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拙作語り㉒~『扶桑奇伝』『Secret Base』の繋がり、その2

始めに断っておくと、「『扶桑奇伝』『Secret Base』の繋がり、その1」は、過去記事「拙作語り㉑~扶桑奇伝、更に追記(裏話)」に相当します(爆)
現代学園短編連作小説『Secret Base』の主要登場人物の造形に関し、過去の拙作『扶桑奇伝』中のキャラのイメージ・設定を流用している話は、過去記事でも何度か書いていて、この拙作語り㉒では、「あかね斉璽せいじ(『扶桑奇伝』)と咲良さくらいつき(『Secret Base』)」について掘り下げます。
その1(=「拙作語り㉑」)同様にネタバレがありますので、目下公開中ステータスの『扶桑奇伝』本編本文をこれから読もうという気持ちが少しでもある方は、ちょっと待った方がいいかもです。。
あと…この記事は、いつになく画面がすこぶる縦に長い長文なので要注意です。。

『扶桑奇伝』での二人

少女忍者・茜は、極初期から主人公・兵衛ひょうえと共に行動し、情報収集など自身の技能を活かしつつ彼に協力しながら各地を旅し。
 
各地の争乱勃発の裏にある「何か」が見えかけたところで、久しぶりに彼女が生まれ育った忍の里に戻ってみると違和感しか無く、里長・まさきの許へ駆け込み事情を問えば、この里の忍であるしきみが許しのないまま里を出、ならず者を集め凶行に走っている、という。
樒は、彼女にとって優しく気のいい兄のような先輩の忍であり、
「そんなはず…!」
と動揺する彼女に、彼女を追って里へやって来た旅の同志の一人で占者の白菊しらぎくが、
「『うしとら(※北東。鬼門とされる方角)からの禍星まがぼし』…これに皆惑わされているよう」
「今までのことをたどると、善い人が何かをきっかけにして『狂っていった』のが多いと感じたの。そして、その全てを貫くのが『艮からの禍星』…北東のほうから飛んだという流星」
と告げる。
(樒はきっと何かに狂わされている。だけど、何に狂わされているのかが分からない。だから、どうすれば元に戻せるのかというのも分からない…)
茜は冷静に状況を整理し、
今為し得る、彼を止める手段はただ一つ。文字通り、彼ごと『鬼』の息の根を止める…彼ごと葬り去ること、それしか無いのだと悟り、
(せめて、あたしのこの手にかかって討たれて。それが、あたしに出来る、せめてもの……!)
と、悲壮な覚悟を胸に、里長の邸を飛び出して行く。
 
里長が、白菊と兵衛とに「剣技、術、敏速さ…互いにどちらも譲らぬ子らです。正面からぶつかり合えば、死闘になるのは目に見えております。どうか、あの子らを…」と願い出たのが必然であったかのように、茜と樒という同郷の忍二人の戦いは熾烈を極め、

 どれほどの時が、鍔迫つばぜり合いする間に過ぎたのだろう。
 彼は彼だ。いや違う、彼はもう彼じゃない――幼馴染おさななじみと刃を激しく打ち合わせては退き、追い、また叩きつけるの繰り返しを、どれほど続けたことか。
(終わりに、しなきゃ…)
 これ以上は限界だ。隙を見せることとなり、こちらも大怪我では済まなくなる。
「もう動けないか?」
 背後に近付く気配。茜は素早く踏み出すと木々の間を縫って跳ぶ。ほんの一瞬、彼女が勝った。振り返り体勢を戻しかけた彼の首を薙ぎ、立て続けに胸を刺し貫く。刀を抜いて跳び退き、再び構えを取って注意深く様子を窺う。
 力なく地面に崩れて倒れ伏す青年を、言葉もなく見つめる。
 まさに虫の息。だが、彼の口が微かに動き、何事かを紡ぐ。
「あ……あか…ね…なの、か?」
「えっ!?」
(そ…そんな…!)
 先程とは、まるで違う声音こわね。茜は迷わず駆け寄り、彼を抱き起こした。
「樒…?」
「そうか…茜か…」
 青年が、目を細める。
「オレ…何やってたんだ…ろう、な…」
「お、覚えてる、の…?」
「酷かったよな…地獄行き…だよ…な…。お前にまで、刀を振るうだなんて…本気で殺そうとするだなんて…ありえねぇ…」
 なんと残酷なことだろう。何者かに『操られていた』はずなのに、記憶は確かに残っているのだ。
「樒…もういいよ、もう…いいっ…て」
 茜の頬を幾筋もの涙が伝う。
「だけど…最後に、お前に会えて…良かっ…」
 青年の言葉は、そこで途切れた。
「樒…樒!?」
 答えは、無い。
「樒…」
 つい先程まで確かに息のあった…だが今は違う『彼』を抱き締め、茜はただただ泣いた。

