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拙作語り㊹『群雄列伝 下天の章・三 群雄割拠譚』<Ⅷ>

一次創作、古代中国風伝奇ファンタジー小説『群雄列伝』。
内容その他の詳しいところは過去記事(拙作語り㉟)を見て下さいという話ですが、そのうちの『下天の章・三 群雄割拠譚』は、中央政権が衰退し地方の有力氏族が帝都と天下を窺うようになった群雄割拠の人間界が舞台。
三回に分けて篇ノ四の前半部再掲、今回はその3、すなわち目下書いてある本編本文打ち止めです(何気に自爆)。

毎度の断り書き。
R指定まではいかないのですが、PG-12くらいはあっていいのかなと筆者的には思っています。
更には、やはり15年とか前の筆なので、当世のあれこれに抵触するような表現もあるかと思いますけれども、基本「原文ママ」を通したことを念のためお断りしておきます

古代中国風の興亡史=戦記ということもあり、多少残虐・悲惨なシーンが入るかと思われます。
どうしても残酷なのはダメ、という方は読み進めないほうが良いです
以上、よろしくお願いいたします。

『群雄割拠譚』本編

篇ノ四

秋の声と共に、複数の勢力が次々と対峙する緊迫の時が幕を開ける。
玉輅亡欠ぎょくろぼうけつ三年)

<前>(3/3)

渡誼橋の攻防

 八日の太陽が西へ傾きだす頃、北胡ほっこ軍は河北かほく河西かせいの間を流れる滂水ぼうすいに至る。そこに架かる唯一の石橋の前まで来ると、
「かつて北方の草原から垣根の南の氏族へ嫁ぎ、その名の通り『架け橋』となった二人の乙女に託して『渡誼橋とぎきょう』とも呼ばれた橋、か…」
 ヤッサは一人つぶやくが、采配を高く掲げて告げる。
「これより、橋を渡って滂水を越える。第一隊より順に、前へ進め!」
 だが、第一隊の騎馬兵たちが何かに気付いたように、橋の手前で次々と立ち止まる。
「どうした?」
「橋に…馬が一頭」
「何?」
 将軍の一人・フヘデが、兵馬の間を抜けて前に出る。
「…子供、だと?」
 夜の闇を切り抜いたごとくの漆黒の駿馬に乗り、身の丈の何倍もあるげきを手に、橋の上に立ってこちらを見据えているのは、せいぜい四、五歳ほどの幼児だった。
(ここは通さない!ぜったいに…!)
 その気迫に押される兵士たちに、第一隊を率いてきた少女将軍・ナランがたまらずに命令を下す。
「あんな子供と馬一頭に、何を恐れることがある!?弓弩きゅうどを構えろ!」
 兵士たちが我に返り、慌てて弓や弩を構え、狙いを定める。
「撃て!」
 矢の雨が幼児と駿馬に降り注ぐ。だが、幼い少年はひるむことなく戟を操り、自身が跨る黒馬をかばいつつことごとく矢を切り、あるいは払って次々と捨て去り、傷一つ負わない。
「くっそお…何者だ、あのガキ!」
 ナランが舌打ちする。二度、三度。弓弩兵に攻撃させるが、同じことの繰り返しだった。
(相手はたった一騎じゃないか。刀・戟の騎馬隊を一挙にぶつければ突破できるはず…!)
 命令を出しかけた彼女を、フヘデが制す。
「やめろ、ナラン。あれだけ矢を無駄にした挙げ句、己の管轄外の部隊まで動かそうとするとは…をわきまえろ」
「だが…!」
「勝手な行動は慎め。ハーンと共に、協議せねばならぬ」
 彼女は悔しげながらも受諾する。
「分かった。だが、あと一回だけやらせてくれ」
「…好きにしろ。これで最後にして、戻れよ」
「もちろんだ!」
 うるさくつきまとう蝿でも見るような視線をちらりと彼女へ遣り、フヘデは去って行く。
  *
 一昨日の昼前に臨平りんぺいを発ち、直接滂水を目指したはずの毀棄キキであったが、途中晨風シンプウが脚を痛めてしまい休まざるを得ず、また河越えにも手間取ってしまった。予想より到着が遅れることに不安を募らせつつも、ひたすら先を急いだ結果、
(見えた…。あれだ!)
 彼の見据える先には、滂水に架かる石橋で北胡軍が放つ矢を払い単騎奮戦している者の姿があった。
「…子供?」
桂思君ケイシクンも賭けに出たものですなあ…。まあ、やむを得ないことでしょうが」
 聞き覚えのある声に顔を上げると、鄒頌スウショウが鳥のごとく空を切って飛んでいる。かなりの俊足の持主・晨風に遅れをとらない速さでだ。
「いくら自身の愛児ゆえに飛箭ひせん〈※飛ぶ矢〉を見切る目を持っているとはいえ、長兵ちょうへい〈※長柄の武器〉を手にしたことも無いような子供を送り込むとは…なかなか恐ろしい御方だ。しかし、あの少年…戟を持つのが初めてとは思えぬ達者な操りぶりで驚き入りますね」
「鄒頌さん…!あなたは彼が何者か知っているんですね!?」
「ええ、まあ。ここまで来ればお話ししても良いでしょう。あれは河西かせいの女当主と、あなたが供をしてきた青年…柳擶師傅リュウセン シフの縁者でもある若造の倅です」
「…!じゃあ、ソウが…!?」
「ああ…確かそんな名でしたね」
(ならば、尚更放っておけない…!)
「急いでくれ、晨風!全力でだ!」
 騎する馬に命じる彼に、鄒頌が尋ねる。
「手ぶらであの場に駆け込む気ですか、あなたは。いくらなんでも無謀で、しょ…?」
 しかし、突如湧き上がった初めて感じる『気』に言葉が途切れる。
「その子に…箑に近付くな!」
 宣告と共に、彼の右手に弾弓だんきゅう〈※矢ではなく石などの弾丸を発射する弓・弩〉が現れる。鄒頌は我が目を疑い、息を呑む。
(なんだ…?これは…)
毀棄は晨風を止めることなく、全速力で突き進む晨風の手綱を離して弓を構え、左手で弦を掴む。弦を引く左手が光を放ち始める。
「退きやがれ…!!」
 ぎりぎりまで引き絞った弓から、彼の左の掌に在ったものが撃ち出される。まばゆいまでの光を放つ、片手の掌中に収まるほどの石が、激しい音を立てて空を飛ぶ。昼の流星かと見まごうその光の塊は、ほどなく翻羽ホンパと箑とを抜いて進むごとに細かく砕け、北胡の騎馬兵に降り注ぐ。さながら彼らは大粒のひょうに為すすべもなく襲われる農民たちのようだった。弓弩兵が突如走る激痛に腕を押さえて弓を取り落とす。槍・戟の長兵部隊も同じだ。
「いったい何だ!?今のは…」
 かろうじて難を逃れたナランが驚愕の声を上げる。後方で座っていたシャマン・ボルテが、その容姿からかけ離れた、しわがれた老人の声で告げる。
「…間に合わなんだか。天は、このたびは先方に味方したらしい」
 続けて、
「皆を下げよ。もう一撃が来たなら、怪我では済むまい」
 戸惑いながらも、首長・ヤッサは即座に前線へ命じる。
「全軍、一旦後方に下がれ!」
  *
「箑!」
 そのまま橋を駆けて晨風を翻羽の横で停め、毀棄は手短に告げる。
「ここは下がろう」
爹々ティエティエ〈※お父さん〉と、いっしょに居た…おにいちゃん?」
 小首をかしげ、箑が問う。
「ああ、そうだよ。だから…」
 しかし、少年は首をぶんぶんと横に振る。
「ダメ!あいつらに、この橋を渡らせちゃダメって、薪売りのおねえちゃんが…」
「桂思君が、そう言いましたか。…でも大丈夫です」
 振り返ると、鄒頌が橋の上に降り立つところだった。
「ご覧なさい」
 彼の指差す、南西の方角のはるか遠方に何かが見える。
「維家軍が間もなく到着します。いやはや、日没に間に合うとは…早かったですねえ」
 橋の向こうを見やれば、手傷を負わされた北胡の兵士たちが退いていく。
「一時退却、と言ったところでしょうか…。あなたがたも下がって構わないでしょう」
  *
「箑…!」
 橋の手前にたたずむ人馬を見付け、騎馬の将帥が駆け寄る。
媽々マーマ〈※お母さん〉…」
「良かった、本当に…」
 馬から降りて翻羽の背から幼児を抱き上げ涙ぐむ女当主に、毀棄は何と言葉をかけて良いものか困惑していたが、
「…毀棄じゃないか。どうして、ここに!?」
 不意に近づく蹄の音に顔を向けると、見知った顔が馬上からこちらを見ている。
「あ、柳發さん。すみません…僕、あの時ウソをつきました。あなたが臨平から河西に発つより前にもう、直接こちらに向かうと決めてたんです」
「なら、伝家軍は…?」
「そちらの件は心配無用です」
 鄒頌が返し、そのまま続ける。
「ええと…あれは一昨日のことでしたかね。およそ五万の軍勢が、どこの者とも知れぬたった一人の武人の説得で帰還を始めたんですよ。非常に興味深いですね」
「一人の、武人…」
薊軻ケイカさんだ)
 毀棄は思ったが、黙っていた。
「媽々、爹々ティエティエ。このおにいちゃんが助けてくれたんだよ」
「あなたが?毀棄」
 玉鈴が目を丸くして訊くと、
「え?ええ…多分」
「でも、君は武器なんて…」
 問いかけた柳發は、今もなお彼が右手に握る弾弓に目を止める。
「それは…どうしたんだ?」
「あ、これは…」
 まさか突然現れたとも言えないので、毀棄はとりあえずこの場をしのごうと、
「途中に立ち寄った村で、無理を言って貸してもらいました。後で返してこないと…」
 そして、自らが駆け来た道へと視線をやった。
  *
 後方から彼らのやりとりを眺める将兵たちには、その声は届かず、何を話しているかまでは分からない。
「にしても…当主様はあのおチビさんをどんだけ心配してたんだろうな。甘侑カンユウん家の…しかも謹悌キンテイの産んだ子供でもないのに」
 馬宗バソウのすぐ下の弟・馬鑽バサンが誰にともなく尋ねると、
「それは恐らく、あの子が当主様の御子息であるからではないかと」
「は?いきなり何を言うんだ、華弼カヒツ
「ご本人から直接お聞きした訳ではなく、まだ私の推測でしかありませんが…そう考えるのが自然だと思います。あのご様子を見るに」
「まあ、言われてみりゃ…そうだがさ」
 表面上は平静を通す努力をしたつもりだが、玉鈴に柳發を「わたくしの夫です」と紹介されてから内心動揺しっぱなしだった維繋イケイも加わる。
「し、しかし…いつの間に」
「そういえば、職務に真面目な当主様が何日も『おこもり』してた時があったな。何年前の話だ?あれは」
 馬宗の言葉に、将軍たちが黙り込む。
「三年前の春頃でしたか…。ちょうど、あの子の年頃と符合しますね」
 華弼がつぶやくように告げ、維繋が悔しげにこぼす。
「何故に気付かなんだ、儂らは。こんな慶事に」
「俺たちに言われても…。当主様に『何故こんな大事なことを隠していたんだ』と後で訊いてみてくださいよ、維繋様」
 老人はどこかしおしおと、馬宗に小さくうなずいて返した。

