不妊治療に続いて分娩も公的保険になるのか?【長文コラム】

0.はじめに

このコラムでは、分娩に関わる費用・コストの問題について、主に2026年をめどに医療保険を目指しているという点について書いています。

1.国家予算での補助から社会保障費での医療保険に変化した生殖補助医療

 2022年4月、長らく不可能と考えられてきた不妊治療、正確には生殖補助医療が保険適応となりました。これまでは各医療機関が価格を設定して行う自由診療であったのに対して、保険診療として厚生労働省によってこれらの医療行為に対して保険点数が定められ、医療行為に対しては全国一律の金額で行われます。元々、採卵・体外受精には社会保険ではなく税金が財源となっていた特定治療支援事業の中で補助されていました。体外受精に対しては平成16年より10万円、平成27年度より30万円を1回の採卵・体外受精サイクルに対して補助するものでした。年齢制限・回数についても40歳未満では6回まで、43歳までは3回まで補助するというものでした。全体の予算額としては370億円。医療費をわかりやすく説明することは困難を極めますが、採卵では3,200点(1点x10円ですので32,000円)、体外受精には4,200点が設定され、これに胚の数、顕微受精の有無、胚盤胞まで培養する、などで各種加算が加わります。また、これらに関わる薬剤についても保険の対象となりました。

2.生殖補助医療の保険化で何が変わったのか?

 2021年に当時の菅首相の強烈なリーダーシップから、「保険診療になったので自費だったものが安く、多くの患者に届く」という認識の報道が多くなされました。しかし、関係者としては上にあるように、元々補助金があったものが医療保険になることで、まるで70%割引のような自己負担の下落が起こるのか?と、懐疑的でした。1回の金額が高いように報じられる体外受精が生殖医療の全てと思われがちですが、これまでは補助金もあり、単純な自己負担では大きな変化はないように思えました。しかし、不妊症かも?と思っても不妊治療に向かう際に、体外受精の金額以外に思わぬ壁となっているものがあります。
 一つ目はスクリーニング検査と人工授精です。スクリーニング検査はそもそも卵管が通っているかを調べる子宮卵管造影やホルモン値の測定と言った元々保険診療で賄われていたものから、AMHや不育症スクリーニングのように自費診療で行われていたものもあります。人工授精については、自費で、補助金もありませんでした。これらが保険適応となったことは若年で一般的な不妊治療で妊娠可能な、いわゆる「軽症の」不妊症患者にとっては大きなメリットと思われます。おそらく医療上はこの変化が最も大きかったのではないかと思われます。
 次に、価格の標準化です。厚生労働省の設定する薬価や保険点数により、価格が全国一律になり、その制限回数や適応に至るまで標準化されました。ここ標準化を行うために過密スケジュールの中、生殖医学会はガイドラインを発行しなければならない事態となりました。どのような患者にどのような治療を行うか、適正と考えられる基準を設けて、それに逸脱するようなケースには保険を適応しないということで、高額な医療の濫用を防ぐことができるようになりました。
 さらに日本政府の姿勢を示すことができました。これまで自由診療であったため、美容形成医療と同様に「不妊症は病気ではない」という概念がコンセンサスとして蔓延っていましたが、生殖医療を保険適応としたことで、政府を通じて世論として子育て世代を支えていくこと表明することができました。これを正論とすることを可能にしました。困難を抱える人たちの支えとなるのが社会保障です。建前として「生産世代の味方である」ということと、国家予算の中の370億円を社会保障費に替えることで圧縮することに成功したと言えます。

