第23話 別れ話

「すいません。ごちそうさまでした」
私はレジにいた店員さんにそう告げると、先にドアを開けてそとで待っている信二くんのところへ向かった。

「信二くん。今日は素敵なレストランに連れてってくれてありがとう」
「いえいえ。喜んでもらえて…」
「ありがとうなんだけど、別れてください」
私は頭を下げた。

「…え?」
「驚かせてごめんなさい」
「待って、俺、何かしたっけ?」
「うん。「何かした」から別れてほしいの」
「えっ…」
そう言って信二くんはしばらく固まった。
「…いや、ごめん。何かしたっていうのに心当たりがなくって。だって俺、元カノとは完全に切れてるし、借金とかしてないし、だからだらしないヒモでもないし、タバコ吸わないし、酒癖悪いわけでもないし、足臭くないし、顔いいし、オシャレだし、友達多いし、性格もいいし、トークおもしろいし…。え、ごめん。本当に分からない。俺、何しちゃったの?」
後半の止めどないセルフポジティブキャンペーンが始まった辺りから、私は長い長いため息をついていた。長くてちょっとだけ息継ぎしてた。
「それはね、信二くんが筋金入りのクチャラーだからだよ」

「え…?クチャラー?俺が?」
「うん」
「それだけ?」
「うん。それだけ。それ以外は、うん。すごく紳士的だし、話してて楽しいし、センスよくてカッコいいし、まぁ今ご自身で仰ってたようにすごく、その…すごい。でも、クチャラーだから」
「そんな…。それ以外完璧なのに、クチャラーってだけで別れるだなんて、そんな…」
セルフポジティブキャンペーンは止まらない。

「本当、私何回お食事の途中で抜け出そうと思ったことか」
「そんなに…?」
「うん、しんどかった。でも思いの外、ナミビアの戦闘部族のオーディション受けたって話で盛り上がっちゃったもんだから!…何なのよ、戦闘部族のオーディションって。まずナミビアってどこよ?気になってしょうがないじゃない!」
宥めようと差しのべられた信二くんの手を振りほどいた。
「ただその話をかき消す大音量の咀嚼音!すごいよね、肉料理は重低音、デザートは軽やかなワルツ、飲み物は和音だけど、アルコールが入ると沖縄系。どういう仕組み?舌の構造教えてくれない?」
「え…じゃあ、はい」
信二くんはベーっと舌を出した。違う。そういうことじゃない。てか、食後の舌見せるな。
「店中の視線を集めてさ。他のお客さんも店員さんもみんな信二くんの咀嚼音で話かき消されてたんだよ」
「えっ!?そうだったの!?」
「はぁ?気づいてなかったの!?嘘でしょ!?え、うずらサイズの耳くそ入ってるんじゃない?それか両耳にアルマジロ飼ってる?」
「飼ってない」
「知ってる!…もうっ!あの咀嚼音が発せられるところを1時間以上も生で見ちゃったもんだから、今の信二くんは出会った時より63%ほど見た目の印象も悪くなってる気がするの」
「何で?俺、顔いいのに」
「だってクチャラーだから!」

気づけば私は肩で息をしていた。
「だから、別れましょう。こんなにも本心から「いい人見つけてね」って言えない状況はないんでしょうけど、クチャラーは不快感しか生まないから。さようなら」
私は思いの丈を告げると、信二くんに背中を向けて、駅へと歩き出した。

♪~

格調高いバイオリンの音色が聴こえる。さっきのレストランのドアが開いて、中のBGMが流れて来ているのだろうか。
気になって後ろを振り返ると、信二くんが棒付きキャンディーを舐めていた。口からキャンディーを出すと音が止む。また入れてレロレロ舐めると聴こえてくるバイオリン。飴の、咀嚼音…?
「待ってよ!」
バイオリンの演奏を中断して、信二くんが声をかけた。
「2つ、言いたいことがあるんだ!」
「…何?」
二歩、近づいた。
「ナミビアは、クチャラーがのし上がる国なんだ!」
「…ふふっ。何それ。本当にそんな国あるの?」
「咀嚼音で戦ったこともある!」
「…俄然興味が沸くじゃない!」
私は走って信二くんの胸に飛び込んだ。
「もっと聞かせてよ。ナミビアの話」
「いいけど、俺たち別れるんじゃなかったっけ?」
ニヤリと笑う信二くん。白くて歯並びのキレイなその口から出る音にさっきまでは不快感しか感じていなかったのに、もっとそばにいたいと思ってしまってる。
「ううん、別れない!」
「よかった!じゃあ、どこか飲み屋さんでも入る?」
「そうね。ただし、イカは頼まないで。永遠にイカの咀嚼音聞くのはさすがにしんどいから」
「はいはい」
私たちは、飲み屋街の方へ歩き出した。



俺は彼女に一つ内緒にしていることがある。さっき、急に別れ話を持ちかけられた。俺がものすごいクチャラーだからという理由それだけで別れたい、と。だから俺は最後にこれだけは伝えないとと思って彼女を呼び止めた。だけど、思いがけず復縁してしまって、伝えられないでいた。
今も、彼女には伝えていない。彼女曰く、俺はとんでもないクチャラーらしい。そしてそんな彼女は、半径10m以内にいる人は必ず気づいて、半径2m以内に入ると意識が飛んでしまうほどもうとんでもない口臭を発しているのだ。

<END>
2020年1月17日  UP TO YOU! より

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