『群雄列伝 下天の章・三 群雄割拠譚』篇ノ四 <前> 渡誼橋の攻防

毀棄の背負うもの

鄒頌スウショウさん」
 家軍の陣営から離れ、毀棄キキは先程この場を去った鄒頌を再び呼んだ。
「何でしょうか」
 何の前触れもなく、土煙を上げて彼が現れて問う。
「あの…これなんですけど」
 言いながら、毀棄は弾弓だんきゅうを差し出す。
「無意識のうちに、どこかから持ってきてしまったものだと思うんです。ほら、あなたがたの使う遁甲とんこうのような感じで、どこかにあったものを勝手に転移させたというか…。なので、お返ししてきたいなと。手を貸してくれませんか?」
「…どれどれ」
 いぶかしげに、鄒頌が弓を手に取る。そしてしばらく目を伏せ、何かを辿たどっていたようであったが、顔を上げて告げる。
「残念ながら、これを返すべき持主は居ません。強いて言うならば、あなた本人です」
「え?それは、どういう…」
 当然、毀棄は驚いて問い返す。だが、彼は険しい表情で、
「これは俺一人の見解であって、断言は出来ませんよ。でも…俺も初めてだったんです、この弓が現れたときの、あの『感覚』は。これは『転移』によって現れた―すなわち、あなたがどこかから既に存在していたものを召喚したのではなく、もっと別のもの…。多分、これこそが天界の創草王ソウソウオウに受け継がれてきた力、『無から有を生みだす力』ではないかと」
「力…。僕に、そんなものが?」
 信じられないといったように微笑む毀棄に、鄒頌は真顔で言い聞かせる。
「あなたは創草王のご子息。しかも、あなたの兄君も姉君もその力は受け継いでおられない。可能性は充分あります」
「ですが、僕は…その父から見捨てられた子なのですよ」
「そもそも、その『見捨てられた』かどうか…創草王の真意に疑問を持ってますよ、俺は」
 彼が黙ると、毀棄も言葉が見付からずに口をつぐむ。しばし沈黙が漂う。
『お前など、どこへなりとお行きなさい!』
 叔母の冷徹とも言い得る宣告―百年の時が経れども色褪せることなく鮮烈に思い出されるその一言が、鄒頌の胸の内に響き渡る。しかし、彼女の怒りと悲しみ、そして寂しさの理由を、彼はどこかで感じ取っていた。
(あかの他人であれば、気にもならないだろう…。近しい身だからこそ、傍で朝につけ夕につけ目にすることが辛かったんだ。己自身の力だけではどうにも変えられない、痛ましい姿を晒す愛しい幼子が)
 不意に暮れかかる空を仰ぎ、
「…まあ、俺一人では不安も多いので、よそからも意見を伺ってこようと思います。では」
 毀棄が何事か問いかける隙を与えることなく、鄒頌は杖を振り上げて風を呼び、姿を消した。
  * *
「あれはまさしく、我が君と等しきチカラ…。これは取り急ぎ、お伝えせねば」
 地上を見下ろす白い鵞鳥が空高く飛び立とうとした目の前に、突如竜巻が湧き起こる。
「そんな調子のいいことさせませんよ、範佐ハンサ
 竜巻から現れた一頭の猪が、敵意を隠すことなく鵞鳥に向かい言い放つ。
「あなたがたは…あなたの主君は、彼を何年捨て置いたままにしたのですか!?ボクの主様や金翅コンジ様が、どれほど弟君を気にかけ、陰日向に見守ってこられたか…。なのに、御力に目覚められたからと、いきなり手の平を返したように…!彼が今こうして在るのは、下天という世界、そしてそこに生きる者たちのお陰です。ボクや主様は、そんな勝手なマネを絶対に許しません!」
水月スイゲツ様はともかく、金翅様も…?」
「ええ、そうですとも。何より、遥か遠い昔より己の一族が嫌ってきた天竜の血を引く娘を助け、この下天の人間に預けたことが」
「毀棄様にとってあの半竜の娘が何らかの助けになると踏んで、金翅様は彼女の命を奪うのを止めた…とでも言うのか?お前は」
「少なくとも、ボクはそう思ってます」
「…なるほど」
 緊張感と距離を保ったまま、一羽と一頭が睨み合う。そこに、突如として割り込んだ者があった。
「これは穏やかではございませんね。天界の鵞鳥、そして猪…創草王と陽炎王カゲロウオウの従者殿が言い争いとは」
「何者だ、貴公」
 範佐に訊かれて、その人物が答える。
「中庸界の水晶宮に在ります方士で、鄒頌と申します」
「中庸界の方士…それに、水晶宮か。ならば、貴公は占術をこなせるはずだな?今現在『留守』同然であるところの吉地キッチのように」
「はい」
「なら…あなたはどう見ますか?」
 陽炎王の従者である天猪・吹吹スイスイに尋ねられ、鄒頌は淡々と返す。
「ご子息は、確かに自身が内に宿していた御力に目覚めつつあります。しかしながら、まだまだ不安定なもの。もうしばらくこの世界へ留め置くのが良いかと。但し…彼が創草王の号を継ぐ御方であればこそ、真なる力はあの程度ではないはず。何かのきっかけで違う方向に暴発したら実に危険です。それこそ、この下天という世界一つ消し去りかねないほどに」
「なら、あなたはどうしろとおっしゃるのですか!?」
雷夏王女ライカオウジョと同じように、『かせ』を…制御装具を用意すべきか」
 範佐の問いにも、彼は口調を変えることなく断言した。
「おっしゃる通りです」
 誰も何も言い出せないまま、沈黙が続く。それを破ったのは、範佐だった。
「私も予想はしていた。貴公にこれを預けておこう」
 空から舞い降りる雪よりも白い鵞鳥が両方の翼を高く掲げると、その間に一つのくしろ〈※腕輪〉が現れる。
「使われずに済むのなら、それが最善であるが…。かつての金翅様は、このようなものの力を借りることなく『人間』で通し、下天での何年にも及ぶ兵乱を乗り切ったのであるから」
「私もそう願っています」
 受け取りながら、鄒頌は続ける。
「ある意味『未熟者の証』のような品ですからね」
「に、しても…あなたは毀棄様のことがお好きなのですね」
 吹吹に言われて、彼が笑顔で答える。
「好きというか…黙って見ておれないのですよ。放っておけないとでも言いますか…あまりに純粋で、真っ直ぐすぎて。昔日の自分に、ちょっと似ているもので」
「どちらにしても、ありがたいことです。感謝いたします」
 頭を下げる天猪に、彼も深々とお辞儀で返す。
「では、私はこれにて失礼いたします」
 鄒頌が立ち去ると、範佐は吹吹へ向き直る。
「吹吹よ」
「何ですか」
「水月様の許へ、私を案内せよ」
 吹吹は眉間にしわ寄せて―猪に眉があるのかどうかはさておき―刺々とげとげしい口調で返す。
「何ですか?今更」
「水月様に反対されては、我々も辛い。本当の事情をお聞きいただければ、きっと理解が得られるはずだ」
 しばし憮然としていた天猪であったが、やがて身を翻し、湧き起こる風へと飛び込んで行く。それを承諾の返答と見なし、範佐も後に続いた。
 
「…お前が私に何の用?」
 吹吹が、渋々と範佐を連れて主である陽炎王・水月の居城へ戻ると、案の定彼女は白い鵞鳥を睨みつけ不愉快げに尋ねた。
「あなたさまにご理解いただけないままだと、私も我が君も辛いところなのです。そこで、あなたさまもご存じない、清婉セイエン様に関わるお話をいたそうと、参上いたしました」
継母様かあさまの…?」
 範佐は小さくうなずく。清婉は創草王・初禅ショゼンが後になって迎えた若き妃で、毀棄の生母でもある。だが、今現在その美しい婦人の姿は創草王の居城どころか天界のどこを探しても見ることが出来ない。
「そうよ、範佐。継母様は今、どこに居られるの?」
「お急ぎくださいますな、水月様。順を追って話していきますので」
 下天に現れるときの甲冑姿ではなく髪を結いあげ貴婦人の装束をまとった水月は、不満げながらも口を結び、範佐の次なる言葉を待つ。
「だいぶ長いこと昔の話になりますが…。まだお若い折、我が君はとある地に遊び、その川べりで麗しい娘子じょうし〈※少女、むすめ〉に出会いました。一目で互いに強く惹かれあい、共に若かったこともあり、正式な段取りを踏むことなく、その…」
「何よ?」
「婚姻関係が成立する前に、その…『いたしてしまった』そうなのでございます」
「いたしてしまった、って…」
 天女はめまいを覚えつつ、額を押さえた。
「あぁ…あの父上にも、そんな頃が…」
 吹吹は嘆く主人に駆け寄り、「大丈夫ですか」などと声をかけている。範佐は一つ息をつき、
「もちろん、そこで終わりにし娘御を捨てるつもりなど我が君には無く、後日改めてお迎えに向かったのですが、二度と会うことは叶いませんでした。そして月日は過ぎ、我が君はあなたさまや金翅様を授かられ、もちろんご夫人がたを愛しておられましたけれども、その娘子を忘れてしまわれることは無かったのです。何年もの歳月を越え、我が君はかの川べりに再び立たれ…かの娘子とそっくりの若い娘と出会いました。すなわち、これが清婉様です。我が君は、『今度こそ、あのときの過ちを繰り返すまい』と、身寄りを亡くしてしまわれたと仰る清婉様にその場で結婚を申し込み、お二人で真我城しんがじょうへと戻られたのでございます」
 そこまで話すと範佐は大きく一つ息をつき、またすぐ続けて、
「あなたさまもご存知のように、ほどなく清婉様は懐妊され、男児をお産みになりましたが、御子は育ちが悪く…我が君は『もしや、彼女はあの時の「我が子」なのではなかろうか』と危惧されたのです」
「ちょっと、範佐…!それじゃ、父上は…あの子のことを…」
 思わず椅子から立ち、声を上げた主君の息女に、範佐はただ頭を垂れ、
「はい。実の父と娘の間に生まれた不幸な子ではないかとお思いなのです」
「そんな…」
 だが、彼女はふと思い出したように、
「なら、継母様は?継母様は何と?それより、今どこでどうされてるのよ!?」
「夫君の胸の内にある疑念を知り、亡き母君が何か書き遺してはいないかと郷里へとお帰りになりましたが、何も見付けることが出来ぬまま戻り来られ、『この子が、実の父と娘との間に生まれた罪深き子だなんて…』―そう仰りながら、無邪気に笑う御子を抱いて涙をこぼしておられたと聞きました」
 黙り込む彼女に、範佐は更に語る。
「そして、清婉様は御子が我が身の潔白をあかししてくれることを祈りつつ、その日が来るまでと深い眠りについてしまわれたのです。今なお真我城の一室で、死したように眠り続けておられます」
「そ、そう…そんなことが…」
 水月が深々と溜息をつき、瞑目しながら席に着くと、
「ですが、弟君は立派に成人され、創草王としての御力を現されつつあります。きっと、『その日』は遠からず…」
 自らの目で確かめてきたことなので、吹吹は堂々たる様子で奏上する。彼女は笑顔を見せ、
「ええ、そうね。父上が御自ら下天にあの子を迎えに行き、詫びてこの天界に連れて戻られる…継母様もお目覚めになって、たくましく成長したあの子と対面なさる、その日が…」
 遠からず訪れる『その日』を思い描き、嬉しげに目を細めた。