3.分娩の料金の基本

 分娩の取り扱いは旧来自費でした。これは分娩は医療ではなく、いわば文化であったからです。日本では昭和の前半までは分娩の場所の多くは自宅でした。1960年代では90%、1970年代までは半数が自宅で分娩していました。家族がお湯を沸かし、産婆(助産師)を自宅に呼び、一つの文化としての分娩がそこにはありました。分娩の主戦場が病院やクリニックに移ったのは1980年代になってから。これにより劇的に変化したのは妊産婦の死亡率です。1960年代の半ばまでは1000分娩に1回妊婦は出産で命を落としていました。今も昔も妊産婦の最大の敵は出血です。分娩のイニシアチブが産婆から医師に移行したことにより、陣痛が発来したのちに点滴をし、子宮収縮剤を準備して、場合によっては輸血や子宮摘出を行い、妊娠中毒症に対しては血圧を下げたり、人工早産を行うことによって、1980年には妊産婦死亡は 10,000分娩に1件程度となり、2020には100,000分娩に数件まで低下させることを可能にしました。安全神話たる所以です。超音波検査装置や分娩監視装置としての胎児心拍陣痛図が一般化したのも1980年代に入ってからで、現在のいわゆる産科診療の形態となってからは、まだ40年程度の歴史でしかないわけです。
 さて、「分娩はお金がかかる」という考えの「お金」とはいったい何を指すのでしょうか?一般的には陣痛がきて出産し、退院時に請求される費用のことです。妊婦健診については「補助券」と呼ばれる母子手帳に付属している1回5千円から1万円程度の補助で賄われており、健診の14回分が数百円から数千円程度の自己負担で、クリニックによっては無料となるケースもあります。分娩時の費用はどうでしょうか?分娩の費用の正体は「分娩料」と「分娩介助料」それから「新生児介甫料」です。
分娩料とは「正常分娩(分娩が全く療養の給付にならなかった場合)であった時の用語で、医師の技術料+分娩時の看護料を総称したもの」です。具体的には、陣痛室・分娩室の使用料、内診や分娩監視装置の手技・判読料など分娩に関わる様々な資材・手技に対しての対価です。これらは「正常」分娩であるが故に、医療保険の対象外です。
 これに対して分娩介助料は分娩時に異常が発生し、鉗子娩出術、吸引娩出術、帝王切開術等の産科手術およびこれに伴う処置等が行われ、入院、産科手術等が医療保険の給付になった場合の助産師による介助、その他の費用の自費請求上の用語です。具体的には助産師らによる分娩前の母児の監視、新生児の顔面清拭、口腔・気管内の羊水吸引、臍帯処理、沐浴等、分娩後の母児監視の費用であり、さらに鉗子娩出術、吸引娩出術の際は会陰保護の費用も含まれます。これらは療養・療育上必要であるにもかかわらず、保険点数の設定がなく、かつ正常分娩に際しても行われる処置のため、単純に異常分娩となった入院費を医療保険のみで請求すると異常分娩の方が極端に安くなってしまうことを防ぐための料金設定です。
 新生児介補料については、様々な呼び方がありますが、新生児はこれまた病気ではないものの、病院にいる間は夜間の授乳や検温、監視などを看護師・助産師が行う場合がほとんどです。特に大きな病院であれば、設備と管理上のリスクから分娩直後から母親に完全に一任しません。一方で、例えば黄疸や軽度の呼吸障害で入院となる新生児がいます。この子たちは治療が必要になった後は医療保険の給付により、小児科医療としての入院治療に関わる請求が可能になります。一方で正常新生児は無料というわけにはいかないので、新生児介補料として請求しています。
 上記の3つに加え、部屋代・食事代など、分娩時間によっては時間外加算、無痛分娩などを行えば、その料金が加算され、日本の平均値としては538,263円(2021年)となっているそうです。このうち出産育児一時金により現在では50万円が病院に直接支払われるため、平均で約4万円の自己負担ということになっています。もちろん平均の価格ですので、自己負担がなかった方も、10万円もしくは無痛分娩などで30万円程度かかった方もおられると思います。また、双子などの多胎の場合は子どもの人数分の分娩料や分娩介助料の請求があります(一時金も人数分ですのでご安心を)。出産育児一時金は全体で3,827億円であり、その財源は社会保険料と一部地方交付税が使われています。
 ここまで述べました分娩料、分娩介助料、新生児介補料はこれ以上に分類しようとすると多数の細かな金額設定が必要であり、加えて現場であれはやった、これはやってないなどチェックするのは不可能なため、ひとまとめにして、食事代やミルク代などとは別に請求することは合理的ではあります。

4.産科診療の保険化への経緯

 産科診療の保険化が提案され始めたのは、少子高齢化がきっかけです。2021年12月の社会保障審議会で大きく世に出てきたと思われます。この中で、出産育児一時金について増額することが決定されて、その内容について以下のように検討されています。2025年には団塊の世代が全て75歳以上となり、それを支える世代はさらに減少していく中で社会保障の変革が求められています。その中で、後期高齢者医療制度の見直しと、人口減に対する措置として出産育児一時金の大幅増額が決定されました。喫緊の課題である少子化対策として、分娩をその費用を理由に躊躇することがないように、平均約54万円の分娩費用に対して、それまでの42万円から50万円に増額することは妥当でした。一方で、社会保障として支える上でその費用自体が適正かどうかは現状では困難であり、「分娩費用の見える化」により妊婦さん自身が分娩施設を決定したり、第三者により評価可能にするべきである、としました。2023年に出産育児一時金は無事に50万円に増額となりました。後期高齢者医療制度を見直し、高所得の高齢者の自己負担額を増加させ、再分配したことは評価できると考えます。
 そして、この議論の中でこれまで自由診療として各医療機関に一任されていた分娩の費用の公正性について言及されることとなったのです。出産育児一時金の増額に伴い、各医療機関が分娩代を増額することに対して、どの程度が適切なのか、医療機関で異なるのであれば、価格や診療内容を妊婦さん自身が精査・比較して、選択可能にするべきとしました。ハイリスク妊娠・分娩を取り扱う病院から、一般のマタニティクリニック、助産院まで同じ価格というわけにはいきません。さらに、同じ病院やクリニックという区分でも、特に麻酔対応の可否によってはできる医療に差が出ており、それらが同じ分娩費用というのは公正性に欠けると考えられます。つまりまともに医療を行うと損をする構造になりかねないのです。
 これらを市場の原理に従い、適正価格を決定させるとどうしても一律の負担とはならず、地域や医療機関によって差が生じてしまいます。これを一時金や助成金という形ではなく、保険点数という校正とされる価格の設定により、高騰する分娩費用を抑制するというのが保険化の目的です。加えて比較的標準となった無痛分娩についても保険化を目指しているとしています。論調からは自己負担分は何らかの助成金を創出するものと思われます。

