質量
大人になり、道にある信号機の意味を再解釈したことがあった。
赤が青に変わるまでの時間くらい、立ち止まって待とうよと、日々のなかに強制的に余白を作るためにあいつらはいるんじゃないかと、そんな役割も担ってるんじゃないかと感じるようになって、そしてその束の間の退屈も耐えられずにスマホを取り出す自分に気づいて、忙しない人間だなぁなんて感じるようになった。
エレベーターの中も、エスカレーターに乗ってる時にも、目の前の時間から目を背けようとする自分の性質が表出してくる。
時間対効果を上げるということは
実は時間の経過からただ目を背けることに繋がってるんじゃないかなぁと思うようになり、だからここ最近はなにかを「溶かす」とか「混ぜる」とか「伸ばす」とか「焼く」とか、状態の変化と時間の経過を直視できるようなことに興味が湧いてきたみたい。料理とか。
質量との接触、質量への憧憬、そんな感じなのかな。
信号の話から、着地がだいぶずれました。
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