『群雄列伝 下天の章・三 群雄割拠譚』篇ノ四 <前> 毀棄の背負うもの

陥険の抗争

※註:
・陥険〈かんけん〉:
 八卦の一・坎〈かん〉の卦徳。坎は五行の水、さらに北、黒と結びつく。

 日が暮れ、周囲に夜のとばりが下りても、北胡ほっこ軍と家軍は滂水を挟んで対峙していた。
 明かりと暖をとるべく陣中のあちこちで兵士たちが火を起こす中、柳發リュウハツ毀棄キキソウとを呼び寄せ、
「毀棄。この子を連れて、今すぐ河西かせいへ発ってくれるか」
「え?あ…はい、僕は構いませんが」
 毀棄は、躊躇ためらいながら幼い少年へと視線を移す。
「ぼくたちだけ?爹々ティエティエ〈※お父さん〉や媽々マーマ〈※お母さん〉は?」
「これ以降は我々の仕事だ。君たちは一足先に戻っていてほしい」
 心細げな表情を見せた子息に微笑みかけ、柳發が返す。
「大丈夫。私たちも早くこちらにかたを付けて、すぐに後を追いかけるよ」
「…分かりました」
 彼には何か策がある様子なのを見取ると、毀棄はうなずいて箑を促し、晨風シンプウ翻羽ホンパを繋いだ杭が立つ場所まで戻る。
「当主様」
 杭の傍に、玉鈴ギョクレイが立っていた。おそらくは彼らを待っていたのであろう。気付いて二人に歩み寄り、
「夜道を行くのも危ういものですが、ここはあなたたちが居るべき所ではありませんから、發の意見に従うことにしました。…どうか気を付けて。毀棄、この子をお願いします」
「はい、必ず無事に河西まで帰り着きます」
「媽々もだよ。みんな、早く帰ってきてね」
「もちろんです」
 晨風と翻羽の手綱を解き、二人がその背に跨る。
「では」
 こん〈ひつじさる、西南〉へと駆け出した二頭の駿馬を見送り、玉鈴が陣所に戻る。柳發はすぐに気付いて声を掛けた。
「玉鈴…彼らは行ったか」
「ええ」
 彼女がうなずくと、
「ならば早速だが、一つ使用要請を出していただきたい」
「…何の、でしょうか」
 首をかしげ尋ねる彼女に、
「どうも先方に明確な動きが見えない。遠征は長引かせるものではないし、試してみたいものがある。そこで、次三弓弩じさんきゅうどを操る馬鑽バサン殿の御手を借りたい」
「…行軍中の短い休憩の時間に、軍の編成に目を通していたのですね。あなたは」
「ええ、もちろん」
 この抜け目の無さが、今は心強い。しかし玉鈴は感じた疑問をそのままぶつける。
「けれども、一体何を?」
「次三弓弩ならば、川向こうの北胡軍の陣中に矢を射かけることが出来るだろう」
 弩を大型化して発射台(床子しょうし)や車輛に搭載したものが床子弩しょうしどで、より大きな反発力を得るために三つの弓を合わせてあるのが次三弓弩だ。弓を張るのも数十人がかり、飛ばす矢もむしろ槍に近く、その射程距離は約二百二十歩(※=220×1.35メートル=約300m)という大掛かりなものである。維家の武官筆頭・馬宗バソウの弟である馬鑽は、本来何十人もの兵士で扱うこの武器を数名の補助さえ受ければ後は単身操れるよう改造した、優れた発想力と剛腕の持主だった。
「確かに、かろうじて射程圏内には入るでしょうけど。とはいえ、ただ矢が届くだけでは既に速度も落ちているはずで、あまり威嚇にならないのでは」
「分かっている。だから、矢に『あるもの』を仕込む。成功すれば、飛び上がらんばかりに驚いて逃げていくこと間違いない」
「けれど…」
 玉鈴は川面を見やる。比較的水温の高い川や湖の上に冷たい空気が流れ込み発生する川霧が、まだ晩秋の上旬にもかかわらず音も無く湧き立っていた。
「火矢は川を越えるには不利でしょう?他に何が」
「これまで多分誰も使ったことは無い。正直なところ、私もこれだけ大掛かりな使用は初めてだ。だが、今も我らの陣の上には『天佑てんゆうの気』が見える。切迫しているとき、打って出てもよい吉の気だ…きっと上手くいく」
 彼の言葉に玉鈴は小さくうなずき、
「分かりました。何もせずに居るよりは、行動を起こしてみましょう」
 そして、ちょうど目の前を通りかけた華弼カヒツに言い付けて馬鑽を呼びにやる。
「何でしょうか、当主様」
「彼の作戦に手を貸してあげてください」
「…はあ?」
 馬宗に勝るとも劣らぬ豪気そのものの士たる馬鑽は、女当主の傍に控える鎧姿の青年に不審げな眼差しを向ける。
「『あるもの』を仕込んだ矢を五本ほど敵陣に打ち込みます。あなたの次三弓弩ならば届くはずです」
「ウン、まあ。オレの相棒ならこの川幅くらい超えるぜ?だが、何だい?それ」
「扱いには細心の注意が必要な代物とだけ申し上げておきます」
「はーん」
 なおも納得いかない様子の彼に、見かねた華弼が近づき、小声で提案する。
「馬鑽どの。河西に戻ったら、家内にちまきを たんと作らせてお持ちしますよ」
「え!華弼、それ本当か!?やるぜ、オレやるぜ!おう、そこの若造!行くぞ!」
 途端に馬鑽は目の色を変え、意気揚々と『相棒』・次三弓弩の置かれた場所へと歩き出す。
慎芝シンシの粽は本当に大人気ですね」
 呆れ半分感心半分で玉鈴が言うと、華弼は苦笑しつつ返す。
「はい、非常に評判が良くて。おそらく、河北かほくに嫁に行った珠簾シュレンも時折恋しく思っていることでしょう」
「その粽、私も是非ご馳走になりたいものですね」
 柳發は笑顔で告げ、急いで馬鑽の後を追った。
  *
 手勢に命じて対岸に向け川べりに次三弓弩を載せた車輛を据えさせ、馬鑽が尋ねる。
「で、矢は?」
「こちらに準備してあります」
 答える柳發は、なるほど槍と見間違えるほどの五本の大きな矢を手にしていた。その矢の先には、何やら小さな筒がきつく結わえられている。
「気を付けてください。強い衝撃を与えると発火しますので」
 馬鑽がギョッとして思わず手を引っ込める。
「いえ、多少の振動なら問題ないはずです。これを、出来るだけ高所から敵陣に落とすように発射します。水平距離と垂直距離、おおよその落下位置を考えると…このくらいでしょうか」
 一旦矢を金属製の筒にまとめ入れて地面に置き、柳發は弩をやや上方に向けて射角を上げる。そのまま弓の弦を張るための縄を巻き取る絞車こうしゃ把手とって〈ハンドル〉を回し始める彼を見て、馬鑽は驚嘆した。
「おめえ、なよっちく見える割には結構な力持ちだな。オレの兵隊にだって、一人でその把手回せる奴はなかなか居ないぞ。しかも、そいつの構造を分かってる」
「いえ、私にはここまでが精一杯ですね。あとはよろしくお願いします」
 続いて、馬鑽が代わって絞車を回す。直属の兵士の中でも信頼厚き壮年の男・晋良シンリョウを呼び、二人がかりで更にきつく最大限まで弦を張ると、で固定する。そこに、先程の矢を筒ごと設置する。
「天の諸尊よ…どうか、ご照覧あれ。どうか、ご加護を…」
 祈るようにつぶやいた柳發の横で、馬鑽が牙めがけ棍棒を振り下ろす。
「発射ぁ!!」
 
 北胡の陣営では、今後の進退をめぐり議論が白熱していた。
「そもそも、これは本気の出兵ではない。シャマンの読み通りにいかなかった以上、ここに長居する意味もない。すぐにでも帰還する」
「待てよ、ヤッサ!確かに、この一万に満たない手勢では我らも本気ではない。だが、せっかくここまで来たんじゃないか。負傷者も、その程度は軽い。あっちだって、慌てて駆けつけた騎馬兵だけの隊組織だから、数はそう多くない。せいぜい千か二千だ。やってみなければ分からないじゃないか、どうして今ここで退くんだ!こんな無様なことがあるか!?」
 首長ヤッサに反論するのは、まだ十代半ばほどと見える少女だ。しかし髪を短く切って軽装騎兵の身なりをしているため、声さえ出さなければ年頃の娘と分からない。
「黙れ、ナラン」
 褐色の髪を後ろで束ねた青灰の瞳の男に言われ、彼女が悔しげに口を結ぶ。
「戦というものは、天道鬼神てんどうきじん祥禍しょうかしるし。お前も見ただろう、あの小僧…そして、光の玉。さながら、童子形の武神が現れたかのような、あのさまを。今回は敵陣に吉の気があったと見て、退くほかあるまい」
「だが、フヘデ…!」
「しっ!静かにしろ」
 フヘデの厳しい口調に、ナランばかりか幕僚ばくりょう〈※軍隊で、指揮官に直属して参謀事務に従事する者〉すべてが黙って身をこわばらせる。遠くから、何かが飛ぶ音が迫り来るのが分かった。
「矢、か?」
「まさか。この距離だぞ、何の為に」
 ナランは言うが、
「いや。何の目的もなく、わざわざこんなことするか?」
 そうマーニが口にした刹那、ヤッサの傍に控えていたシャマン・ボルテが地に倒れる。
「どうした!?」
『逃ゲテ、ハヤク…!ココニ居テハ、ダメ…。燃エ盛ル獣ガ、襲イ来ル…。ミンナガ、アブナイ…』
 心の内に響く彼女の声に、助け起こしたヤッサは息を呑むが、
「どういうことだ?しっかりしろ、ボルテ!」
(火矢ならば、光で分かるはずだ。それに、川霧も出た上にこの川幅を越えて撃ってくるとは思えない。だが…)
「上空から来るモノに注意を払え!川岸から離れろ!!」
 腕の中で息遣いも荒く脂汗を流すボルテを気遣いつつも急いで命令を下し、兵士たちが慌てて更に後方へと退く。
 数瞬の後、宵闇の空から槍にも近い矢が数本、音を立てて降って来た。北胡の兵士たちは、何事かとただ固唾を呑んで見守る。川べりに置き残してきた輜重しちょう〈※軍隊の糧食・被服・武器・弾薬など、輸送すべき軍需品の総称〉へと突き刺さった矢は、爆音と共に火を噴いた。
「な…何だ!?」
 兵士たちが狂乱し騒ぎ出す前で、瞬く間に輜重は炎に包まれ、灰燼かいじんと消え去って行く。そして、紅蓮の如き炎は次なる餌食を探して舌なめずりをするように、煽る川風に妖しく揺れる。
「あれが何物かは、今はどうでも良いのです。『上弦月の日が暮れる前に滂水を渡る』、これが実現できずに終わった今は、速やかにここを去り国許へお戻りください」
 突如現れた小さな人影が、首長らに告げた。苦しい息の中、ボルテが人影へと震える手を伸ばす。
『タ、ス…ケ…テ…』
 闖入ちんにゅう〈※突然、無断で入り込むこと〉せし者は彼女に気付き、
「即時に退却していただけるなら、あれを鎮火させ、さらにあなたがたを追うことはさせません。いかがいたしますか」
 もとより更に進攻する心づもりなどないヤッサは、いぶかりつつもうなずいて返した。
「分かった」
 そして顔を上げ、
「皆、焼けてしまった輜重はもういい。全軍をまとめ、引き揚げろ。ナラン、これは首長の命令だ。お前も黙って従え」
 唇を噛むが、ナランも身を翻すと馬に跨り、右往左往する兵士たちを叱りつけ北方へと追い立てた。
 おおかた騎馬兵たちが去ったのを見届け、ボルテを抱えて駿馬・ルジムに乗ったヤッサが振り返る。その身の丈の低い子供のような影が、被る外套から両腕を高く掲げ何事かつぶやくと、炎は水の涸れた草のように勢いをなくし、やがてかき消えてしまった。
「これで、双方約束は果たした…んだな」
 驚きを隠してヤッサが言うと、小さな影は頭を下げる。
「はい、ありがとうございます。どうか道中お気を付けて」
 ルジムの脇腹を蹴ろうとして、もう一騎残っているのが分かった。
「マーニ…」
 だが、マーニはヤッサではなく滂水に向かい立つ人影を凝視しながら、
「お前…あのときの男と何か…」
 しかし影は一つお辞儀をすると、どこへともなく歩み去る。
「どうしたんだ、マーニ」
「いや…。似たようなものを前に一度見たことがあった。ただ、それだけだ。後で話す」
 ボルテは変わらず顔色が悪い。彼女が心配でもあり、二人は先を争うように北へと馬を駆った。
 
