友達以上恋人未満、家族以上自分未満

大切な人ほどいつまでも身近に置いておきたいという隠れた欲望を感じる人に出会うことがたまにある。

そうだよな。

いまの付かず離れず、ソウルメイトのような関係は、
恋人と定義してしまうと、別れないことが関係を続けるひとつの暗黙の条件になってしまう。

さらに、ひとっとびで、夫婦という関係性においてしまうと、日本の婚姻制度や世論にのっとると、急に「他人同士の共同体」という不思議な雰囲気にケムに撒かれるような気さえしてしまう。

あぁ、この人とずっと一緒にいたい、それが叶うのが「友達」というカテゴリーなのかなと思ったりしている。

たとえば、我が母も、学生時代からの男友達と70歳超えてもLINEをやりとりしている。一度縁談をすすめられたり、「あなたはてっきりあの人と結婚すると思っていたわ」と周りから言われていたわ、の関係性。

私にはそういう人が居ない。

正直、そんな人に出会えて、そう置いておける我慢ができるのが、羨ましい。
ある意味それって、もう相互に浸りあう関係性プレイなのでは?とさえ感じてしまう。

あんかけ焼きそばの最後に残していたうずらの卵を、ずーっと口の中で転がしているような、甘美なプレイと思ってしまう。

友達も少ない私は、人との距離感が、家族レベルかそれ以外か、くらいの二者択一だと、何人めかの彼氏を経て気づいた。

つまり、すぐ手が出てしまうのだ。それか、物は試しとバッタバッタと切り捨てる侍か傷つくことを恐れないチャレンジャーか。はたまた、よく考えないだけの人か。

そういう「永遠の友達」が欲しいと思うか。
…私には不要なだけかもしれない。

なぜか。家族の絆が固く、心の拠り所があるからそうした存在を作らずともいいのか。

何か違う気がする。圧倒的に自分本位なのかもしれない。孤独が好きとも違う。または、圧倒的な孤独をまだ感じたことがないだけかもしれない。

では、そのような人は、圧倒的な孤独を抱えているからこその行動なのだろうか。そうであるなら、その人のその孤独ごと認めることが、その人との私の付き合い方なのかもしれないな。

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