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緑の卵とハム考察 11話に登場した絵画の謎編

最近、Netflixで『緑の卵とハム』を見るのにハマっている。

いやぁ〜第10話ラストは衝撃だったですね〜ドクター・スース原作キャラにこんな闇があるキャラクターいたっけってなりましたよ。布教用記事は後日作成するとして、

今日は第11話に登場した絵画に対する考察を述べていきたいと思います。


10話以降のネタバレ注意!!!!!!!!!!







まずこちらの画像を見ていただきたい。

画像1

スクショができず、画面をスマホで撮影した画像で申し訳ないがこれが問題の絵画である。

前回(10話)でサムの過去が明らかになり、そしてスナーズ側であった事が示される、どんでん返しの展開を踏まえた上で視聴者は11話を視聴した上で、ここにミケランジェロの作品 『アダムの創造』のパロディと言える絵画が登場した。

・アダムの創造 とは

この作品はシスティーナ礼拝堂の天井画のフラスコ画であり、天井のほぼ中心に描かれて居る。描かれているのは地球上のすべての生き物を想像した神が最後に人間であるアダムに魂を入れる場面だ。神は多数の精霊達を引き連れている。システィーナ礼拝堂の作品は天地創造、アダムとイブ、ノアの物語、そして正面にはミケランジェロ晩年の傑作、最後の審判が描かれており、礼拝堂一つで聖書の物語の初めから終わりを閉じ込めた作品となっている。

画像3

(資料出典『週間美術館 21 ミケランジェロ ラファエロ』 2000年発行 小学館より)
ミケランジェロは、筋肉の美しさを表現するのが特徴的であった為、アダムの姿は胸板が厚くたくましく描かれている。そして命を吹き込む神の姿も布の上からでも解るぐらいにたくましく描かれている。そして、手は今にも触れそうなところで止まっている。
この作品群は最初ミケランジェロと弟子達によって描かれていたが、やがてクオリティに満足しなかったミケランジェロは彼らを全て辞めさせ、残りの前半部を1人で描いた。その為、構図が大胆となり、背景に何も描かれていない作品となった。

・一方、緑の卵とハムでの『アダムの創造』


先ほどの文章を踏まえた上でもう一度この画像を見ていただきたい。

画像2

サムがアダムとして、ガイが神としてそしてキリンドリが精霊として描かれている。
先ほども述べたように、アダムの創造は神が作った人間に魂を入れる瞬間を描いたものである。だが、サムは生まれたてのアダムのように純粋無垢な人間ではなくもう幾多にも罪を重ねている人物である。そして、ガイは神のように完璧な人物ではなく何を発明しても失敗に終わる落ちこぼれである。キリンドリは絶滅危惧の貴重な動物であり、言葉は喋れないが純粋無垢な存在として描かれている。この絵画を最初ん見た多くの人々はなぜ、ガイがサムに新たな魂を吹き込んでいるのか?そこを疑問に思うかもしれない。私も初見ではそう感じた。ガイはサムによって人生を切り開くことが出来たはずなのに。アニメを観ていくと、その理由はわかるが今回は簡単にその理由を述べさせてほしい。

・なぜガイがサムに命を吹き込んだのか?

このアニメは落ちこぼれで人生を諦めかけていたガイがサム達と出会い冒険していくことによって人生に希望を見出す話ではない。
実は 孤独で闇を抱えている少年サムを落ちこぼれの中年男性ガイが救済する物語 なのである。
その為、この作品におけるアダムの創造のパロディはサムに新たな命つまりは明るい方向に生まれ変わる、ガイやキリンドリと共に という主題である。
第11話の冒頭にこの絵画を登場させた理由はこのアニメが急展開を迎え、作品のテーマを視聴者にこっそりネタバレさせるための舞台装置であったと考えられる。

・では、なぜガイの両親がこの絵画を描いたのか?

最後に一つだけ大きな疑問が残る。それはこの時点ではサムの事情を知らず、彼らがどんな状況にいるのかがよく判っていない。ガイの両親正確には母親?がこの絵画を描いたのかということだ。もちろんこの作品に秩序などは存在しない。全てはドクター・スースの想像の世界だからである。
だが、二つの説をここに提示したいと思う。
1 直感で描いた説
2 サムの孤独な闇を見抜いていた説
 だが、これらの説を証明できる描写は作品には登場せず、立証は今の所不可能であることから、提示して終わることにする。

だが、本作は第2期の配信が確定しているのでそこで何かしらの情報を得られることを期待したい。


・最後に
なんで、子供向けの作品のパロディでガチ考察やっているんだろう….
まあ、面白いので緑の卵とハム見てください。




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