 柳發が馬鑽の次三弓弩で川向こうの北胡軍に撃った火薬を仕込んだ矢は、計算通りにうまく着地し炎を上げた。一体何をするのだろうかと様子を見守っていた維家軍の幕僚たちは目の前で何が起こったか分からず、揃って呆然とするばかりだった。
「とりあえず成功したようで何よりです」
 ほっとしたように口にした柳發に、しかし華弼は険しい目を向ける。
「あなたは…何者なのですか?」
「無名の小者ですが」
「もしや、中庸界の…」
 躊躇ためらいながらもはっきりとした口調で問いかけた彼に柳發は苦笑しつつ、
「いいえ、私は違います。あれも、そんな特殊な場所で作られたものではなく…鉱山や窯などでの事例を積み重ねた上に出来たものです」
 なおも疑わしげな彼をちらりと見、
「確かに、かつて私の祖先にそういう方が居られたとはいいますが…私自身はお会いしたことなどありませんのでね」
 彼らが話をしている間に対岸の炎は掻き消え、やがて北胡軍が夜の闇の中で慌ただしく退却を始めた。
「…どうしたことでしょうか」
 維家軍の将軍らが、いぶかりつつ川の向こうを見遣っていると、橋の上に小さな影が現れる。目を凝らせば、子供とおぼしき影が、こちらへ向かい招いている。
「何だというのだろう」
「罠かもしれんぞ…どうする?」
「私が行きましょう」
 柳發は一人で橋を進み、人影の前に立つ。
「我々に何か話があるのだろう?」
 彼の問いかけにうなずくと、布を被り顔を隠した小さな影が語り出す。
「今回の北胡軍の南への進軍は、今後を占うためのもの。『上弦月の日が暮れる前に滂水を渡れれば、そのまま維領を進み河南に入る』、それは不可能に終わったわけです。しかし、おそらくは別のところを経由して再び帝都を目指すと思われます」
 身の丈も声も、五、六歳ほどの子供である。彼は驚きながらも、それを出さぬように訊き返す。
「君、なのか…?北胡軍に落ちた火を消し、彼らを退却させたのは」
「はい、その通りです」
「君は何を為そうとしているのだろう」
「わたしには分かりません。ただ、『ここで北胡軍と維家軍の双方に、癒えぬほどの深い傷を残すことが無いようにせよ』と父から仰せつかっただけです」
 言い終えると子供は一礼し、向きを変えて橋を北方へと歩み去る。
「私たちは、またどこかで会うことになるのだろうね。媳婦シーフ〈※息子の嫁。補注後掲〉」
 子供がびくりと肩を震わせて立ち止まるが、その言葉を口にした柳發自身も驚いた。我に返ったように、小さな影が足早に橋の上から消える。
(媳婦…)
 自分は、顔も見なかったあの子供を、我が子・ソウの嫁と呼んだ――
(箑…)
 柳發は、毀棄と共に一足先に河西へ発たせた幼児を思った。
  *
委順イジュン
 橋を渡って一人戻り来た幼女に声をかけたのは、月明かりを浴びて立つ若い女性。太陰君タイインクンだ。
姐々チェチェ〈※姉、おねえさん〉…」
「さあ、行きましょう。あなたは、しっかりと彼の思いに応えた…。きっと彼も安心していると思います」
 だが、幼い少女は顔を伏せたままでいる。父とも呼ぶ『彼』の許へ向かうというのに、あまり嬉しげではない。普段とは違うものを感じ、太陰君が尋ねる。
「どうしましたか?」
「姐々…。あの御方は…橋の上でお話ししたあの御方は、わたしを『媳婦シーフ』と呼びました。ご子息の嫁君と…。このようなわたしにも、人並みの幸せが訪れることなどあるのでしょうか」
「委順…」
 彼女は自らの出生について知らないはずである。しかし、何かを感じ取ってはいるようだった。
「もちろん、嬉しいのです。嬉しくてたまらないのです。本当にそうならば、と…。あのような素敵な父君をもつ御方なら…そんな御方に添わせていただけるのなら、より一層に」
 大人でも耐えきれぬほどの重荷を生まれながらに負いつつも、年頃の少女と何ら変わらぬ夢も希望も心に宿して懸命に生きている継子けいし〈※配偶者の子で自分とは血縁関係のないこども。ままこ〉を前に、太陰君も言葉に詰まった。
 まだ幼い娘にとって、この先の見えぬいばらの道を裸足で歩むような思いの日々がどれほど辛いことか――
 優れた見通しの目を持つ彼女でさえ、この幼い娘の前途に何が待つのかをまだ見取ることが出来ずにいる。だが、つい先程幼女が橋の上で言葉を交わしたリュウ王朝の末裔たる彼は、老婆に身をやつした陽炎王カゲロウオウの真の姿を確かに『見た』人間だ。
(もしかしたら、彼の目にはそんな「未来」が本当に見えたのかもしれない…)
 私も、その「未来」を信じたい――
 胸の内で思いつつ、太陰君は幼女へと手を差し伸べる。
「彼も待っていますよ」
「はい、姐々」
 手を繋いだ二つの影が月の光の中にふっとかき消えた後に、滂水に架かる石橋を臨む草原を一陣の風が吹き去って行った。
  * *
 翌朝には維家軍も滂水のほとりから河西へ向けて発ち、前日の日没後に一足早く引き返した毀棄らに続いて、維家の騎馬隊は実に出陣から三、四日ほどで帰郷することとなる。

『群雄列伝 下天の章・三 群雄割拠譚』篇ノ四 <前> 陥険の抗争

※註:
 媳婦〈シーフ〉:
 息子の嫁。現代の親族名称。指示称であり呼称ではないので、こういう風に本人への呼びかけには多分使わない。

水精の申し子

 晩秋〈※旧暦九月〉八日の宵の口に滂水ぼうすいを発った毀棄キキソウとは、途中数度の小休止を挟みつつ先を急ぎ、翌九日に無事河西へ到着した。日が暮れた後のことで唯一開かれたままの宮城の南門から大路を北へ駆け、毀棄は翻羽ホンパが入る河西政庁の厩舎に晨風シンプウも預かってもらい、あとは寄り道もせず箑を背負って早足で甘侑カンユウの邸へと向かった。
「あ、箑!毀棄さん!」
 甘達カンタツが彼らに気付き、家じゅうを走って触れ回る。
「帰ってきたよ!箑と毀棄さん、戻ってきたよ!」
 皆が邸内から一気に集まり来て、彼らの無事を喜んだ。
「ああ、本当に良かった…」
 謹悌キンテイはその場に座り込み、一人安堵の涙に暮れていた。
哥々コーコ〈※兄、お兄さん〉ー!」
 玄関から廊下を進み居室に入ろうとした毀棄に、洪洵コウシュンが駆け込んできた勢いのまま抱きつく。
「箑から聞いてはいたけど…ほんとにここに厄介になってたんだ、お前」
「ウン、牢屋じゃなかったんだ。当主様はホントいい人だよ、哥々もあんな口のきき方しちゃダメだって!」
 滂水での彼女の姿を見て様々なことを思い直した毀棄は、小さくうなずいて返す。
「ああ、そうだね。これからは気を付けないと」
 嬉しさに満面笑みだった洪洵が、不意に眉をひそめ、
「…それより哥々」
「何だよ」
「すんごくホコリっぽい」
 その一言に、
「仕方ないじゃないか、着替えてる余裕もなくて直帰なんだから。箑はそんなこと言わなかったぞ」
 彼らが他愛もないことでめている間に、蝉娟センケンがそっとその場を去り、綺麗に畳まれた衣服を持って戻って来た。
「なら、とりあえずこれを着ていて。主人にと用意しておいたものだから、あなたには少し丈が短いかもしれないけど…」
「いえ、構いません。ありがとうございます」
「箑、あなたもね」
 婦人は言いながらかがみ、幼児にも着替えを差し出した。
「でも、ちょっと待ってて」
 そして再び奥へと去っていく。今度は、腕に手巾しゅきん〈※てぬぐい〉を掛け、桶を抱えてやって来て、
「井戸から汲んだ水では、身体を拭くにも冷たいでしょうからね」
「ありがとうございます、何から何まで」
 湯を沸かして用意してくれた彼女に感謝しつつ、毀棄は箑を伴って近くの一間を借りて入っていく。戸を閉めかけて、後を追ってきた洪洵に気付き、
「お前は、あっち行ってろ」
「えー!見られて困るものないじゃん」
「いいから」
 軽くあしらわれ、扉は無情にも閉ざされてしまった。
「ちぇー。今まで何回一緒に川やたらいで行水したと思ってんだよ。隠すものなんて、もう無いくせに…」
 部屋の前に立ち尽くし小声で洩らす彼に、子供たちがくすくすと笑った。
  *
 二人が着替えて居間に戻ってみると、そこに洪洵の姿は無かった。
「あいつは?」
「もう寝てやるって」
 管朔カンサクの返答に、毀棄は深々と溜息をつく。
「…ふて寝かよ。もう志学しがく〈※十五歳の異称。この物語での男子の準成年〉になろうってのに、子供みたいなこと言って」
 ほどなく恵貞ケイテイがやって来て、「小さい子は寝る時間よ」と箑を部屋から連れ出して行く。
 そうこうする間に夜は更けゆき、ようやく家主が政庁から帰宅してきた。
「おお、戻ったか」
 毀棄は声をかけてきた管尚カンショウに笑顔で答える。
「はい。おかげさまで」
 二人は居間の椅子に腰かけ、
テン家軍は大河を渡る前に引き返したというが…」
「あ、実は…。僕、それを見届けずに滂水へ向かって…迫る北胡軍と駆けつけてきた維家軍が対峙するのに立ち会ってしまいました」
「おいこら。それはどういうことだ」
「どういうことって…そういうことなんですが。ああ、でも柳發リュウハツさんの見込みでは、当主様以下維家軍も数日で帰還できるだろうってことでした」
 甘侑も入ってきて話に加わり、
「なんだか出立前にもそんなことを言っていた気がするな。だからこそ維繋イケイ様もお望み通り出られて、義兄上あにうえとそれがしとで政務代行を仰せつかり、このところ日没前には帰ってこれんのだが。それにしても、彼のあの確信めいたものは何処からくるのだろうか」
「さあ…何なんでしょうね」
 言いかけてふと毀棄は思い出し、
「そういえば。僕らが居ない間に、ここで何があったんです?あれ、火事の跡ですよね?南西の…」
「ああ、つい昨日のことだ。もちろん兵火などといったものではなく、ここの住人の不始末から起きた火事だというが…それにしても瞬く間に燃え広がって、皆『あわや』と思ったそうだ」
「でも、そこで巨大な『水の蛇』が現れて、宙を飛んで炎にぶつかって行って、火を消してしまったんです。すごかったですよ」
 部屋の隅の長椅子に座って話を聞いていた管朔が言うと、
「水の、蛇…」
「我々は実際に見たわけじゃないが、そうらしい」
 管尚は席を立ち、
「このところ、よく分からないことばかりが起こるな。幸いにも大きな被害を受けずに済んだのはありがたいが」
「それがしも同感だな、義兄上」
 甘侑も、部屋を出ていく彼に続くように去っていく。居間に残るのは、管朔と毀棄だけになった。
「毀棄さん…」
「どうしたんだ、管朔」
「僕…あの水の蛇を操っていたのは、もしかしたら洪洵さんなんじゃないかと考えてるんです」
「…え?何それ」
 当然ながら毀棄は驚いて訊き返すが、管朔は神妙な顔つきのままで、
「これは多分僕しか知らないと思うんですけど…あの時、ちょうど僕らはこの邸の前で立ち話をしてたんです。そしたら、煙と炎が立ち昇って、皆が慌てて逃げ惑い始めて。洪洵さんは、『大丈夫だから、すぐ帰ってくるから』と言い残して、どこかへ駆けて行ってしまいました。そして、しばらく経って現れたのが『水の蛇』でした」
 何も言えずにただ耳を傾けている毀棄をちらりと見やり、更に続けて、
「でも、洪洵さんはなかなか戻ってこなくて、僕は甘達たちにも声をかけて彼を探しに出ました。ここには、大河の支流から水を引く運河がそん〈たつみ、南東〉にありますけど、そのほとりで気を失って倒れてる彼を見付けたんです。結局、洪洵さん…今日の昼前まで目を覚ましませんでした。一昼夜近く寝てたことになります」
「そんなことが…」
 沈黙が漂う。
「けど、洪洵さんがそんなすごい呪術を使う人外にんがい〈※人間以外のもの〉魔魅まみ〈※化け物〉だなんて、僕にはもちろん思えなくて…。だって、歌が上手な、調子はいいけど優しいお兄さんでしかないですもの」
「人外魔魅、か…」
 毀棄は、珍奇な術を事もなげに使う中庸界の面々を思い浮かべた。自身の知る限り、外見は普通の人間と何ら変わらないが、やること為すこと度肝を抜かれっぱなしだ。
(洪洵は…関係ないよな。きっと何かの偶然だ)
 そう信じることにした。
「ごめんなさい、こんな話して。僕の思い込みだと忘れてください」
 詫びを入れて一礼し、管朔は部屋を出て行く。毀棄も一つ息をついて立ち上がり、荷物を置かせてもらっているままの客間へと歩きだした。