(『扶桑奇伝』「夕暮」章 より)

 樒の亡骸を思い出の丘に埋葬した後で、茜は仲間たちの許へ戻るのだが。
彼女は、切り落とした自分の髪を尽きることのない涙と共に彼の墓へと置き残し、再び里を後にするのである。
 
そして、絶体絶命の危機の後、一行は命拾いするも各地へ散り散りとなるが、茜は自身の郷里の傍で気を失い倒れていたところを里長に発見されるも、高熱を出して何日も寝込むことに。
兵衛たちは、それを「この里であった、あの一件のことを、きっと茜はずっと我々に隠して胸中で苦悩し続けてたんだろうな」と思わずにはおれない。
仲間たちが訪ね来たときにも茜の高熱は引いておらず、治癒術に秀でた瑞樹みずきの力で元気を取り戻し、再び旅に加わることに。
 
再集結をほぼ果たした一行は、動静落ち着かぬ世情から都から少し距離を隔てた里邸で暮らす王女・巴に会い、王女から「もし、出雲で本当に何事か起こっていたならば…出雲宮の者たちに力を貸してあげてください」と乞われ、出雲へと向かう。
 
その出雲で出会うのが伝説の大蛇の姿を借りた「災禍さいか」であり、周辺の里を守るべく怪物の動きを封じ続ける出雲宮の関係者で。その最高祀官というのが、祖母の死去によりわずか八歳で大宮司職を引き継ぎ、このとき十六歳の少年・斉璽であった、という。
彼を遠目に見た茜は、不幸な死を迎えた同郷の忍・樒の面影を重ねてしまい(それは兵衛も客観的に「(斉璽と樒とは)面差しがどことなく似ていた」と認めている)、何事もない風を装いながらも、彼と相対し会話するのにはどうにも意識しすぎてしまうところもあり。
一方で、斉璽には顔も知らない「産みの母」の存在があり、母が形見に残していった巻物というのがどうやら忍者の心得書であることから、「自分の母親は忍の者だったのでは」と考えており。だからこそ、母の形見の巻物を見せたときに「これ…似たようなの見た覚えがある」という顔をした、おそらく母と同類のくノ一である茜に寄せる思いは強くなり。
過去記事・ブス論の中での話ではないが、欠けた部分をもつ同士のほうが引き合い埋め合おうとする力は強いのだろうと。そういう意味では、後で眞楯またてが評するがごとく、

「今のあの子たちは、相対して真正面から向き合っていながら、お互い違うところを見ているような印象を受ける。互いに、別の何かを追い、思いを叶えるために惹かれ合うとでも言うような」
 茜は、あのとき途絶えた樒の未来を。斉璽は、光の下で父と並び立ち睦まじく暮らすことのなかった母の姿を。二人はそれぞれに思い、相手に重ね、実現できるものならと心のどこかで追っている――

(『扶桑奇伝』「終章~光の章」 より)

…ということなのだけれども。
後日、母の形見の巻物の件で、斉璽は里長・柾と話す機会をもち、その時に彼が柾に語る言葉こそ、茜に火の霊性を振り分けたことと深い深い関わりが……

「茜さんは冷たく暗い闇の中に在っても自ら辺りを照らし温める炎のような人で、僕にとってはまぶしいくらいに感じられます。ですが僕は、彼女に光を放ち続けるために大切な何かを無為に消耗させて欲しくない…光の下で、僕の傍で、穏やかにその心の灯をともし続けて欲しいと願うのです」