5.分娩費用を保険化するメリット

 厚生労働省の言う価格の適正化は可能になると考えます。個人の負担も減少し、予算自体も圧縮はできませんが、今後出産・育児一時金として補助を行い続けた場合、医療機関が設定する分娩費用が無尽蔵に増え続けることを防ぎます。ただし、そもそもの医療費(=保険点数)自体が日本は安いということは間違いないことで、分娩に関してもアメリカでは300万円程度の請求があります。医療保険でカバーされるという違いがありますが、欧米など同じような医療水準でも、自己負担はないかもしれませんが、病院が分娩によって得る金額自体を見ると日本は圧倒的に安いのです。加えて日本の周産期死亡率と新生児死亡率は世界で最も低いことも申し添えます。周産期医療はそのシステムで予後が決定します。日本はいつでもどこでも安い値段で標準的な医療にアクセス可能なシステムを構築したことで、妊婦・新生児にとって世界一安全な社会を形成しています。
 筆者が最もメリットがあると考えるのは、生活保護受給者の分娩費用の取り扱いです。出産育児一時金は社会保険や国民健康保険など健康保険に加入している方に支払われますので、生活保護受給者には支払われません。では、彼らはどのように分娩費用を賄っているのでしょうか?生活保護受給者には「助産制度」や「出産扶助」が適応されています。これらの制度は経済的に困窮した世帯の妊婦に対して、妊娠・分娩に関わる費用を補助する制度です。金額に制限があり、基準額が25万円で最大40万円までと、一時金よりも低く設定されています。生活保護受給者のみでなく、DVや望まない妊娠であったものなどにも適応があります。上述の分娩費用の全国平均に届かず、フランス料理の出るような分娩施設では当然自己負担が発生してしまいますので、助産施設として指定されている主に公的な病院や助産院での出産を指定されます。ここで問題となるのは、ハイリスク妊娠です。例えば早産児は特に在胎34週未満の早産児は必ず新生児集中治療室(NICU)での管理が必要になります。その予後は感染の有無はもちろんですが、NICUへのアクセスの良さ、つまり生まれてから小児科に入院するまでの時間と距離は短いほうが良いとされます。そして、NICUと一言で言っても、週数や体重次第では管理が困難な早産児もいます。また、重症の精神疾患や心疾患などの母体合併症もいくら産婦人科として充実していても、併診する診療科がなければ安全に管理はできません。このような場合、各科が揃っている総合周産期母子医療センターでの妊婦健診や分娩となりますが、地域によってはその総合病院が助産施設の対象となっていないことがしばしばあります。医療保険加入者が出産育児一時金で補助され分娩するよりも、生活困窮者の方が自己負担額が高額になり、未払いとなったり、未受診になり最悪の結果を招くこともあります。この問題は分娩費用が医療保険の対象となることで解決します。医療費である以上生活保護世帯に自己負担は発生しなくなるからです。生活保護制度は悪意を前提に批判もされますが、実際に社会的に困窮した妊婦に接するとこの問題の解決は急務だと考えます。

