自分の存在が誰かにとっての暇つぶしであると気づいた時、私は私のために生きようと決めた。そしていつか、誰かの需要となって帰ってきてみせる。

インスタグラムのプロフィールに書いたこの言葉
それ以上でも以下でもない
強いて言えば、インスタのプロフィールには二文目に
「だけどいつかは、誰かの需要であってほしい」
と書いた
なんだろうねこのニュアンスの違いは
そしていつか か
だけどいつか
需要となって帰ってきたいか
需要であってほしいか
我ながらに絶妙だと思う

私は誰かにとっての暇つぶしだ
私がSNSにポエムを吐いても
私が誰かと食事に行っても
その私を享受する誰かは、私という存在を暇つぶし程度にしか認識しない
至極あたりまえなことだ
同僚でもあるまい、家族でもあるまい、恋人でもあるまい
でも、それが悔しい
どうにかして誰かの私生活に入り込みたい
誰かの私生活に影響を与える人でありたい
そんな気色の悪い渇望を満たすものこそが、
まさに芸術なのかもしれない
どうして美大に入ったのか
どうして美大を志望したのか
それはきっと表現者でありたかったから
表現する人として存在して、芸術を生み出す人として存在していたいから
そう考えると、僕のアートは下心丸出しだ
そう、「僕」


自分に生きていく価値を見つけられないならば
誰かの幸せの、小さなきっかけになりたい
だから僕は生きていく
『槇原敬之 「Firefly ~僕は生きていく」』

あたしの思ってることもマッキーとおんなじはずなんだけどぉ
やっぱものは言い様だなー

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