『群雄列伝 下天の章・三 群雄割拠譚』篇ノ四 <前> 水精の申し子

※註:
 水精〈すいせい〉:水の精。

新姓・集、興る

 数日を置いて河西かせいもすっかり落ち着きを取り戻した十三日の朝、布告により官民が宮城の広場へと集まり始めていた。
「さあ、これをお召しくださいませ」
 甘侑カンユウの邸では、謹悌キンテイが至上の笑顔で真新しく立派な一揃いの装束を柳發リュウハツへと差し出した。
「お嬢様の婿君に…そして坊ちゃまの父君に、お粗末な格好などさせられません」
「…はい…」
 戸惑いながらも仕方なく、彼は渡された衣を着て部屋を出る。そして、この邸の一家が揃って正装に身を包んでいたことに驚いたのだった。
「お嬢様がお待ちです。早くお出かけくださいませ」
 謹悌は理由を尋ねようとする彼にそう言うと、半ば強引に送り出す。
「これは、どういうことなのでしょう…」
 首をかしげつつ問いかけるあによめ蝉娟センケンに微笑みかけ、
「良いのですよ、これで。さあさ、参りましょう」
「…どこへ?」
 尋ねる息子・甘達カンタツに、笑顔で返す。
「政庁の向こう…宮殿へ参るのですよ」
  *
 政庁を通り過ぎて宮殿の一室に入った家族は、どこか落ち着かない様子で部屋の椅子に腰掛けていたが、扉の開く音で立ち上がり、そちらへと顔を向ける。
「…当主様!」
 当主・玉鈴ギョクレイを知る甘侑や管尚カンショウは驚き、君主への礼をとろうとするが、彼女に留められる。
「いいえ、そのままで」
「どういうことなのでしょうか、当主様。我々だけでなく、妻や子供たちまで、このようなところへ…」
「自らの手で養い育てることが困難だった我が子を、本当の家族のように慈しみ可愛がってくださったあなたがたに、面と向かって、同じところに立ってお礼が言いたかったのです。一人の母親として」
 言い終えて彼女が扉のほうへ目配せすると、先に邸を出た柳發がソウの手を引いて入ってきて一礼する。
「彼らについては、改めて紹介するまでもないのでしょうが…わたくしの夫と長子です。これまで、ありがとうございました。そして、今後ともよろしくお願い致します」
 深々と頭を下げる彼女に、事情を知る謹悌を除いた面々は一様に驚いた。
「いえ、めっそうもありません。当主様にそのようにされては、我々も…」
 彼らについて既に知ってはいたものの、まさか当主自らにこうも深謝されるとは思っていなかった管尚が慌てながら答えるが、玉鈴は姿勢を崩さず、
「今のわたくしは当主ではなく、彼の妻であり、この子の母です。どうか、お礼を言わせてください」
 玉鈴は顔を上げると管家と甘家の子供たちへと歩み寄り、
管朔カンサク、甘達、恵貞ケイテイ。こうして夫がこの河西に越してくれることで、全てを明らかにしようと決めましたが、わたくしどもは何かと時間を取られがちです。これからも、今まで通りにこの子を弟と思って接してくれますか」
「はい、もちろんです」
 誰よりも先に元気に答えたのは甘達だった。これには母である謹悌も少し驚いた様子だ。
 続いて管朔も大きくうなずき、
「はい。僕たちもまだまだ未熟者ですが、模範となり頼れる心強い『兄・姉』になれるよう、がんばります」
 そして、黙り込んだまま伏し目がちに顔を少し背けている恵貞に、
「ほら、恵貞も…」
 しかし、少女は突然に瞳から大粒の涙をこぼし、
「でも…こうして本当のお父さんとお母さんが現れたなら、箑はもう、わたしたちの弟じゃないもの。遠くへ行ってしまうんだもの。そうなってしまったら、顔を合わせてもつらいだけじゃない…」
 泣き出した恵貞へと、箑が駆け寄ってその手を取る。
「遠くに行かないよ。毎日でも行くよ。めいわく?それとも…姐々チェチェ〈※姉、お姉さん〉は、ぼくがキライ?」
「う…ううん…」
「なら、泣かないで!ぼくも姐々が大好きだから。変わらないよ!」
 頬を寄せる幼児を、恵貞が抱きしめる。
「うん、うん…」
 一同は、ほっとしたように顔を見合わせる。
「さあ、次は河西の者たち…いえ、維領の全ての臣民へと夫君とご子息とを紹介なさる時ですよ、お嬢様」
 謹悌の言葉に、玉鈴がにっこり笑ってうなずいた。
  *
「当主様…何か不安なことでも?」
 周囲につられる形で貸し与えられた正装をまとった毀棄キキが、臣民の集まる広場へと向かう途中の玉鈴に声をかけた。彼女がまだ何か思い煩っているように見えたからだった。
「箑のことを、皆に何と紹介すれば良いものか…と」
「え…。あ、そういうことですか…」
 維領の臣民から見れば当主の子息なのであるから、おそらくは皆がこの地の当主であり母親たる玉鈴の姓を冠して「維箑イソウ様」と呼ぶのであろう。だが、彼女は無名の才子である夫・柳發と彼の家をも立てたいと思っているのを、毀棄は感じ取っていた。
「なら…こういうのはどうですか。当主様の姓・『維』と柳發さんの姓・『柳』とから、それぞれ一部ずつ取って合わせ、箑には新たに姓を興させるというのは」
「新たな…姓?」
「はい。『維』の右側と『柳』の左側を縦に合わせれば、『集』という字になりますよね。そんな具合に」
「新姓…集…」
 玉鈴はしばし考え込んでいたが、顔を上げて彼へと艶やかな笑顔を向ける。
「それならば、あちらもこちらも立ちますね。良い提案をありがとう、毀棄」
 こうして間近に立つと、才色兼備という言葉が実に相応しい、毅然とした美しい貴婦人である。夫も子もある女性なのだと知らなかったら、照れてしまって面と向かって会話など出来ないだろうと毀棄は思った。そして、
(ここの文官や武官の方々は、すごいなぁ…。いやしい考えも起こさずに、こんな女性を主君として働いていられるなんて…)
 違うことに感心してしまうのであった。
  *
 広場の北方に設けられた石壇に馬宗バソウが上り、集った臣民に高らかに告げる。
「東方および北方に迫っていた軍は退却し、当面の脅威は去った。だがしかし、時を改めてまた動きだすと思われる。もちろん我らも気を緩めることなく備えるつもりだが、皆にあっても心に留めておいてほしい」
 安堵する者たちへと、更に続ける。
「それから…この機会に、当主様が『皆へ紹介しておきたい者が居る』ということだ」
 彼の言葉で、青年に連れられて幼い少年が壇上へのぼる。二人の姿を見て、滂水へ従軍した兵士たちが騒ぎ出す。
「静かにせえ」
 馬宗は自らの部下でもある彼らを制し、
「私事でもあり、これまで明らかにすることは避けてこられたそうだが…当主様の新たな夫君とご子息だ。このたびの出兵に加わった者たちは、その目覚ましいまでの働きぶりについて既に知っていることだろう」
 もはや騒ぎは収まらず、より どよめきが起こる。
「ああ、分かった。驚いただろう、お前らも。正直、俺だってビックリした。あの維繋イケイ様だって例外じゃあない」
 唐突に名前を出されて維繋は不快げに顔をしかめたが、広場は喝采と笑いに包まれた。
「そうそう、お名前を」
 馬宗に促され、二人が一歩前に出る。
「私は柳發。そして、この子は私と彼女と双方の姓から一部ずつ取って合わせ、新姓・集を興し、集箑シュウソウと。以後、お見知りおきを」
 喝采の輪は更に大きくなる。
 維領の臣民に快く迎え入れられたと、柳發がほっとしつつ壇の片隅に立つ玉鈴に目配せする。彼女も大きくうなずいて笑顔を見せた。

『群雄列伝 下天の章・三 群雄割拠譚』篇ノ四 <前> 新姓・集、興る

※補注:
 非常に今更で申し訳ないのだが…
 夫君を「他人の夫の敬称」とするのは日本の用法で、中国では「妻が自身の夫を呼ぶ」敬称であるらしい。なので、家臣その他が柳發を「夫君」と呼んでいるのはいかにも日本的な使われ方であるらしいからして要注意。
 もっとも、全編を通してそういう事例がこの物語中には多いのだけれど…書いているのが日本生まれ日本育ちで中国史・中国文学を専門に学んだでもない人間だし、読み手としての想定も日本の人だから仕方ない(開き直り:爆)。

再会を約して

 同日、玉鈴ギョクレイは以降も甘侑カンユウの邸に逗留し続けている柳發リュウハツを自身のすまいに呼び寄せた。政務を終えて戻り来た玉鈴と、馬宗バソウら維家の武官・文官たちと今後について議論を戦わせていたらしい柳發。二人が当主の住まいである河西かせい宮城の北方奥に建つ宮殿の一室で顔を合わせる頃には、東の空に十三夜の月が昇っていた。
「話というのは何だろう」
 問われて玉鈴は近くの箪笥たんすに歩み寄り、扉を開けて以前彼から預かった西岳せいがくの邸の鍵を取ると、彼へと差し出した。
「あなたは約束を守ったのに、まだ返していませんでしたから…。これが無ければ、毀棄キキとの約束が果たせないでしょう」
「確かにその通りだが…良いのかな?私や彼らを領内から出しても」
「正直なところ、あまり宜しくありません。何か代わりに置いて行ってほしいものです、『約束の品』を」
 柳發は鍵を受け取り、自らの感情に流されることなく淡々と告げる彼女に微笑みかけながら、
「本当に私は信用されていないようだね。ここには何物にも代えがたい素晴らしい妻子が居る、それだけで充分だと思うけれど」
ソウはともかく、わたくしに代わりうる娘子ならば幾らでも居るのですから。あなたはまだ若く、見目よく優れて聡い郎子ろうし〈※男子の敬称〉…わたくしのような古い女にしがみつく必要もないでしょう」
「…玉鈴」
「何です?」
「あなたは実に指摘すべき欠点も少ない、とりわけ秀でた為政者であり貴婦人だ。けれども、あれもこれも自分でやろうとし、一人で背負い込もうとすること…そして、すぐに己を卑下すること。これらは非常によろしくない」
「それとこれと、どういう関係が」
「私が自分より年少の女じゃつまらないと思っているんだから、構わないだろう。何より、あなたは初めて会った時から変わっていない…良くも悪くも、ね」
 彼女へと一足近づき、
「毀棄が言っていたよ。『ここの文官や武官の方々は、すごいですよねえ。いやらしい考えも起こさずに、当主様のような美しい女性を主君として働いていられるなんて』と…。私も同感だ。この幾年、よくどんな男にもなびかず、変わらずに一人身で居たものだなとも思ったよ」
 彼の言葉に、玉鈴もようやく心からの笑顔を見せる。
「わたくしは、あの癸卯きぼう〈みずのと う〉の年の七夕の夜より西岳の才子・發の妻であり…何より、箑が居ましたから。あなたに面ざしのよく似た、あの子が傍に」
 言い終えると、そっと彼へ身を寄せる。
「家族揃って暮らせるようになるまでに、どれほどかかるのかしら…。早く戻ってきてくださいね」
 彼の所有する蔵書の量を知っているものの素直な思いを口にした彼女を、柳發は腕を伸ばして壊れものでも扱うかのように優しく抱き締め、
「出来るだけ早く。遅くとも、啓蟄けいちつの末候…薔薇しょうび〈ばら〉の咲く頃には〈※補注後掲〉」
 今が晩秋九月の中旬だ。おおよそ半年ほど先の話になる。
「分かりました。待っています…地中で春を待つ虫たちのように、慎み深く」
 何年もの間離れていた夫君の胸に頬を寄せ、玉鈴は祈るように目を閉じた。
 
