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食べること、生きること、感謝すること。

2015年1月。ぼくは北海道松前町にいた。

休日の早朝、指導医に連れられて向かった先は、小さな漁港だった。漁師さんが「おう、きたか」とライフジャケットを渡してくれる。凍えながら小さな船に乗り込むと、エンジンをかけて沖へ向かう。

ぶりの季節。初めてもつ釣竿。大きく激しく跳ねるぶりが、次々の船の上に引き上げられていく。跳ねるぶりを漁師さんが棒で叩く。血が飛び散り顔に跳ねるが、そんなことはどうでも良かった。「生きた魚を、自分で釣った」という経験が、ぼくを高揚させていた。

2匹、貰って帰ってきた。指導医と、その家族と一緒に、ぶりを捌いていく。1匹の魚がこんなに大きいなんて。刺身にして、焼いて、食べても食べても減らないぶり。自然を楽しむ、自然をいただくとは、こういうことか、と知る。この世界は、なんて素晴らしい場所なのだろう。あの体験は、決して忘れることのない原体験として刻まれている。


2020年2月。ぼくは東京都心で生活している。普段口にするものが、どこからきたのか、ぼくは知らない。コンビニに行けば安く美味しいお弁当やレトルト食品が並ぶ。安くて、早くて、便利だ。だが、そこには感動がない。ぶりを自分で釣ったときの喜び。捌いて食べたときの心の躍動。あの気持ちは、遠い昔の話で、ふと気がつくとただの作業と化している食事。

高級なものを食べたいなんて微塵も思わなくなった。そう、2019年は高級な食事をいただく機会に恵まれたが、ぼくの舌には合わなかった。

祖母の作る甘い卵焼きと、庭で育てたミニトマト。顔見知りの農家から買っていたお米。もちろん、レトルト食品だってよく食べていたが、どこからきたのかわかる食事が多かった。

安心・安全のためのトレーサビリティ、というより、「あなたが作ってくれたんですね、とても美味しいです、ありがとう」と言いたい。ここで釣れた魚、ここで育った野菜、ここで生まれた家畜。どこからきたのか、興味を持たないと、感謝の気持ちが薄れていく気がする。

そう、大きなぶりを食べながら抱いた気持ちは、感謝だった。釣ってくれる漁師さん、調理してくれた指導医、そして、魚を造り与えてくださった神様に。

ぼくはクリスチャンなので、食事の前にお祈りをする。感謝の気持ちを、神様に伝える。でも、どれほど心がこもっているだろう。ただの形式的な習慣になってはいないか?

人類は長い間飢餓との戦いを繰り広げてきたのに、今や糖尿病・脂質異常症・高血圧といった生活習慣病と戦っている。飢餓を倒した先に待っていたのは、飽食とそれに起因する病とは、なんともいえぬ気持ちになる。(しかも、我々は、その結果起こる心筋梗塞を、24時間働き詰めで治療する循環器内科医が過労死する世界に生きている。)

話が逸れた。誰かを責めるつもりはなく、ただ自分がいかに感謝を忘れているかという事実を猛省する。今日食べものがあるということは、当たり前のことではないのだ。

今日は、食材がどこからきたのか、少し思いを馳せてみよう。

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