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週刊牛乳屋新聞#82(自分が思う以上に他人は共感してくれない)

こんにちは、牛乳屋です。私は今年の春くらいから顔出しを始めていきました。自社の商品やサービスのPRという意味もありますが、より多くの方々と繋がりコミュニケーションの範囲を広げようと思ったためです。

SNSでは共感、現実社会では戯言

そのためには、最低でもSNSで「あなたは誰?」という問いに対して明確に答える必要があります。「私は〇〇界隈に属していて、〇〇をしている人(或いはかつて〇〇で有名になった人)」ということを簡潔明瞭な言葉で表現するが重要ですし、それがSNSでの立ち位置を作るために重要なことだと理解しています。また、「界隈」の中で最も共感される「公約数的な発言」を繰り返し述べていけばエンゲージメントは自然と伸びていきますし、たまにバズります。共感狙いのツイートや人生上手くいっているポジショントークは自分の立ち位置を確固たるものにするためにも必要なことは理解できます。

一方で、SNSで共感される話題は一歩ドアの向こうに出ると、大した話題にならないことが多々あります。

最近は、豆乳屋事業の次の事業を見据えて動いており、現在の取引先や金融機関の担当者と話す機会が増えました。話すうちに「界隈」で共感されやすい話題や定説は、「界隈」の外に出るとほとんど共感されないことに気付きます。


八方美人だと本業をなおざりにする?

世間の目線を集める立ち位置を作ることは機会利益を最大化するために必要な措置かもしれませんが、一方で自身を錯覚させる罠になることもあります。

最近、新しい事業企画をプレゼンする中で、「カンファレンス(新興企業を集めた交流会)に出てみなよ」「メディアで取材されてみなよ」と勧められることがあります。全て断っていますね。今の自分が行っても惨めさをさらけ出すだけです笑

また、説明資料作るのやプレゼンの準備って時間と労力をたくさん費やしますし、メディアも取材や原稿チェックなどの対応は楽ではありません。これって、価値ある仕事しているのではなく、仕事しているような自分に酔ってしまう危ないことだと思います。人様の共感や賞賛を集める前に、持続可能な商売をしていかなければならないのです。


共感を求めるのではなく、自分の力で前進したい

すごく残酷な言い方をしますが、Twitterで数万のフォロワーを持つアカウントが明日消えたとしても、悲しむ人はほぼいないと思います。むしろ、そのアカウントの「代わり」が出現して、かつてのインフルエンサーは思い出されないくらいの存在になるかもしれません。

最近のインフルエンサーのYoutube動画、インスタやTwitterを見ているとそんなことを凄く感じます。また、「私はこれだけ実績を出している」「今日は仮想通貨で〇〇儲けた」というアカウントは共感ではなく存在を認めてもらえていない恐怖が原動力なんじゃないかと思いました。

こんな偉そうなことばかり書きましたが、私はTwitterのフォロワー1万人越えていないし、インスタもしょっぱい数しかいないし、会社も3回潰してるので、この地球ではカスみたいな存在です。明日Twitterから消えたとしても本気で心配する人はほぼいないと思います。

だからこそ、人からどう思われるかなんて余計なことを考えずに、一歩一歩自分の視野の範囲内にある仕事や課題を乗り越えて、周囲の人と良い関係を拡げていこうと思います。

自分の発言に対して共感するよりも、自分の生きた轍に対して共感してもらえる方が嬉しいですから!

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