 翌、十四日。甘侑邸は普段以上にせわしい夜明けを迎えていた。柳發や毀棄が西岳へ戻る旅支度を進める一方で、この家の女性たちも早くから起き出して何やら準備をし、日の出と共にどこかへ出掛けて行った。
 洪洵コウシュンは死んだように眠っていて、一向に目を覚ます気配がない。柳發は苦笑しながら、支度を終えた毀棄に話しかける。
「何かと私の勝手に付き合ってもらって済まなかったね」
「いえ、別に…」
「そうそう。訊いておきたいことがあるんだけど、いいかな」
「何でしょうか?」
「あの書庫の整理だが…私一人でやっていたら一年や二年かかるだろう。けれど、君や洪洵が居るから、半年もあれば終えることが出来ると思う。それ以降の話だよ」
「それ以降…」
の家は処分してきたから、今更帰るあてもない…そう言ってたよね?」
「ええ、その通りです。ほんと、手を入れず放置された耕作地は痛ましいものですから」
「ならば、私がこちらへ去った後のあの邸に住んでくれないか。山奥で難儀だとは思うが、小さな畑くらいはあるし…。何より、君にあの書庫を預かってもらえるのならば安心できる」
「え…でも」
 毀棄はすぐに答えを返せずに口ごもる。色々と思うところがありそうな様子の彼に、柳發は笑顔のままで、
「もちろん、今すぐに結論を出さなくて構わない。考えておいてもらえれば」
「はい…」
 そして、先日の一件以来ますます寝起きが悪くなった洪洵を持て余しているうちに日は高く昇りゆき、やがて婦人たちが籠いっぱいのちまきを抱えて帰って来た。
「良かった、まだ発っていなくて」
 蝉娟センケンは ほっとした様子で微笑んで、粽を幾つか取ると紙で包み、毀棄に手渡す。
「これは?」
「見ての通り、粽です。途中で食べてくださいね」
「粽…。いや、ありがたいんですけど」
 いまいち事の次第が理解できないでいる毀棄の横で、ふと柳發は思い当たることがあったので彼女に尋ねる。
「もしかして、華弼カヒツ殿のご夫人が作ったものですか」
「ええ、その通りです。慎芝シンシさんは、こういうのがお上手なのよね。『今回はこれまでに無いほどに沢山作りたいから、お手伝いが欲しい』と頼まれて」
「そうだったのですか…」
 通常ならば当主・玉鈴の朝の身支度の介助を終えて部屋を片付けるとすぐに自宅に戻るはずの謹悌も、この日は華弼の邸に立ち寄り、粽作りに加わっていたらしい。
恵貞ケイテイも、お手伝いに?」
 母・謹悌の後ろで籠の端を支えていた少女に目を留め、柳發はどこか申し訳なさそうに問いかけるが、
「いいえ、わたしは子守をしに」
「…子守?」
 娘に代わって、謹悌が話しだす。
「ええ、そうなんです。華弼さんのところではね、昨年の冬に女の子を授かって…そして、来年の春には二人目が生まれるのだそうで。いくら悪阻おそ〈つわり〉が軽くて峠を越えたと言っても、妊婦さん一人と家政婦のおばちゃん一人だけで何十人に振る舞うほどの粽を作るだなんて大変ですもの。話を聞いて、即、引き受けましたよ」
 結婚以来何年も子宝に恵まれずにきた華弼・慎芝夫妻であったが、昨年つまり丙午へいご〈ひのえうま〉の年の春に夫人の妹・珠簾シュレン河北かほくへ嫁いでいって間もなく夫人の懐妊が判り、冬には長女・杏林キョウリンが誕生していた。大方の予想通り、「よっぽど義妹に遠慮してたんだなあ。珠簾を嫁に出した途端に、おめでたで第一子誕生とは」と同僚諸氏にからかわれたらしい。そして今、夫人は二人目の子を身ごもっているという。
 そんな事情を知り、柳發はますます華弼と慎芝に気の毒なことをしたと思ってしまった。
「わたし、ずうっと箑の面倒を見てきたし、赤ちゃんのお世話なら出来るもの」
 恵貞が、少し得意げに胸を張って笑った。
  *
 洪洵もようやく旅装を整え、三人は甘侑の邸を辞する。
「管尚様や甘侑様にも、よろしくお伝えください」
 夫人と子供たちにお礼を言い、河西の宮城の南門へと向かう。その途中で、一軒の町家から急に幼子を抱いた若い女性が駆け出してきた。
「あ…詞藻シソウさん」
「洪洵くん?どこへ行くの?」
「なんだ、知り合いか」
「うん、まあ」
 婦人は軽くお辞儀をし、
「わたしは詞藻、木匠ぼくしょう〈※大工、指物師、彫刻家などをいう〉として働いております襄徳ジョウトクの妻です。この子が、とにかく彼の子守唄が大好きで…たびたび歌ってもらっていたんです」
「そうでしたか」
「この子が外をしきりに気にするので来てみたんですけど…」
 彼女は三人の出で立ちを見て何か気付いた様子ではあったが、洪洵はきちんと事情を話そうと、
「あのね、ボク…用事があって、ここを去るんだ」
「え…?それは急な話ね」
「ううん、実は最初から長居する予定じゃなかったの。ごめんなさい」
 途端、幼児が激しくぐずり始めた。母親があやしても、おさまりそうにない。柳發も毀棄も、困り果ててしまった。
翠雨スイウ…」
 洪洵は婦人の手から幼児を預かり、抱き上げるとその小さな背中をさすりながら言う。
「もう会えないわけじゃないよ。また、ここに来て歌ってあげる。だから、お母さんを困らせないで。…待っていてね、翠雨」
 ようやく幼子も泣き止み、母親の腕に戻される。
「では、失礼いたします」
 三人は再び大路へと歩きだした。

『群雄列伝 下天の章・三 群雄割拠譚』篇ノ四 <前> 再会を約して

※補注:
 啓蟄〈けいちつ〉の末候を薔薇〈しょうび:ばら〉の咲く頃とするのは、「二十四番花信風」という花暦に依っている。南宋のものだし、華中の気候基準らしいので、時代が地理がって感じはするのだが(自爆)。啓蟄の末候は陽暦3月16日頃、旧暦だと2月半ば頃になるだろうか。

西岳の書庫にて

 なかなかの駿馬たる晨風シンプウ白兎ハクトのお陰で、河西かせいを発ってより二日後の夕刻、柳發リュウハツ毀棄キキ洪洵コウシュンは何事もなく西岳の邸に帰着した。
 その日は、夜の帳が下りて十六夜月が昇るか否かのうちに眠りについてしまった三人であったが、翌朝から早速書庫の整理にかかる。
 来年の春までには、と柳發は玉鈴ギョクレイに話していたが、なるほど三人がかりでも何ケ月もかかりうるほどの山のような書物だった。
  *
「そういえば、柳發さん」
 書籍を開きながら、毀棄が言う。
「何だろう?」
「あなたは、麓の村の人たちには偽名というか別姓を名乗っていたのですね。でも、僕には本来の姓で名乗ってくれた…」
「ああ、ばれていたか」
 柳發が苦笑する。河西へと向かう途中で立ち寄った村の人々が彼を「劉發くん」と呼んでいたのだが、『柳』と『劉』とでは発音が微妙に違う。毀棄は気付いていたのであった。
「君がまたさとい人物だと私は見たものだから…嘘はつけない、とね」
 柳家は臣下であるイン家に打ち倒された、はるか昔の皇室の末裔。それを思ってのことなのだと感じた彼は、話をそこで切った。
「名前と言えば、君の名前もよく変わっていると言われるだろうね…『毀』〈こわす〉という姓に、更に『棄』〈すてる〉なんて名をよく重ねたものだね、とか」
 彼の名は天界の父が付けたもので、姓・名の別は無い。しかし、これを見聞きする下天の人間は、当然のように『毀』を姓、『棄』を名として取るのだ。
「ええ、よく言われました。でも、いいんです。僕はその程度の子だったのでしょうから」
 少し肩を落としつつ毀棄が返すと、
「いや、私はそうは思わないんだ。一見縁起でもないと忌まれるような字を敢えて名に選び、厄災を退ける『護符』としたのかも…」
「どうしてです?」
「子を思わぬ親は居ない、というのを身をもって知ったから…余計にね」
 毀棄は、しばしの間黙ってたが、
老師ラオシー〈※師匠、先生〉と同じことを言うんですね、柳發さんは」
「老師…?」
「ええ。孤児だった僕を拾い、学問を修めさせ、帝都に連れていってくれた御方…。僕にとっては、師匠であり育ての親であり、たいへんな恩人です。だからこそ、この名を変えずに今まできました」
 途端に、柳發の表情が変わる。
「…彼の名は?」
「え?楊匡ヨウキョウ様ですけど」
 その真剣な様子に、毀棄が内心驚きながらも平静を貫いて答えると、
「ならば…ちょっと来てくれないか」
 後に付いて書庫を進み、ひとつの棚の前で立ち止まる。柳發は一通の書簡を取り、彼へ差し出す。
「この筆跡に見覚えはあるだろうか」
 首をかしげつつ書簡を開いた彼の目が、驚愕に見開かれる。
「やはり、そうか…」
「そうか、って…。柳發さん、どうして老師の書簡がここに…」
「彼が私の舅父きゅうふ〈※母の兄弟〉…母方の伯父だからだよ」
 柳發は一つ息をついて続ける。
「伯父もまた、私たち柳姓の者と祖先を同じくしていた。『楊』という姓もまた、『ヤナギ』を意味する字だからね…。過去を恥じ入り改姓はしながらも、その心の核は変えたくなかった家系でもある。舅父は長いこと子女を授からず、夫人に先立たれたのもあって、この西岳の邸と書庫を私の両親にと譲り、旅に出た。十年余りの後に舅父がここに戻り来た頃には、父母も既に世を去って私一人になっていたが」
「では、老師は…?」
「ここに戻ってきた年の暮れに亡くなったよ」
「そう…でしたか」
 残念そうに肩を落とす毀棄に、続けて語る。
「でも…『旅の途中、素直で勉強熱心ないい子を拾った。嫌な顔をせず、何でも手伝ってくれて、あてのない長旅も楽しいものとなった。お前と年も近い若者だよ。こんなことなら、ここへ連れてくれば良かったか。そうすれば、この山中にお前一人きりとはならず、寂しい思いをさせずに済んだかもしれぬのに』と、そんなことを話していた。あれは君のことだったのか…」
「…不思議なものですね、人の縁というのは」
 彼のつぶやきに、柳發も大きくうなずいて返した。
  * *
 一日二日では進展も見えない。そこに、思わぬ援軍が現れる。
 書庫で起こった突然の物音に、自分たち三人しかここに居ないはずなのにといぶかりつつ、彼らは音のした棚を柱の陰から窺い見る。すると、そこでは道服をまとった青年が竹簡を細紐で繋いだ巻軸かんじく〈※巻物、書物〉を手に取って開き、懐かしげに眺めていた。
「こんな古いものを、いまだに大事に取っておいてくれる子孫が居たとは…なんとも嬉しい限りだね」
柳擶リュウセン様」
 知る者だったので思わずその名を呼んでしまい、はっと口に手をやった毀棄であったが、柳發には他にも驚くところがあったらしい。
「あなたは…」
「私は柳擶。中庸界の坤元洞こんげんどうに棲む方士…そして、君の遠縁にもなるかな。弟子から聞いてはいたけど、想像以上に私や兄弟たちに似ているね。何百年もの歳月を感じさせないほどで、びっくりしたよ」
「いえ、実は私も同じです。鏡を見るようとまではいきませんが、自分に叔父や兄が居たならば、きっとこんな感じなのだろうと…。ですが、そのようなあなたが何故ここに…」
 柳發の問いに柳擶は微笑み、
「お手伝いをしに来たんだ。そもそも、私たちの時代の遺物もあるわけだし…。妻子と共に正月を迎えるのが良いだろう?私が手を貸せば、今年の暮れまでには終わるよ。どうかな、悪い話じゃないと思うけど」
 三人は顔を見合わせるが、
「そうですか…。ならば、お願いします」
  *
 柳擶は、柳發や洪洵と離れて一人書物を開き中身を確認していた毀棄に歩み寄り、声を落として話しかける。
「毀棄様」
「何でしょうか」
「あなたは、既にお気付きのはずですよね」
 しばしの沈黙のあと、
「はい…」
 毀棄が目を閉じ、深く息をついて答える。
「陛下には申し訳ありませんが…僕は北胡の軍勢に弓を引いてしまいました。こうなった以上、人知れず平穏に過ごすのは難しいと思っています」
 柳發にはこの西岳の邸に住まい、自らの留守を預かってほしいと乞われた。しかし、洪洵も河西という地に自身を慕ってくれる子供たちが居るせいか、『いっそボク、河西の人になっちゃおうかな』などと口にすることがある。彼は洪洵を連れて柳發と共に河西へ移るという考えにだいぶ傾いていたのであった。
 柳擶はうなずき、数冊の書物を彼へ差し出す。
「では、これに目を通しておくが良いでしょう」
「何でしょうか、これは」
 受け取りながら尋ねる彼に、
「軍気の書です。あなたになら『見る』ことが出来るはず…知っておいて損はありません」
「軍気…?」
「はい。河下かかの城から昇っていた『黒き籠の気』などについて書かれている、と言えば良いでしょうか」
「あ…」
 鄒頌スウショウに連れられて行った先で見たものを思い出し、毀棄は背筋を正した。
 続いて、柳擶は柳發にも声をかける。
「君は彼にこの邸と書庫を任せたいとも思ったようだが、彼はどうもそれを望んではいない様子だね」
「そうですか…」
「もとより、彼を歴史の表舞台に引きずり出した君だ。彼がこんな山奥に納まるものだと思ってはいないだろうに」
 柳發はきまり悪げに黙り込んでいたが、
「ええ、その通りです。しかしながら…」
「何だろう?」
 彼は更に声を落とし、
「確かに私は空色の髪をもつ貴人の仰せを受け、ひなまで彼を探しに出、共に行動してきました。ですが、彼は私の舅父が慈しんだ弟子であり養子とも言える存在なのだと知った今、この先どうすれば良いのかという思いばかりです」
「さあ…どうなるのかは私にも分からない。最終的には、彼がどういう決断を下すかだろう」
「はい、おっしゃる通りです」
 しばしの間を置き、
「もし、彼が私と共に河西へ赴くと決めたなら…それはそれで心強いのですが…」
「この邸を打ち捨てるようで、父母や伯父に申し訳ないと感じているのか。まあ当然かな」
 ふっと柳擶は表情を緩ませて、
「常駐とはいかないが、私にもここを厄災から守ることは出来る。『その時』は、私が引き受けよう」
「なにゆえに、そこまで…」
 問いかけた遠い子孫に微笑みかけ、
「ここには、私の思い出の品もあるからね…。どれが、とは言わないけれど」
 そして彼の返事を待たず、棚の向こうへと去って行った。
  * *
「柳發さん、なんだかますます頼もしくなったなあ。父として夫として…ってとこなのかな」
 楽府がふの書をめくりながらそんなことを言う洪洵に、毀棄は少々面白くなさげな様子で、
「どうせ僕は頼もしくないよ、ひとりもんだし。それとも、僕にもさっさとお嫁を貰ってしっかりしろよって?」
「え?…あ…うん、多分…」
 今までの彼ならば「そうだよ、そうだよ!」と直ぐに請け合ったであろうに――
 首をかしげつつ、毀棄はひととおり目を通し分類した書籍を運び出していく。
 兄とも慕う彼の後姿が棚の向こうに消えるのを見届け、洪洵が溜息をつく。
(どうしたんだろ、ボク…。なんか、このごろオカシイ)
 見付かったら休憩中だと説明しようと決め、書庫を後にして庭に駆け出す。
「…嫌なの?彼が妻を娶るのだとしたら」
 木の陰でもう一度溜息をついたとき、不意にこれまで何度か聞いた声が問いかける。はっとして顔を上げると、あの夜、そして河西の宮城が火災に遭ったあの日、自身の前に現れた少女が立っていた。
「嫌って…どうして?哥々コーコがいいなら、いいじゃない。哥々も、それなりの年いった男だもん。結婚したって、おかしくないじゃない」
「そんなことは訊いてない。あなたがどう思っているか」
 一度目を伏せた少女が、鋭い目つきで彼を見据える。
「彼が、好き…だから、お嫁さまなんて貰ってほしくない。本当は嫉妬で狂いそう。…違う?」
 洪洵は息を呑むが、
「確かに、ボクは哥々が好きだよ。大好きだよ。でも、それとこれとは…。だって、ボクは…!」
「それは、あなたが気付いていないだけ…忘れているだけ」
 少女は、ふっと微笑むと右の手を差し出し、てのひらを空へ向けた。その上に、魚の幻影が現れる。
「黒鯛という、河を下った先の大海に棲む魚よ。年月と共に、雄から雌へと転換する…。けれども、全てが雌性に変わるわけではない」
「それが…どうしたっていうの」
「わたしたちも同じということよ。こんな姿はしていても、人間ではないということ…」
 手のひらを返し、魚の幻を消すと、
「あのね。父様は年頃になったときに、河を行く船のへりで歌う娘子…母様を垣間見て心惹かれ、そのまま男性として成人された。けれども…あなたはどうかしら?」
「どうって…」
 戸惑う彼に、少女が一歩近付く。
「選ぶことが出来るのよ、あなたは」
 驚き目を見開く彼へと、更に詰め寄り、
「哥々が大好きだから…他の女の人に取られたくなんてないから。彼に弟分ではなく夫人として添い遂げられるなら、わたしは賭けてみたいの」
「…キミ…一体…」
「わたしは、あなた。あなたの半分…雌性のあなた」
「そ、んな…ボクは…」
 立ちすくむ彼へと、娘が更に何事か告げようとしたとき。
「洪洵」
 柳發が、書庫ではなく邸のほうから現れて声をかけてきた。と同時に、彼女の姿も消えていた。
「こんなところに居たのか。茶を淹れたから、休憩して」
「え…あ…でもボク、今も抜け出して休んでたとこだから、もう少し」
 書庫に戻りかけた彼に、
「いやいや、一緒にどうぞ。冷めたら美味しくないよ」
「…はい」
 柳發に促され、邸へと歩き出す。
「何か、心配事でもあるのかな?」
「え…っ」
 彼は鋭い勘の持主だ。もしかして、気付かれてしまっただろうか――
「ううん、ちょっと。でも大したことないから平気」
 懸命に取り繕いつつ、洪洵は返した。

