見出し画像

グレーなカミングアウト

前回投稿からだいぶ期間が空いてしまった…。
季節も気付けば梅雨が終わりそうで、暑い夏がやって来る。

さて、最近の大きな変化として、ついにグレーだけれども生徒にカミングアウトした。

きっかけは担任として行なった人権教育。
地域柄、人権教育といえば同和問題を中心に取り扱うのだが、その一環として結婚差別についてのドキュメンタリーを見せた。

人権教育は担任としてこれまで10年近くやってきたけれど、その度に結局は教科書的な知識の教授になることが多く、生徒が書く感想も「そういう人がいるときには差別しないようにしたい」というものばかりで、「目の前にいるんだよ。俺がそうだから。」って言いたくても言えない、不完全燃焼感ばかりが残ってた。

かと言って生徒に対してカミングアウトするのは、学校としての組織の問題や保護者の考えなど予測不可能なことも多く、発達段階の生徒たちにわざわざ伝える必要があるのか、ましてカミングアウトして自分が楽になりたいだけなんじゃないか?なんて思いも浮かんで、カミングアウトしないでいた。

でもここ数年は、同僚や卒業した教え子と飲んだりした時に、カミングアウトして一緒にバーに行ったり、いろいろと語り合ったりも増え、カミングアウトすることへのハードルが下がっても来ていた。

そんな中での人権教育。
本来ならば事前にドキュメンタリーを見ておくべきなんだけど、別の業務で圧迫されてしまい生徒と同時に見ることに。

実名、顔出しでのドキュメンタリー。
素直にその勇気に感動したし、こうやって意を決して伝えようとしてくれる人の存在の大きさに心を打たれてしまった。
ことあるごとに自分を重ねてしまって、自然と涙が溢れてしまう。

いざそのまとめをしようと教壇に立った時に、言葉に詰まってしまい、思わず自分のことを話してしまった。
「俺もマイノリティです。気づかなかっただろうけれど。具体的には言えないけれど、周りに言えない、1番理解して欲しい人に拒絶されるかもしれない恐怖は計り知れない。実はずっと目の前に居たんです。教科書の中じゃない、テレビの中じゃない、それくらい身近にいるんです。どうかそのことを忘れないでほしい。」
こんなことを涙ながらに語ってしまった。

今考えれば随分と感傷的で、その場で言うことが果たして適切だったか疑問が残る。

その後の生徒の感想は様々で、「当事者」という言葉自体、知らず知らずのうちに境界を引いてるんじゃないか、という意見もあった。
そんなカミングアウトをしたからといって日頃の関わりが変わることもなく、変に気を遣われることもなく(そう自分が感じているだけで、彼らは気を遣ってるのかもしれないが…)
保護者からの意見もなく、彼らは教室内にその話を留めてくれているようだ。

さしあたり今の状況を記録しておこう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?