僕にとっての「住む」とは
一週間の東京滞在を終えて、名古屋に戻ってきた。
名古屋での滞在もそれほど長くないので、落ち着くこともなく次の移動への準備をしながら過ごしている。
4月に開催予定のイベントや、本職のデザインの仕事の打ち合わせでの東京滞在だったけれど、あれよあれよという間に一週間が過ぎてしまった。そして、驚くほどに色々なことが進まず滞っていて、焦りながらも一つ一つ着実に進めているところです。連絡が来ないなと、やきもきしている皆様、申し訳ありません。
年が明けて1ヶ月が経とうとしているけれど、こんなにも時間が進むスピードか遅いのはしばらくぶりだ。移動が多かったせいもあるとは思うが、それ以外にも、きっと濃厚で濃密な時間を過ごせているからだと思っている。
最近、友達に指摘されて気づいたことの一つに、僕の中で「住む」という感覚が無くなってきている、ということが挙げられる。実家のある名古屋でさえも「滞在」と周りに話すようになっていることを見てもそれは明らかで、去年くらいからどの場所にも2ヶ月以上連続して滞在することが少なくなり、「住む」という表現をしなくなった自分がいつのまにか出来上がっていた。
どこが落ち着くかと聞かれても、どの場所を比較してみても最早それは誤差範囲のような気がして、「人に会い、打ち合わせをし、仕事をし、寝て、起きて、ごはんを食べる」それ以外の何ものでもない。もちろん、土地によって、会う人も、食べるものも、見るもの聞くもの、それぞれちがうのだけど、自分自身の感じ方としてそこまで変わらなくなってきているなぁと最近思う。
どこにいても緊張しっぱなしかと言われれば、未だに東京は「行く場所」という認識があるようで、名古屋に戻ってくると気が緩み体調を崩してしまうことが多い。今もまさにそうで、戻ってきた次の日から風邪のような症状に苛まれてはいる。
年々鹿児島に滞在する期間が減っていることは、最初から危惧していたことでもあり、今やしょうがないことかもしれないとも考えている。これは、鹿児島が嫌いとか居心地が悪いとかそういう意味では無く。
それでも、鹿児島に家を借りていることで、ゴール地点が鹿児島になり、2月も鳥取→岡山→福岡と移動して鹿児島に戻り、1ヶ月半ほど滞在する予定だ。
だから、鹿児島に拠点を一つ置いていることは無意味ではないと思っているし、むしろ良かったと思えている。
そういった感覚で日々生活をしていることは、周りに不思議がられたり、理解されないことも多いけれど、僕にとってその移動が必要だと思うから移動している訳で、特に無理しているつもりもないし、嫌々移動しているわけでもない。
とはいえ、どこかに「住む」という目的での場所を作りたいと思い始めていて、それがまだどこなのか分からないし、終の住処だとは考えていないけれど、今年中にどこかに「住む場所」を設けたいなと思っている。
もしかしたら、僕にとってこれが2018年の目標なのかもしれない。
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