『群雄列伝 下天の章・三 群雄割拠譚』篇ノ四 <前> 西岳の書庫にて

それぞれの道

 その後何事も無くノヤンに帰還したヤッサ以下北胡の将兵たちは、既に来たる年を見据えていた。
 冬の寒さがいよいよ厳しさを増す中、首長の住まうゲルを訪れた者があった。敷物に座り、広げた地図を見つめる若き王に、褐色の髪を粗く束ねた男が言う。
「あれは所詮予行演習…最初にそう言ったはずだし、皆も了解していた。いまだに気に病んでいるわけではなかろうな、ヤッサ」
「いや…。だが、今回のことで塀の南に恐れを抱いた者も…進出を目指そうとする我々自身に疑問を持った者も少なくないだろう。そうは思わないか、フヘデ」
 河北を包囲していた別隊の将兵たちは、鼠一匹・小雀一羽すらも、そこから出る者を見逃していなかった。にもかかわらず、渡誼橋とぎきょうに立ちはだかった漆黒の駿馬を駆る四、五歳ほどの子供に、光の飛礫つぶて。そして、二千に満たない数とはいえ、時をおかず駆けつけた河西かせいよりの騎馬隊。更には、向こう岸から撃ち込まれた、着地して炎を上げる奇怪な矢。将兵を不安にさせるには充分すぎるほどだ。
「確かに。だが、恐懼きょうく〈※おそれる、おどおどする〉こそが最大の敵だ。己の内に在る敵をねじ伏せねば、次は難しいぞ」
「分かっている」
「なら、いい。将兵と民とを鼓舞し奮起させ一つにして事に当たらせるのも王の仕事だからな」
「それに…次は別の経路を使う」
「なるほど。との関わり合いは避けようという計算だな」
 うなずくヤッサに、フヘデは不意に普段の険しい顔つきを緩ませ、
「一体何があったと言うのだろうな。あれほど『塀の南になんて興味無い』と言っていたお前が」
「俺にも良く分からない。ただ、これが今 王たる自分の為すべきことだという使命だけで動いている感じだ」
 フヘデは目を細め、言葉もなくゲルから出て行った。
 
 晩冬〈※旧暦十二月〉に入り、書庫の整理も目処めどが立って柳發リュウハツが河西へ発つ時期もはっきりし出すと、自身の任務は終えたとでも言うように、柳擶リュウセン西岳せいがくの邸に姿を見せなくなった。そんな時だった。
洪洵コウシュン、具合でも悪いのかい」
 体調がすぐれないように見えて柳發は声をかけるが、
「ううん…もう少しなんだもん、怠けてるわけには」
「いいよ、無理しなくて。部屋で横になっておいで」
 少年の肩を叩こうとした彼の手が、何にも触れることなく降りていく。
「洪洵…!」
 倒れかけた か細い少年を慌てて抱きとめた柳發は、その体の熱さに驚く。
「すごい熱じゃないか!」
 急いで邸に抱えて戻り、寝台に横たえ、外の井戸で汲んだばかりの冷たい水で濡らした布を額にあてがうと、
「ちょっと待っていてね」
 再び邸から出、書庫に立ち寄って毀棄を呼ぶ。
「毀棄。近くの村まで行ってくるから、その間洪洵を」
「え?あいつが何か?」
「高熱を出しているんだ。ここにあるような薬では…」
「いいえ。わたしが来ましたからには心配無用ですわ」
 突然に話に割り込んだ声の主へと視線を向けた毀棄は、自身の知る者だったがために、またもその名を口にしてしまった。
「…景瑛ケイエイさん」
「わたしは養寿庵ようじゅあん方姑ほうこですもの。薬と医術についての素養は、ちゃんとございます。ええ、その辺の町医者以上には」
 にっこり笑って一礼すると、彼女は洪洵が臥せっている部屋へと向かい、その枕元に椅子を運んで腰掛ける。二人も後に続くが、柳發は戸口で立ち止まった。
「ほんとうに、ひどい熱ですわ。このままでは体力の消耗が」
「何とかなりそうですか?景瑛さん。僕たちに何か出来ることは…」
「落ち着いてくださいませ。まずは、原因を探ることからです」
 ぼんやりする意識の中でうっすらと目を開いた洪洵が、自身の腕を取りこちらを見つめる類稀なる美貌の少女と、その背後に立つ毀棄との姿をとらえる。
(哥々、こんなキレイな人と知り合いなのか…。勝ち目、ないよ…。ボク、今のままでいいよ…)
 諦めたように心の中でつぶやく彼を、もう一人の洪洵が叱り飛ばす。
『駄目よ、自分に嘘をついちゃダメ!もう始まってしまっているのよ…引き返すことの出来ない「変化」が。この高熱が動かぬ証拠よ…。だから、お願い。逃げようなんて思わないで!』
 診察をひととおり終えても答えが見つからずに迷う様子の彼女に気付き、毀棄が尋ねる。
「あなたであっても分からないものなのですか?」
「はい、申し訳ありませんが…。こんなの初めてです。ごめんなさい、御力になれなくて」
 肩を落とす景瑛が、ふと顔を上げて、
「ああ、でも奶々ナイナイでしたら…」
「奶々?」
「はい、わたしの先生です」
「バーカ。奶々だってムリだよ、それは」
 またも、突如話に加わった者がある。
鄒頌スウショウ様」
「無理ってどういうことですか?鄒頌さん」
「まあ、細かい説明は敢えてこの場ではしませんけど…これは疾病とは違う次元で起きているものだってことです。もう親許へ連れていくほかありませんね」
「お、親許?でも、奴は自分を身寄りのない天涯孤独の身って…」
 毀棄は驚き、思ったことをそのまま口にしたが、
「本人が忘れてるだけですよ。ま、親父様もだいぶ放任というか、修業の旅に出させた感はありますが」
 言い終えると、鄒頌は熱にうかされたままで意識もはっきりしない洪洵を小脇に抱え、ずかずかと部屋を出ていく。
「とにかく、ここに置いといてもいいことはありません。あとは俺がちゃんと送り届けておきますから」
「ちょ、ちょっと…鄒頌さん!」
 引き留めかけた毀棄の左手は、一歩早く彼が遁甲とんこうで消え去ったために何も掴むものが無く、宙を泳ぐばかりだった。
「わたしが事の次第をお聞きして、またご報告にあがります」
 急いで立ち上がり、扉を押し開け庭へと駆け出した景瑛の背姿も、冬の陽光に すっとかき消えた。
 取り残された二人は、ただただ呆然としていたが、
「あいつのことは景瑛さんを信じて待つとして…作業に戻りましょう」
 毀棄がそう言うので柳發もうなずき、再び書庫へと向かった。
 
