失敗したとき

私の最大の欠点は、何か失敗したときそれについて相手(または周りの人)がどう感じたのか、どう思ったのか、という事にばかり囚われてしまって肝心の失敗の内容から目が逸れてしまう事だ。
と言っても、その事に気づけたのもごくごく最近の話なのだけど……。

例えば何かミスをして誰かに迷惑をかけたとき、ああまたダメなヤツだと思われてしまったな…とか、どうしようもうクビかな…とか、怒ってるだろうなぁ…という事にばかり目が向いてしまって、その失敗をどうカバーするかとか、今後はどうやって同じ間違いを防ぐか、という事に目が向かなくなってしまうのだ。

あとは責められることを恐れるあまり、つい「どちらが悪いのか?」という事に逃げがちだ。
え?待って、これって私が悪いの!?
反射的にそう思ってしまう。
つまり、「私は悪くない」と思いたいのだ。
しかもそれを誰にぶつけるでもなくただ一人で悶々と考えてるだけなので、何一つスッキリせず、モヤモヤがより一層深まるだけで何の慰めにも収穫にもならない。
不毛な葛藤ばかりが続いてしまう。

おそらく小さな時から人の顔色を窺って自分の居場所を探していた癖が私の心の隅々にまで染み込んでいるせいなのだと思う。

これは仕事の失敗に限ったことではなくて、どうやら大抵の事においてその傾向が強いようだ。

たとえば、
家の玄関前の掃除をする時間が無いとする。
ああ〜なんか枯葉溜まってきたなぁ、汚いなぁ、やだなぁ、気持ち悪いなぁ、という気持ちよりも、ご近所の人にだらしない、汚いって思われてるだろうなぁ…という事ばかり気になってしまって、逆に人の目が気になって玄関前の掃除に出られなくなる、という本末転倒な事案が起きたりするのだ。

人の気持ちは誰にも分からない。
分かったところで万人に気に入られるようには振る舞えないし生きられない。
何しろ万人に仕えるほどの時間も体力も個人には無いのだから、仕方がない。
真面目に誠実にやるべき事できる事をやっていればそれでいい。その先できる事はできる範囲ですれば良い。

分かってはいるのに、気になって気になって仕方がない。
どうしてもそこに囚われてしまって身動きが取れなくなってしまう。

いつか人の目に怯えずに今ここにいてこうしている事の言い訳を探さなくても笑顔で息ができるようになるだろうか……。

明日の私、がんばれ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?