(『扶桑奇伝』「終章~火の章」 より)

この言葉に、柾は「全くもって、茜の本質をよく見抜いておる」と感服し、茜にとって彼と共に在ることはきっと幸せへ繋がるのだろうと感じ、「(あなたさまが茜を本当に妻に迎えたいと望まれるのならば)私に出来うることはいたしましょう」と告げて去るのであり。
里に戻ってきた茜を捕まえて行儀作法からみっちり仕込み直す…という展開に(そこは本編には書いてないのだけど:汗)。。

『扶桑奇伝』には多くの夫妻・恋人たちが登場し、その関係性も様々なのだけれど。ドラマ性では結構上位ではないでしょうか…少なくても、互いに惹かれ合う強さが違うし、相手の素の魅力だけでなく、その裏というか先にあるものゆえに、より「離したくない、叶えたい」と思い続けるところが。。

『Secret Base』での二人

過去記事で何度か触れているように、『Secret Base』のメインキャラと『扶桑奇伝』のメインキャラにはキャラ造形の相互関係みたいなものがあり(汗)
 扶桑奇伝  Secret Base
  茜   → 石動咲良いするぎ さくら(デル・リオ)
  斉璽  → 祝部斎ほうり いつき(ベイツ)
という図式が成り立ちます(爆)。
咲良には大学生の兄・直樹なおきが居ますが、それは樒のイメージから付けたもので。こちらでは兄妹ずっと仲良しでいてほしいと。。
それと、こちらの話では斎からみて魅羽みう(『扶桑~』の瑞樹みずきに対応)が従姉いとこという設定になっていますが、それは斉璽と瑞樹が同じ人物を共通の先祖とする遠い親戚だからです。だいぶ近くなりました(爆)。そして、家が神社というのもそのまま継承という形に(汗)。ちなみに彼の家族が神職をつとめる筑波八重垣神社は実在しないネーミングのはずです…「ここ」というイメージモデルは存在しますけど(さらに汗)
 
彼らの出会いは高校入学時。

 平成20年度入学式当日(4月7日)は、春の嵐という言葉では片付かないほど大荒れの天候に見舞われた。新入生の一人である祝部斎ほうり いつきは、入試時の成績が一位であったとかで入学式の式典に新入生代表として引っ張り出され、余計に気が滅入っていた。
 全校ならび父兄の前に、『入学者席次一位の生徒』の看板と共に晒されてしまった。今後幾度となく受けることになる校内の定期試験や校外模試で、それなりの成績をとれなければ「入試のはマグレだったのか」という目で見られるに違いない…。そう思うたびに、ため息が出てしまうのだった。
 天気も回復した、入学式翌々日。下校時、校庭の桜の木の下でふと立ち止まる。盛りを過ぎつつあったところに一昨日の風雨で、あらかた散ってしまった桜の花を仰ぎ見た。出会いと別れの季節である春に美しく咲き誇り、慌しく散っていく薄紅色の花。桜がひときわ日本人の心に響くのは、そんな事情もあるのかもしれない。彼にもまた、春という季節…そして桜にまつわる思い出があった。
(さくらちゃん…)
 桜咲く季節がめぐりくるたびに思い出す、おさななじみ。幼稚園にあがる前のある冬の日に突然現れ、その数ヶ月後、桜の花が開き始めた頃「さよなら」も言わずに消えた女の子。三歳くらいのことで、克明な記憶は無い。覚えているのは、自分と同じか少し年下の子だった事と、「さくら」という名前だけ。けれども、彼は彼女と二人、筑波八重垣神社の境内を駆け回って過ごした幼い日々を忘れられずにいた。それは、本人は気付いていないかもしれないが、きっと島崎藤村の書いたところの「人こひ初めしはじめなり」によるのだろう。
 ふと視線を下げて横を向くと、少し距離をおいて一人桜を見上げる生徒の姿があった。青枠の名札、真新しい制服。長い髪を左右二つに分けて高い位置に結い上げた女子生徒だった。
(新一年生か…僕と同じ)
「君、桜に何か思い入れでもあるの?」
 突然声をかけられ、彼女は驚いたようだったが、
「思い入れっていうか…他人じゃないから」
「え?」
「あたしの名前がね、『さくら』なの」
「へえ…そうなんだ…」
 つぶやくように返した彼の顔をまじまじと見て、彼女が尋ねる。
「キミ、もしかして…入学式ん時の新入生代表?」
 彼がうなずくと、
「ってことは、成績トップの入学者なんだ…。じゃあ、きっとAクラだね」
「まあ、そうだけど…今まであんな事なかったから、どうしようかと思ったよ。何とか無事に済んでホッとしたくらい」
「ふーん」
「君も新入生だよね。何クラ?」
 自身が所属するA組の女子ではなかったので、尋ねてみた。
「あたしはDクラ。キミと違って優秀じゃないからね…元々、お勉強なんて嫌いだし」
「でも、『学校のお勉強』でなければ好きなんじゃない?」
「うん、まあ。こう見えて凝り性かもしれないし…」
「俺、祝部斎。君は?」
石動咲良いするぎ さくら
 斎は咲良に更に何か話しかけようとしたが、不意に鳴り出した携帯の着信音で遮られてしまった。
 咲良が、制服のポケットから真新しい携帯電話を取り出し、開く。
「…あ、そうだった」
 一言つぶやくと、彼女は携帯を閉じてポケットにしまう。
「早く帰ってこいって言われたの、忘れかけてた。なんか、話が途中になっちゃったみたいだけど…ごめんね」
「いや、こっちこそ」
「じゃ、ね」
 校門のほうへと走り去る彼女を見送る。
 くどいようだが、春は出会いと別れの季節である。この、斎と咲良という二人の新一年生は、後日意外な場所で再会するのだが、それはまた のちほど…。