 新年まで十日を切った、晩冬の下旬。柳發は邸と書庫とに二重に鍵をかけ、毀棄と共に西岳を発つ。
 主が不在となる邸を垣根の手前から言葉なく振り返る彼らの前に、突然ふわりと土煙が上がり、一人の青年が姿を現す。
「柳擶様」
「いよいよ旅立ちのようだね。妻君と子息も喜ぶだろう」
 柳擶は驚く二人に笑みを向け、
「大丈夫。先頃約束した通り、ここは我が名にかけてあらゆる厄災から守ろう。既に、細工はしてあるよ」
 彼が指を鳴らすと、庭の四隅から微かな光が昇った。
「書籍や建造物といったもので最も恐ろしいのは火災だが、地震、水害、落雷…そして人災と。想定しうるものには、これで対応出来る」
「ありがとうございます。何とお礼を申し上げて良いか」
 柳發と一緒に毀棄も頭を下げ、
「すみません。僕があの話を断ってしまったばっかりに…」
 しかし柳擶は笑顔を崩さず、
「いやいや。私にとっての『宝』でもあるわけだから…次の時代へと引き継いでいかねばね」
「はい」
 もう一度深々と礼をして、跨る白兎を促し麓への道を下り始める柳發の後に、毀棄も晨風の脇腹を軽く蹴って続く。柳擶は何も言わず二人を見送る。
(『巨星』が動いた…。以降、下天の動きはより予断を許せなくなりそうだ)
 思いをめぐらせながら、その背が坂の向こうへ消えるのを見届け、杖で大地を打つ。土煙が去れば、西岳の奥にひっそりと建つ邸の周囲に人の気配はもう無かった。
 
「ちょいと、景瑛。己の服まで縫い込んでどうする」
 老女に指摘され、養寿庵の一室で縫物をしていた景瑛は慌てて答える。
「あ、あ…ら、本当。わたしったら、また」
 養寿庵の主である鼎俎奶々テイソ ナイナイは困ったように眉をひそめ、
「お前、最近ずっとそんなじゃないか。何かあったか」
「いえ…」
「ウソは良くないな」
 景瑛は、老婆が自身を心配してくれているのだと思い、正直にうなずく。
「はい…。あったといえば、ありました」
「あたしに聞かれちゃ、困ることかい」
「いいえ、そんなことはありません」
 彼女は師であり育ての親でもある老婆に向かい、
「奶々。わたしは、どうすれば…何とお伝えすれば良いのでしょう」
「何をだね」
「毀棄様…創草王のご子息様が弟のように思い、共に暮らしてきた子のことです。鄒頌様が、『親許に返すほかない』と言って、高熱にうかされる彼を毀棄様の許から担ぎ出して行って…わたし、後を追ったのですけど、大河から離れた鄒頌様は既に彼を連れていませんでした。問いただしてはみたのですが、『父親たる河伯カハクのところに届いてるはずだ。そんなに心配なら、水底にある河伯の宮殿に会いに行ってみればいい』としか」
「河伯の…?」
「はい…」
「そうか。お前は責任感が強い子じゃから、己の目で確かめてからと思っておるのか」
「その通りです。でも…」
「何じゃ。河伯ならば、我ら中庸界の者にも友好的に接してくれる。何なら、あたしからの書状でも持たせるかい」
「いえ、それが気がかりなのではなくて…鄒頌様の『ただし、ビックリすると思うがな』という言葉が引っ掛かって。ご報告できないような事態になっていたらと…どんな顔をして毀棄様にお伝えすれば良いのかと」
 景瑛は大きな溜息をつくが、
「でも、いつまでもこんな状態でいてもらちがあきません。大河の『水底の宮』へ参ろうと思います」
「そうか…気を付けて行っといで」
 
 出立から二日の後、柳發と毀棄は無事河西かせいに辿り着いたが……
 馬たちを宮城に入ってすぐの厩舎に預け、甘侑カンユウの邸へと向かう途中、突然に若い女性から声をかけられる。
「もし。あなたがたは、洪洵くんの…」
「はい?」
 初対面ではない。記憶を辿って思い当たり、
「あなたは確か…詞藻さん」
「ええ、そうです。彼は一緒ではないのですか?」
 毀棄は、しばらく黙り込んでいたが、
「あいつは…親許に帰りました。元気にやっているそうです」
「親御さんの、許へ…?」
「はい…。すみません」
「いえ。わたしこそ、すっかり当てにして頼ってしまって。引き留めてしまいましたね、ごめんなさい」
 婦人がすまなそうに何度もお辞儀するのを背中で感じつつ、二人は歩きだした。
  * *
 一方。景瑛は毀棄が河西へ至る前に伝えるべきことは伝えたものの、胸が塞がるような思いのままだった。
 必死に笑顔を作り、何事も無かったように、
「お会いしてきました。もう熱もすっかり引いて、元気そうにしておりました」
「あの…彼は今、どこに」
「大河と縁深き所です」
 訊かれたことに、それとだけ答えた。
(とても言えませんわ…)
 彼が洪洵をどれほど気に掛けているかが分かるだけに、自らが見聞きした全てを語ることは出来なかった。
(あんなに…兄とまで呼んで慕っていた御方のことさえ忘れてしまうなんて…)
 彼女は、心を決めて河伯の許を訪ねた。そして、すっかり過去を捨て去り、姿ばかりか内面すらも完全に別者となってしまったかのような洪洵と―今は河伯・洪衛コウエイの息女たる洪汀蘭コウ テイラン、のちに『河伯』を継ぐ者としての娘子と対面したのであった。もちろん、少年のなりをしていた当時の面影も残ってはいるのだが、一目では分からないほど麗しい娘へと変わっていた。
 中庸界の養寿庵近くの菜園で、苗の根本に藁を敷きつつ溜息をついたとき、
「景瑛」
 不意に呼ばれて顔を上げると、鄒頌が立っていた。
「鄒頌様」
「面倒なことに巻き込まれたなあ、お前も」
「いえ、わたしはいいのです。ただ、毀棄様の御心を思うと…」
 うなだれる景瑛を見て、鄒頌はどこか慰めるように、
「別に、河伯の息女も悪気があって忘れちまった訳じゃない。何かのキッカケがあれば、思い出す可能性もある。ただ…父君たちは喜ばないかもしれないな。せっかく戻って来た跡取りをまた外界に出すなんて嫌だろうから」
「はい…」
 河伯にも「どうか、あの子を刺激しないでいただきたい」と求められた。主君の大切な継嗣にかしづき、嬉しげに世話を焼く従者・鯉翁リオウ亀嫗キオウの姿も目にした。双方の思いが分かるだけに、景瑛には辛いばかりだった。
「そんなこんなで、下天では丁未ちょうみ〈ひのと ひつじ〉の年が終わる…。来年は、どうなるかね」
 二人が見上げる空は翳り、やがて白いものが舞い降り始める。
「雪ですわ…」
 中庸界に降る雪は、野を山を、全てを白く染めていく。
  * *
 予想よりも数ケ月早く戻り来た夫に、玉鈴ギョクレイは喜びを隠せない。
「家族三人揃って新年を迎えられるなんて、夢のようです」
 宮殿とは言うが、当代当主の嗜好で豪勢な装飾や華美さはない。しかし、かえって柳發は安心した。毀棄も客や居候ではなく少年たちの学問と礼法の教師として甘侑邸に住まうこととなり、当座身辺の人々の件で思い悩むことは無くなった。
「玉鈴…これを」
 柳發が、折り畳んだ綺羅の布を差し出す。受け取って開いた彼女は少し驚いたふうであったが、
人日じんじつ〈※五節句の一。陰暦一月七日のこと。補注後掲〉には、これを挿したらどうだろう。母君から受け継いだ、大切なものだと聞いたよ…節句のたびに必ず髪に挿し、亡きご両親を偲んでいたと」
 優しく笑み、彼が続けて語りかける。
「本当は、もっと早く…秋にここを発つ前に渡すことも出来たはずの物なのだけれど、これを見れば早く片付けて河西に赴こうという励みになるかと思って、一緒に持ち帰ってしまった。すまなかったね」
 玉鈴は小さく首を振ると目を潤ませ、
「そう、これは母がわたくしにと伝えてくださったこうがい…節句にはいつも髪に挿していたからこそ、あの七夕の日にも身につけていた物。ありがとう…發」
 丁未の年も、残るは数日。来たる年に何が起こるか、まだ誰も知らない。だが、この河西の一角にあっては希望と喜びの中で新年が訪れることを予感させていた。

『群雄列伝 下天の章・三 群雄割拠譚』篇ノ四 <前> それぞれの道

※補注:
 五節句とは一年間の重要な五つの節句のことで、一月七日・人日〈じんじつ〉、三月三日・上巳〈じょうし〉、五月五日・端午〈たんご〉、七月七日・七夕〈しちせき〉、九月九日・重陽〈ちょうよう〉。

* * *

以上、篇ノ四<前>…すなわち、本編本文を書いた箇所全てを再掲したこととなります。
そういえば。一般的に弓は左手で持ち、矢を持った右手で弦を引きますが、毀棄は逆になっています。これはミスではなく、彼が右利きでなく左利きであるという設定を反映したものです。どうして左利きにしようと思ったのかは、今となっては筆者自身にも分からんのですが(墓穴)。ちなみに、どうでもいい補足事項ですけど、日本の座敷からくりの最高傑作と呼んでいいであろう『弓曳童子(弓射童子)』は、矢を持った右手はほとんど動かず、弓を持った左手を前へ出すことで弦が張られた状態を作りだして矢を発射する構造のように見えます…その方が実現性が高かったのかもしれないとも思ったり。。
それにしても文官の奥様方が朝から集まって粽づくりしてるっていう河西のアットホームかげん(悪口ではない)…あ、いや、名前が挙がっていないだけで、もしかしたら馬宗ら武官の奥様方も手伝いに行ったのかもしれないし(苦笑)。役人の妻であっても家庭的なのは、帝都ではなくあくまで地方の有力氏族の在地だからなのか…。。

そして以下、キャラデザ画を兼ねた、どうでもいい内容の1P漫画を2本ほど。どちらも何故か微妙に艶笑系(墓穴)…いや本編本文ではあまり羽目を外しすぎることは出来んので、筆者自身こういうところで息抜きしてたとも(何気に自爆)

おまけまんが(篇ノ四「陥険の抗争」より)

2コマ目右が馬宗バソウ、左が弟・馬鑽バサン
4コマ目で更に増えて文官・華弼カヒツ、一番左は維繋イケイ…となります。
一般論として文句なしに文武両道のイケメン、しかも非凡すぎて抜け目ない柳發リュウハツなのだが、なんか妙なところで抜けていたりズレていたりする(苦笑)。
そうそう、これ描いた頃はまだ楽太郎さんだったんですよね圓楽さん…笑点への復帰を待っていたけれど叶わず…御冥福をお祈りします。。

おまけまんが(篇ノ四「西岳の書庫にて」より)

そんな本に関し、姉・水月スイゲツに「僕はこれを読んだほうがいいんですか止めたほうがいいんですか!?」と心の中で訊いてしまう…こういうところが、毀棄キキはなんだかんだ言っても生まれも育ちも良い証拠な気がする(苦笑)。
結局、彼がそれを読んだのか否かは不明なままだけど(爆)。
柳發の遠い親戚にあたる方士・柳擶リュウセンもまた文武両道のイケメンなんだけども、この御方もなかなか色々あるよなと…。
実を言うと、不空フクウに関しては現在の家の者たちは直接の血縁にある実の子孫にあたるのですが、柳擶の場合は結婚し子供をもうけるより前に中庸界に入って方士となっているので、柳發など現在の下天に居るリュウ姓の者および柳家から分かれた楊姓の者(柳發の伯父で毀棄の師である楊匡ヨウキョウとか)は直接の子孫ではなく、自身の兄弟の子孫であり。ただ本文中でいちいち「兄弟の子孫」と述べるのも長いかなと思い…。
つまり柳擶は皇子だったんだなと…出自も才能も容姿も、どれもこれもに恵まれたプリンスながら、かえって虚しくなって中庸界に入ってしまったと(微笑)。。

1P漫画というと、こんなのもあったなと…

旧個人ホームページのキリ番御礼イラスト

伝渥テンアク桓娃カンアイを現代風に置き換えて描き…同じ雰囲気のままにオマケまんがも(苦笑)↓
筆者による自己ツッコミの激しさよ…(墓穴)

玉鈴ママに無駄に対抗心を抱く桓娃(苦笑)

次回以降、下天の章 第三部・群雄割拠譚よりも前の時代の物語的な外伝を再掲し、ヘッダーに使用のタロット絵の解説を述べて、人名録を載せ・・・その後で、以降書こうと思っていた展開の概略を述べて、この『群雄列伝』の拙作語りは終えようかと。そのような予定でおります。。

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