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飛行機とTOKYO

頭上を飛ぶ飛行機を眺めるのが好きだった。旭川の市営住宅に住んでいた頃、真上を空港に向かって降りていく飛行機が飛んでいた。轟音が数時間ごとに聞こえるのは当たり前で、生活の一部だった。

一般家庭で生まれ育った自分は、高校生になるまで北海道から出たことがなかった。家族での旅行はいつも自動車で、北海道の中だった(もっというとほとんどが上川管内だった)。学校では夏休みが明けると、ディズニーランドに行ってきた、なんてクラスメイトがお土産を持ってくることもあったが、どこか遠くの別世界だと思っていた。

飛行機なんて、乗ったこともない。きっと「特別な人たち」が乗るのだろう。そう、東京なんてところに飛行機で行けるようなクラスメイトは「特別な人たち」だった。ぼくのように市営住宅になんて住んでいない、新興住宅地に一軒家を構えている、そういう家庭なんだろう。

家族みんなで日帰りの旅行をするのが好きだった。何故か、風連町の大福を、道の駅で食べたいほど食べた思い出が強烈に残っている(もう、風連町は無くなってしまった)。あの時間は、ぼくには十分すぎるほど幸せな時間だった。

空港にもよく連れていってくれた。飛行機を見るだけでわくわくした。乗ってどこかに行ってみたいなんて、考えたことすらなかった。大きな鉄の塊(正確に言えばほとんどがアルミニウムだが)が、轟音を立てて空へ飛んでいく姿を見るだけで十分だった。

大学生になり、飛行機に乗る機会が増えた。それも遊びではなく、勉強のために大学から派遣されるという形だった。初めてパスポートを取り、向かった先はボストンで、目的は旅行ではなく、「Bisulfite-ChIP実験の手順を確立させる」とかいう、仰々しいものだった。飛行機は少しずつ「見てワクワクする」だけのものから「移動手段」に変わっていったが、それでも行き交う飛行機を見るのは楽しみの一つだった。

社会人になるとJALから「JAL CLUB EST入会のお誘い」が届くくらい飛行機に乗るようになった。飛行機の中の「お医者さまはいらっしゃいませんか?」の対応まで経験した。以前は遅れないようにと、空港に出発2時間前くらいに着いて飛行機を眺めていたのに、今はぎりぎりに保安検査場を通過するようになった。電車に乗るごとく飛行機に乗るようになり、以前ほどの感動はなくなっていた。

都心のお洒落な街で働くようになった。誘われて行ってみれば、自分の感覚とズレている価格のお洒落すぎるお店。クリスマスのイルミネーションに、高そうな服を着たお洒落すぎる男女が群がる。東京を見下ろす夜景に、東京タワーとスカイツリーがそびえ立っている。自分が都会にいることに違和感を感じながら、今日も満員電車に乗って通勤する。

疲れ切って職場を出ると、懐かしい轟音が聞こえた。飛行機が頭の上を通り抜けていく。思った以上に近くに見えるANAのジェット機。子どもの頃、市営住宅群の上を通り過ぎていく飛行機の姿がフラッシュバックする。大きなものが頭の上を通り過ぎていく興奮がよみがえり、嬉しい気分になる。ふと、羽田への着陸ルートが変更されて都心を通るようになったニュースを思い出す。

家族で簡素な小旅行をすることが、至上の幸せだった幼少期。緑に赤に、色とりどりの風連町の大福。父とのキャッチボールに、段ボールいっぱいに敷き詰められた冷凍のクレープ。母のつくるアップルパイに、苦味の効いたコーヒー。弟たちの奪い合ったPlayStation 2のコントローラー。

そう、この街の幸せの基準に飲み込まれる必要なんてないんだ。
ぼくの幸せは、シンプルな原則の中にある。

飛行機がとめどなく都心を横切っていく。ああ、きっと苦情が出て、そのうち中止になってしまうのかな、と寂しく思いながら、今日も長い動く歩道を歩いて帰路に着く。近いうちに、また旭川へ帰ろう。


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