(『Secret Base』Apr-2008 <2> 入学式と新入生 より)

 翌週早々、化学の岸浪教諭から呼び出されて、咲良は第一理科室隣の準備室を訪ねた。すると、そこには教諭以外にもう一人、先客が居た。
「…祝部」
「石動さん?」
「なんだ、知り合いか」
「いえ、知り合いというほどじゃないですけど…」
 斎が答えると、
「まあ、いいか」
 一言告げて軽く笑い、教諭はいきなり本題に入る。
「で、早速訊くが…このクラブに入ろうと思った理由は?」
「兄貴がここの文化祭で作ったの持ち帰ってきたカルメ焼に惚れこみましてねー。ネットとか本とかで調べて自分でもやってみたけど、どうも納得いかなくて」
 咲良がありのままを述べると、
「お持ち帰りはさせんなよ、って言ったはずなんだが…メンデの奴、見落としやがって」
 少し顔を背けてぼそりと小声でつぶやき、教諭が再び尋ねる。
「そんな理由じゃなくて…もうちょっと理科的に関心ある事項とか無いのか?」
「うーん。強いて言うなら、石が好きです。ジュエリーまでいかない程度の…。携帯にも付けてますよ!とりあえず、ローズクォーツとロードナイト」
「なるほど。地質と化学に関わる分野かな」
「あと、占いもですよ。この二つはピンク色ってのも絡んで『愛の石』と言われてて…」
「そういう非科学的なことは他所でやってね」
 岸浪教諭は放っておいたら長々と話しそうな咲良を軽くかわして、今度は斎に向かい、
「お前はどうだ?祝部」
「いとこの魅羽みう姉に言われたんで」
「そんな事は訊いてないの。何か関心事を言ってごらんなさい」
 Aクラの首席入学者に対してだからなのか、どこかDクラの咲良とは教諭の態度が違う。
「空…と、空を飛ぶものに興味はあります、小さい頃から」
「ほー。詳しく言うと?」
「気象と…昆虫も鳥も飛行機も、飛ぶものは なべて等しく」
「ふんふん。そういや神足こうたりも『気象予報士になるってのもアリかなあ』って凝ってた時期あったもんな…似たとこあるかもしれん」
 教諭は一つ息をついたあと、
「ま、良し。二人とも入部希望なら許可するとしよう。ニックのほうは明日までには考えとくから」
「ニック?」
「祝部は聞いてるかもしれんが、ここでの呼び名ってのがあるんだ。例えば、メンデレーエフは有田」
「へえー。それって、源氏名ですか?」
 素で問いかけた咲良に、
「源氏名って…飲み屋じゃないんだぞ」
 呆れたように返す教諭と、なおも不思議そうな表情の同級生とを交互に見、斎はつい笑みをこぼした。

