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もっともっと仲良くいたい。

さて、年が明ける前には書いておきたいことがありまして、2018年を迎える1時間前にやっとこさ重い腰を上げた僕です。書き終える頃には、きっと年が明けていることでしょう。

この前、仕事についてのエントリーは書いたので、プライベートなエントリーをと思っていたけれど、僕の場合どちらも横断しながらのワークスタイルなので、なかなか分けるのは難しくなってしまう。それを踏まえた上で、これでもプライベートな視点から今年を振り返っているつもりです。ご容赦ください。

多分ここ数年で聞かれることの第一位は「今どこに住んでるの?」という質問で、その返答として「住民票は鹿児島だよ」というのが鉄板。自分の中でこれ以上の正解は未だ見つかっていません。

今年も、鹿児島4ヶ月、名古屋4ヶ月、東京3ヶ月、その他1ヶ月、という具合で、この比率を見ても「どこどこに住んでいます」とは明言できない生活スタイルですよね。

何でこんな生活スタイルなのかを考えてみても、それぞれの場所に行く理由があるからとしか言えない。一般的に言えば、それくらいの理由では行かない、と言われてしまうような場合もあるのかもしれない。折角お金をかけてその場所へ行くのであれば、ちょっとでも多く滞在できたほうが良いじゃないですか、というのも一理ある。これができるのも、フリーランスで場所を問わず仕事ができることと、日本各地の友人知人に支えてもらえているからだ。本当にありがたい。

とはいえ、何故こんなにも土地やコミュニティに根を下ろすことができない、というかしないのだろうと。鹿児島に引っ越したときからそうなのだけど、できるだけコミュニティに属さないようにして、そういったものから少し距離を置いて、一歩引いて客観的に物事を見れるように、と意識をして生活していた。それは今も変わっていないし、鹿児島だけじゃなくて他の土地でもそう。

引っ越してから3年半、鹿児島で何かを始めようと思えばいくらでもタイミングはあったし、誰かを巻き込んで何かをやろうと思えばできたはずだ。どこかの古い一軒家を借りて、みんなでシェアしようよ!とか、今度こういうイベントやりたいんだけど、どう?みたいに、SNSを使って気軽に参加を募ることもできたはずだ。それでも、してこなかった。できるにこしたことはないし、何かを成し遂げるのには近道だと思ってはいる。でも、「しない」というより「できな」かった。

全然批判してるつもりではないし、できる人を見てすごいなぁと思っている。でも、なんていうかもっとこう親密でありたいというか、もっと人間関係に丁寧でありたいというか、手伝ってくれるなら誰でも良い訳じゃなくて、本当に理解してくれている人と何かをしたいというか。

どちらかといえば、石橋を叩き過ぎて割るタイプだから、そんなこと考えずにやってしまえば良いのかもしれないけれど、そこの部分はどうしても割り切れない。何て言えばいいのだろうか。もっと本当に仲良くいたいし、お互いの色々を含めて、知った上で、「良いと思う!やったら良いよ!何かあれば協力するよ!」と言われたいし言いたい。

そんな友達が各地にたくさんいてくれると思っているから、きっとこんな生活ができている。たとえ理解できていなかったとしても、僕も友達の色々を理解したいし、理解しようとしてくれる友達がいる。

仲良くなりたい、ではなく、仲良くいたい。

6月にコトバノイエの加藤さんとお会いしたときに、「君たちは、いい意味で様式の無い世代。生まれたときから物に溢れていて、特に何も思わずに、安い高いを問わず、良いものは良いと自分の物差しを持って取捨選択をする世代。」という話をした。

これって、全てのことに共通する指針のような気がしていて、物だけじゃなくて、人や町や文化、土地なんかもそうなんだろう。SNSが一般的なものになったことで、同じ感覚を持つ人からの共感も得やすくなって、何か同意してほしいことを投稿すれば「いいね!」をもらえる世の中。でも、この「いいね!」に説得力は全然無くて、一つの指針でしか無い。

それは、人間関係や交友関係が、スマートフォンが無かった時代に比べてものすごく希薄な気がしていること。だって、FBの友達全てが本当に友達かと言えば、多かれ少なかれそうじゃない人もいるはずだ。そんな中から、自分の物差しをきちんと持ってそれで測って、物事の全てを言い方は悪いかもしれないが「取捨選択」しなきゃいけない。

会いたい人に会えた、繋がった、で一喜一憂してる場合じゃない、むしろそこから大事なのだ。そこからどういった関係を築いていけるかの方がよっぽど大事なのだ。
誰かがあんなことやこんなことをしてるからって、自分を卑下する必要は無いし、僕はやる必要無いなんて思うこともない。それ以上のことをすればいいし、違うアプローチで進めれば、同じだと思っていたことは、結果的に全然違うものになっているかもしれない。

それで良いんだ。

結局、全ては自分自身が決めること。そして、決めたことに責任を持つこと、覚悟を持つこと。例えそれが、友人のたわいもない会話の中から生まれたことであっても、なんとなくで始めたことであっても構わない。そしてその事象に名前を付けること、これも一つの覚悟なのだ。
人間できることは、みんな差して変わらない。やれることやれないこと、できることできないことは、ほぼ同じ。じゃあ、その中でも誰とやりたいかと言えば、その人に覚悟あるかどうかなのだ。

まぁ、これも、全て加藤さんからの受け売りなのだけど、きちんと残る形でまとめておきたくて。

というわけで、年も明けに明けて1時半を回ったところですが、
みなさん今年もどうぞよろしくお願いソニック。

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