6.分娩費用を保険化するデメリット

 医療保険となる上でデメリットもあります。利用者側の立場では、サービスの削減でしょう。分娩が医療であり、保険点数での定額となれば、アメニティや食事はわかりやすい例です。医療法人が物販などの医療以外のサービスの提供を行う場合は、場所が病院・クリニックの建物内であり、患者への医療の提供や療養の向上を目的としていなければいけないという決まりがあります。これまでのように、アメニティの料金を分娩料内に含めることができなくなり、かと言って追加料金でサービスを行うということが出来なくなります。ヨガやマッサージなどもグレーであり、あえて院内で行う医療機関も減るのではないかと思います。
 わかりやすい妊婦さんたちへのデメリットはこれくらいですが、医療機関へのデメリットは間接的に一部妊婦さんたちにとってデメリットとなるでしょう。そしてこれこそが最も大きく変化することと思います。分娩の医療保険化によって、分娩は集約化すると考えられます。これは今後生殖医療にとっても同じことと考えられています。今まで一見同じようなものとされてきた医療に点数差をつけることで、小規模の分娩取扱施設の方が高額で、大きな病院の方が安価であるという不均衡が解消されます。このことが小規模分娩施設の経営を直撃すると考えられます。
 具体例を挙げます。
①初産の28歳の妊娠39週の妊婦さんが陣痛でかかりつけクリニックに来ました。15時の入院時の見立てでは6時間後くらいに分娩になると予想されました。その後陣痛がやや遠のき、微弱陣痛と診断されて、陣痛促進剤を使用しました。日付が変わって1時頃、分娩監視装置で胎児が元気がないと判断されて、帝王切開術を行うことを決定し、産婦人科医が自分で麻酔をかけて(自家麻酔と言います)1人で帝王切開を行い出産させました。新生児は助産師のケアにて軽度の呼吸障害があり、保育器に入り、酸素を投与され、24時間後には診察で問題ないとされました。
②初産の28歳の妊娠39週の妊婦さんが陣痛でかかりつけのクリニックを受診しました15時頃の入院時の見立てでは6時間後くらいに分娩になると予想されましたその後陣痛がやや遠のき、微弱陣痛と診断されて、陣痛促進剤を使用しました。日付が変わって1時頃、分娩監視装置で胎児が元気がないと判断されて、帝王切開術を行うことを決定し、非常勤の麻酔科医により硬膜外麻酔と脊椎麻酔が行われ、待機の産婦人科医を呼んで2人で帝王切開が行われ、胎児機能不全が疑われたため、1人の医師は帝王切開術を継続して、もう1人の医師の診察のもと、保育器収容・酸素投与開始の指示を受け、24時間後の診察により通常の管理で良いと判断されました。
 ①と②は結果的に全く同じ診療を行っています。どちらもよくある「分娩中に赤ちゃんが元気がなくなって帝王切開になりました」という経過です。どちらも帝王切開に関わる医療行為は入院時から遡って保険診療になります。これに加え、分娩介助料が自費で算定されます。赤ちゃんを入院とするか、養育の範囲とするかは病院によります。麻酔科医を呼んだか、帝王切開を何人で行ったか、ということは加味されません。つまり、医療資源にこれだけの差があっても規定の料金しか取れないのが現状の自費+保険医療です。常勤医師の有無や麻酔科医の対応の可否といった、何もなければ不要であるが、万一の時の備えに対してどの程度投資ができるか?ということが加味されないのです。医療保険では「分娩の見える化」を元に、この辺りの準備に対して点数差をつけることができるのであれば医療保険に変える意味が出てくると考えます。このため、月に2-3回程度しか予定外の緊急帝王切開を行わないような小規模医療機関では投資に回す資金がなく、数回の出番のために麻酔科医を雇用できるほど麻酔科医の人材に溢れているわけではないため、分娩を集約化する必要性が出てきます。結果として「近所にある小さなクリニック」は減少していき、分娩は大きな病院でという医療としては大変効率の良いシステムになっていくと考えています。すでに神奈川県など一部の地域ではそのようなシステムになっており、セミオープンシステムと呼ばれています。
 神奈川県のような都市部であれば、利便性が極端に低下することはないのですが、地方では悲惨で、すでに近隣の分娩施設まで1時間以上かかる地域など九州や四国、東北ではザラにあります。この小規模クリニックの淘汰が結果的に未来の妊婦さんたちへのデメリットとなるかもしれません。医療の安全という意味では集約化した方が安全であることは、言うまでもありません。

7.総括

 分娩を医療とするためには人材という資源の問題とその確保のためのコストがネックとなります。待機児童はゼロになったがそんなに遠くの保育園には預けられないという問題と同じように、安全で校正な金額の産科医療体制は構築したが、そんなに遠くの医療機関には行けないという同じ悩みが出てくるかもしれません。一方で保険点数を設定することで、内容がよく見え、その医療が適切だったのかという振り返りもしやすくなるというメリットも挙げられます。
 分娩の医療保険化に向けて、「妊婦自身が選択できる分娩」を政府は推奨しています。現状では全体として世界最高水準の周産期医療を提供している日本においては、システムや体制が改悪することなく、医療保険への移行がなされることを切に願っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?