【1分(〜3分)くらいで読める短編(7)】「日常は平行線に」
帰宅した昭夫は何やら嬉々としていた。見ると、またしても本屋の袋が昭夫の右手からぶら下がっていた。
「また本買って来たの?」
妻に黙って夜遊びをするくらいの甲斐性があればと孝子は思うのだが、昭夫はここ最近書店を1時間も2時間も歩き回って次々と本を買って帰って来るのだ。読みもしないのに。
聞いてもないのに買った本のことを話し出す昭夫に半ば呆れながら、孝子はいそいそと晩ご飯の準備をした。この間買った本は読み終わったのかと聞くと、昭夫はばつが悪そうに、本は同時読みがいいらしい、などと言い訳を始めた。いつ読むのかと聞けば、すぐにでも読むと言う。すぐとはいつかと聞けば、すぐはすぐだと言う。昭夫がそろそろうんざりした顔をし始めたので、孝子はそれ以上は追及せず、さっさとお風呂に入りに行った。
「あれ?なんでテレビ見てるの?」
孝子がお風呂からあがると、昭夫はテレビを見ていた。
「なんでって、いつも見てるだろ?」昭夫はぬけぬけと言い放った。孝子はその態度に少し腹を立てた。
「本読むんじゃないの?」
「うん、でもこの番組はいつも見てるし。」
「この後の番組もいつも見てるでしょ?」
「そうだよ。」
その理屈でいえば、昭夫はこの後いつものように引き続きテレビ番組を視聴し、いつものように風呂を浴び、いつものように床に就くことになる。
「じゃあ本読めないじゃん。」
すると昭夫は、サスペンスドラマの続きをちらちら気にしながら、孝子に懇願するような眼差しを向けた。
「今日は1時間以上も書店を歩き回ってたんだ。もう本はお腹いっぱいだよ。」
孝子はいよいよ呆れた。
好きじゃないのにどうして買って来るのかと孝子は聞いた。
後輩が先に出世したらしい。
「俺も変わろうと思ってね。」
「本読んだくらいじゃ変わらないよ。」
本を読んだくらいでは人間変わらない。
本を読むから変わるのではなく、本を読むと考えるから人は変わるのだ。
「本を読んでも物を考えないあなたはきっと変わらないよ。」
「わかってないね。俺はきっと変わるよ。出世して、お前がパートなんかやらないでも生活していけるようにしてやるんだ。」
万年平社員の口が偉そうに言った。孝子は昭夫の手からテレビのリモコンを奪い取ると、崖に追い込まれた犯人の告白を打ち切った。
「パートは楽しんでやってるから、あなたが出世したって辞めるつもりはないし、そもそも労働の価値は肩書きや職種で決まるものじゃないんじゃないの?人に言われたことや本に書いてあったことをその通りにやるんじゃなくて、あなたが正しいと思ったりおもしろいと思ったことをやり通せば結果なんて自然についてくるんじゃないの?」
孝子が言うと昭夫は唖然としていた。
「お前、なんか変わったな」と昭夫が言うと、孝子は答えた。
あなたが先週買った本に書いてあったのだと。
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