京王線、端から端まで行ってみて

今日、京王線の新宿駅から高尾山口まで行ってきた
ただ端から端まで特急に揺られてきたわけでは無い
一駅止まるごとに電車から降りて、全駅の写真を一枚一枚撮ってきた

ことの発端は大学の前期課題、こんなページを作成した。

課題、実物の43,44ページ
駅の個性と言っているが、それは駅の特徴的な部分ではなく
人や生活の面影が感じられる部分を指して個性と言っている

夏休みにでも撮りに行こうと思っていたから、中身は白紙のまま。
んで先日、その中身を撮ってきた
しっかしまあ、よくもこんな大口を叩けたものだと、つくづくあたしは自分に感心した。
結論、不可能だった。今の自分の実力では。


そもそもだよ
どの駅もおんなじ過ぎるんだよ
確かに駅ごとに個性はあった。その駅にしかない生活感があった。だけど結局どの駅でも酷似していることが大半

何駅か忘れた
これも何駅だっけ

ほら、こういうのばっかり
写真としては綺麗かもしれないけれど、全部こんなようじゃ生活感を切り取ったことにはならない。

まず、写真のなかで生活感を表現するには人がいないと成立しない
けれど人が全然いない
まじで、全ての駅で時間帯をうまく合わせないと場所によっては本当に駅に人がいない。

難しかったこと
切り取ったつもりの生活間が、切り取ったゆえに表出したエモさなのか、それとも本当に撮影に成功した生活感なのか、正直見分けるのが難しかった
それと、生活感を表したいのに、駅の個性的な部分を表現するみたいになっちゃて、それじゃあ自分がカメラを構えた意味とは違ってきているよね
っていう

西陽を先読みして意図的この演出をしているのなら
あの曇りガラスは相当策士だ


こんなにも遊び心に富んだローカル駅は初めてだった


結構しんどかったこと
自分はその駅のこと、何も知らないのだという痛感
一駅着くごとに毎回降りてさ
あ、ここあいつの最寄駅じゃんとか思ったりして
それでいざカメラ構えてみるんだけど、どうもしっくりこない
それで仕方なくトイレに入ってみたり改札から出てみたりして、どうにかそこから生活感を拾おうとして
それでその時気づいた
自分がその駅の生活感を写真に収めるにしてはその駅を知らな過ぎるって
自分は自分がよく使う駅の朝も昼も夜も知ってる、どの時間帯が混んでて、どの時間帯にどんな人がいて、あそこは人がよく通るから一際地面が汚れていて、とか。
でもほとんどの駅が初めて降りる駅だった。だから自分は降り立ったその駅のことを殆ど知らなかった。

「この駅、あいつの地元だ」っていう感情は、その駅のことを何も知らない自分のやるせなさをより克明にしてしまった

切り取ったのは駅の個性であって生活感ではない
これはエモさであって生活感ではない

写真ってほんと難しい
未だに自分が撮りたいものがなんなのか見えてこない。

とりあえずまたいつかリベンジしたい
かぱあ🤪


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