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「 」

先日、“関西エンタメ会議”なるイベントに登壇させてもらった。

その時に、少し口を滑らせた。

「このプレゼン内容は、あくまで教育的課題を発端につくった。ボク自身スゴく共感する部分だし、未来を見据えた際に説得力もある。でも、これはボクの体験じゃない。原体験は、別にある。」

と。


仕方ないじゃないか。

空きっ腹に、ハイボール。

酔わずとも、饒舌になる。


いや、言い訳はやめよう。

本当は、その話をするつもりだった。

その話をしなければいけなかった。


それは、自分のため。

自分が前に進むために忘れちゃいけないものだと実感したからだ。


ここからは、ボクが「どうして教育に没頭するのか」を話していく。


聞いて欲しかった。

ボクの父は、バツ2だ。

現在は、父子家庭という形に落ち着いている。


片親だから自分は不幸だなんて思ったことは一度もない。

父は、生き方としての“芸人”だ。

お金にならなくても自分のやりたいことを仕事にし、それをボクに見せ続けた。

ボクは、父の生き方を誇りに思う。


話を戻そう。

ボクの母は、父の1人目の結婚相手である。


ただ、この両親はどうやら仲が悪かったらしい。

ボクが生まれる以前から、何度も離婚話が浮上したそうだ。


その時、ボクが生まれた。

両親の離婚話は、子育ての苦労の中で流れたそうだ。


父は仕事柄外出が多い。

働く時間も不定期なため、結果ボクと母の2人きりな時間がほとんどだった。


母は、ボクへ期待を募らせた。

そして、何より「手が出る」タイプだった。


水泳をさせられた。
(帰りの車で反省点を怒られる。)

母の目の前で文字の練習をさせられた。
(母が納得のいく字になるまで。宿題は「ノートに同じ字を一行」なのに、母が納得しなければ容赦なく消しゴムで消される。)

母の目の前で進研ゼミを解かせられた。
(途中式も中心軸がブレていると書き直し。)

通信英語教材をやらされた。
(ヘッドホンマイクを使って話す教材。発音が違うと徹底指導。)

百マス計算ソフトをやらされた。
(タイムトライヤル式)

右脳パズル教材をやらされた。

バスケをやらされた。


母は、1人で気負っていたのかもしれない。

当時の家は母の実家で、祖父による苦情も毎日絶えなかった。


怒鳴られ、殴られ…。

ボクが人間不信になるのも当然の流れだったように思う。


小学生になって2、3年が経った頃。

父の仕事が安定し始めた。


以前から父もいろいろ思うところがあったのだろう。

ボクを暗い家から連れ出して、仕事に連れ回すようになった。


そこで、様々な大人に出会った。

やりたいことを楽しんでいる大人。

自分の目を見て話してくれる大人。

子どもと一緒になって考えてくれる大人。


「かっこいい」

素直にそう思った。


「こうなりたい。」

そう思うのに、時間はかからなかった。


そこから数年は、我慢した。


母の期待にある程度応えて、ミスをしたら嵐が過ぎるのを顔をうつむいて待つ。

父が連れ出してくれる休日を楽しみにして。


小学5年生の夏、離婚が成立。

どうやら父は、ボクに「両親のどちらについて行くか」を選ばせようとしていたらしい。

だから、11歳まで待ったという。


これで、晴れてボクらは自由の身である。


その後は、父の教え子さんの家に居候。


ただ問題が1つあった。

それは、ボクが母に宛てて手紙を書かなくてはいけないということだ。


なぜかは知らないが、裁判の結果、ボクの直筆の手紙と卒業証明書のコピーを渡す必要があるらしい。

一体どんな裁判だったのやら。


とにもかくにも、ボクは手紙を書かなきゃいけないらしい。


ここで、ボクは罪を犯す。


今までの恨み辛みを書き殴ったのだ。

正直、何を書いたか記憶がない。

少なくとも人様に見せられるものではないのは、確かだ。


そして、とどめに一言。

「ボクは、あなたの所有物じゃない。」


その手紙を父に渡したことで区切りがついた。


でも、以前の家の周りには近づけなかった。

あえて遠回りすることも少なくなかった。


あれ以来、母とは10年以上会っていない。


いま

ボクは、日常を描いたマンガやアニメが好きだ。

一軒家の下、両親の仲が良くて、冗談を言い合いながらの食事風景。

“幸せな家庭”ってやつに憧れているらしい。


ボクが、母に強烈に思ったのは、

「聞いてほしい。」

これだった。


聞いて欲しかった。

ボクが何が好きで、何が嫌いなのか。


聞いて欲しかった。

ボクが、何をやりたいのか。


聞いて欲しかった。

ボクが、どう考えているのか。



こんな「聞いてもらえなかった」という体験をバックグラウンドにもつボクだからこそ、

“子どもたちの思い”にちゃんと向き合えるんじゃないか。


実は、ボクと同じように親の期待に押しつぶされそうになった人は多い。

ボクは反発したが、そのまま親の期待に応え続けて自分がみえなくなったりする。


そんな子どもたちを救いたい。

ボクと同じ思いは、してほしくない。


「聞いてもらえなかった」ボクだからこそ、できることがある。


だから、ボクは教育に没頭する。

没頭できる。



P.S.

ボクは、母に宛てて手紙を書くつもりだ。

そう遠くないうちに。


あの時の謝罪をこめて。


何より自分のために。

自分が前に進むために。

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