人と定義してしまうと、別れないことが関係を続けるひとつの暗黙の条件になってしまう。 さらに、ひとっとびで、夫婦という関係性においてしまうと、日本の婚姻制度や世論にのっとると、急に「他人同士の共同体」という不思議な雰囲気にケムに撒かれるような気さえしてしまう。 あぁ、この人とずっと一緒にいたい、それが叶うのが「

    • 数字はマジックではない

      センスのある解析ってなんだね。 数字の取り扱いは、気が抜けない。 インパクトを与えるし、自分の思い込みでこねくり回せてしまう。 まず表現手法をまちがってはいけない。 そして、わかりにくくても意味がない。 数字を受け付けない人には、翻訳しなければならない。 あいうえお、の一文字ずつの間に見えない計測タグの仕込みが必要なシーンもある。 新しい文法や言語を取得し、翻訳するような気分。 翻訳、というものの意味合いの深さに気が遠くなる。 言葉の言い換え。 文化と文化をつなぐ。

      • 親が親になるということ

        子供にまつわる悲しいニュースが、歳をとり、子を持つにつれ、いちばん心がギュッと苦しくなってしまうものになった。 耳をふさいだり、目を逸らしたり、そっと画面を落としてしまう。 我が子をみていると、この今の環境がすべてで、100%であって、外にはもっと素晴らしい世界が広がっているなんて興味もないと言った感じ。 今の親を愛してくれている、愛そうとしてくれているのを痛いほど感じる。 そんな、子供に甘えてはいけないな。 親は親になる努力、家庭をつくる努力をしないと、親にもなれ

        • 神保町のスケール

          久々に、秋葉原から神保町までを歩いた。 6月にしては真夏ぶっている、太陽のまっすぐな日差しが肌に痛かったけれど。 こんなふうに肌をジリジリ焼きながら、のんびりと歩いたのはいつぶりかな、と思いながら缶ビールを片手に懐かしく見渡していた。 はたと、すずらん通りの入り口あたりで猛烈な違和感に。 神保町のまちなみが変わった。 5年ほど目を離したすきに。 (もちろん、ニュースでは見聞きしていたんだけども) まず靖国通りに堂々たる三省堂が無く、歯抜けになっている。 なんだか、ザル

        友達以上恋人未満、家族以上自分未満