(『Secret Base』Apr-2008 <3> 新入り、来たる より)

・・・そんな感じになるのですが、事件が。

 四月も後半に入った、週明けの月曜日。放課後、いつものように第一理科室に集まってきた二年生と三年生は、いきなり驚くこととなる。
「デル・リオ…どうしたの、それ!?」
 長い髪をばっさりと切ってショートボブにした、まるで別人のようなデル・リオこと咲良が何事もないように座っていたからだった。
「もしかして、失恋?春なのに…つうか、新学期早々かよ」
 何の気なしにそう口にしたメンデレーエフ=啓人けいとを咎めるように、ラザフォード=那由多なゆたが言う。
「それ、セクハラ発言だろ…メンデ。あとさ、失恋して髪を切るって女の子、今時まだ居るの?」
「わたしは、居ないって断言するのはどうかと思うな。ラザ」
 同じクラスの女子・キュリーこと万希まきにそう返され、ラザフォードは気まずげに、
「あ…ごめん」
 先輩達の会話が落ち着いたのを見届けたかのように、デル・リオが苦笑いを浮かべつつ実際のところを語り始める。
「いやあ…土曜日にちょっとヘマしまして。昼ごはん作ってて、髪の毛焦がしちゃったんですよ。うちは残念ながらまだIHじゃなくてですね…」
と、突如理科準備室のドアが開き、顧問のフェルミ=岸浪教諭が現れる。
「なんだと!?本当かよ、それ!」
「本当ですよ」
 悪びれることなく答えたデル・リオを前に、教諭は右手で額を押さえた。
「高校理科といっても、バーナーもあるし劇物だって扱う。そんな注意力が散漫な奴の面倒まで、俺は見てられん」
「えー!?それって、辞めろってことですか!?」
「そうしてくれると、俺も悩みの種が減って気が楽になるんだがな」
 彼の言葉に、居合わせた先輩達は慌てて教諭をなだめにかかる。
「先生、何を大人げないことを言ってるんですか」
「五人居なきゃ、正式に部活動出来ないんですよ!?今年の文化祭、参加出来なくなるじゃないですか!」
「そんな子供の駄々みたいなこと言うなら、ハッブル先輩経由でクミエさんにチクっちゃいますからね」
 このメンデレーエフの発言に、教諭は焦りの色を見せ、
「それはルール違反だろ。子供のケンカに親を引っ張り出すようなことするんじゃない」
「…自分が大人げないの、良く分かってるじゃないですか。先生」
 教諭が言葉に詰まって口をつぐむと、理科室にひとときの静寂が訪れた。
「反省してるんですよぉ…自分でも。だから、今後こんなこと無いようにと思ってバッサリいったんですから。けっこう覚悟要ったんですよ」
 不意に引き戸を開ける音がし、皆一斉に視線を向ける。
「ああ!いいとこに来た、ベイツ!お前からも先生に何とか言ってやってくれよ」
 しかし、何故かベイツこと斎はぽかんとして引き戸に手をかけたまま、廊下に突っ立っている。
 状況が飲み込めてないのかと思い、メンデレーエフが手短に説明する。
「あのさ、この週末にデル・リオが間違って髪の毛焦がしてこんななっちゃって。それ話したら、先生が『そんな不注意な奴は退部だーっ!』て言うの。本人が辞めるって言わないのに、お前もおかしな話だと思うよな?」
 しばしの沈黙のあと、ベイツが口を開く。
「先生…折り入ってお話が。準備室でよろしいですか」
「…あ?ああ…」
 腑に落ちない様子のまま、彼に促されて教諭は準備室へと去っていく。準備室のドアが閉ざされると、理科室に残された四人は複雑な表情を浮かべた。
「ベイツ、一体何を…」
 どうしたものか戸惑う三人をよそに、デル・リオは一人そっと準備室へと近付き、ドアに耳を押し当てた。
  *
「…で、話って何だ?」
「本人が辞めると言ったわけでもないのに、あれだけの理由で彼女を退部させるのは少し傲慢ではないですか?先生」
