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納得への道のり

僕の幼少期のあだ名はファーブル・コーヘイ。名付け親は幼稚園の先生だ。狂気的に昆虫が好きだった。学校へ行く前と放課後のほとんどは一人で野山を駆け巡っていた。もう帰ろうよと言われるのが鬱陶しいからひとりだった。気になる女の子と二人でこっそり遊ぶ約束をしていても、立派なカマキリが潜んでいそうな原っぱを通ると、足を止めずにはいられない。ゆえに集合時間にはどうしても間に合わない。猛省している。
話が逸れた。僕は納得がしたい。カマキリと出会えるかもしれない状況で、探さずにその場を立ち去ることに納得がいかない。例えいなかったとしても、「ここにはいない」と納得がいくかどうかが大事なのだ。
そんな僕にとってのカマキリが、今は器に変わってしまった。それはそれは大変な事態だ。カマキリとは違って、器は人間が作り出せてしまうし、さらにお金で買えてしまうときた。底なし沼だ。
器に関わる仕事について4年。これまで販売、営業、企画等に携わる中で様々ものに出会ってきた。その中でなかなかしぶとく納得がいかないものがある。何を隠そう、漆器だ。歴史や制作工程や強度の話はたしかに素晴らしい。あっぱれだ。しかし僕にとって重要な点はただ一つ。目の前の器に納得がいくかどうかだ。もはやそこに他者からの説明など必要ない。まずは自分で納得がしたいのだ。どれがカマキリなのか分からない人間に、立派なカマキリは見つけられない。なぜならカマキリは生きているから。いつも動いているのだ。器も同様に、生きているのだ。
僕がこれまでで最も深く納得した器がある。それは500〜600年前の安土桃山時代あたりに能登で作られたとされる器だ。それが真実かどうかは分からない。しかしこれ以上の言葉遊びにはそこまで興味はない。とにかく僕は納得がしたいのだ。ここでいう納得は「ああ、だからこうして時を超えてきたんだ」というものだった。「これからも超えていくんだ」とも感じた。その器は今はもう実用することが難しいほど朽ちているが、何度も何度も壊れた箇所に漆を上から塗り重ねた手跡があるのだ。そこにはたしかに、まるで鼓動のような、この器を手にしてきた人々の幾度の納得が積み重なっていた。
その衝撃から3年かけて、自分の足と手を動かしながら、その納得を求めてひとつの器をつくってきた。僕は輪島という地に住んでいる。刃物でお椀を削り出す人、ヘラで下地を施す人、刷毛で上塗りを施す人、筆で絵を描く人、専門家たちに話を聞かせていただき、隣で見様見真似で手を動かさせていただいた。そうしてやっと完成したのがこの器だ。三年もかけて自分で作り出したの器は、たったのひとつ。もちろん大先輩たちには叱咤激励をいただいた。「それじゃあ商売にならんぞいや」ご教示いただいといて大変失礼なことを申すが、いまはそれでいいのだ。僕はいま、納得を求めているのだから。僕の納得が誰かの納得へと伝播するとき、それが商売になるものだと思っている。と、生意気な発言をしておきながら惨めなことを言うが、完成した器にはまだ納得はできていない。自分が納得できていないものを人様におすすめできるほど、僕は偉い人間ではない。この器を売る資格はない。だから僕はここからさらにこの器に手を加えていく。ファーブル・コウヘイの納得への道のりは、長い。

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