「俺は間違ったこと言ってないぞ。俺自身よりも、むしろ本人の為…何かあったとき責められるのは監督者である俺だが、怪我して痛い思いするのは本人だからな。男子ならともかく、女子だから跡なんて残ると何かと不幸だし」
「ですが…」
 言葉を探すベイツが、ふと準備室と理科室とを繋ぐドアに目をやる。
「じゃあ、俺が責任を持って彼女を見ます。些細な事故だって起こさせません」
「ほーお、大した自信だな。出来なかったらどうする?」
 ここで退いては駄目だと、彼は自分の髪に手をやり、思い切って言った。
「丸刈りにしますよ、この頭を」
 その時、ドアからコツンと微かな音がした。教諭は何か思いついたように笑うと、引き出しからルーズリーフとボールペンを取り出し、すぐ何か書き始める。
『盗み聞きしている輩が約一名またはそれ以上居るようだ。ちょっと出し抜いてやるとするか?』
 彼がうなずくのを見、教諭が話し出す。
「あのなあ…口約束でも、そんな噂が広まったら『体罰教師予備軍』って叩かれかねないんだよ。分かった、分かったから止めとけ」
 ボールペンを持ち、ベイツは言いながら書きつける。
「いえ。俺も男ですから、言った以上は絶対やります。先生の名前なんて出しませんから安心して下さい」
『本当は嫌に決まってます、ボウズなんて』
 彼の置いたペンを手に取り、教諭が続けて、
「はあー。だがなあ、神社の息子が頭丸めてどうすんだよ」
『そりゃそうだよなー。俺だって、中学で野球やめた理由の一つが「野球部員は皆丸刈り」だからだったし』
 ルーズリーフに書かれる言葉を追い、ベイツが笑顔を見せる。
「そうそう…。ついでだから、もう一つお約束しましょうか」
「何だ?」
「先生は、デル・リオが…石動さんが特進クラスでないのがご不満のようですから、俺が来年度にはBクラくらいには引き上げて見せますよ」
 口に出すとは別の言葉を、教諭は書き付けつつ、
「別に不満なんて無いがさ…。そもそも、大丈夫かよ?そんなに色々宣言しちまって」
『いや、まじで。あいつを相当高く買ってるな、お前。何かあるのか?』
 続いてベイツが再びペンを手にし、
「ええ、ご心配なく。自信はあります」
『何かという程のものではありませんけど、なんとなく。でも、本当自信はありますよ』
 出会ってから日も浅く、さほど会話をしたわけでもないが、それでも彼女の冴えた感性というか頭の回転の早さは分かった。しかし、何よりも髪を短くした彼女の姿が懐かしい幼なじみに重なって見えたことが、彼にこんな決心をさせたのだった。
 一呼吸おき、教諭は大げさにため息をついたあと、
「…そっか。なら、好きにしろ」
『よく分からんが、頑張れよ』
「はい、好きにします。…では」
『もちろんです』
 それだけ書き終えるとペンを置き、ベイツは準備室から理科室へと戻った。
 ドアの周囲には誰も居ない。四人とも、どう表現したものか迷うような微妙な表情のまま額を突き合わせて一つの机に向かい座っていた。
「お咎め無し、みたいですよ」
 ベイツは一言告げると、荷物をまとめて廊下へと歩き出す。
「すみません。今日はもう俺、帰ります」
 そしてそのまま出て行ってしまった。慌ててデル・リオもかばんを抱えて後を追う。
 ほどなく準備室から現れた教諭に、残されていた三人の生徒がここぞと浴びせる。
「先生は一体どこまでSなんですか?」
「ベイツ、帰っちゃったじゃないですか…ついさっき来たばかりなのに」
「ちょっとやりすぎですよ、いくらなんでも」
 しかし教諭は彼らの非難をやり過ごし、先程の筆談に使ったルーズリーフを出しながら、
「違う違う。あれは一芝居打ったの。これが証拠」
 それに目を通し、ラザフォードがつぶやく。
「へえ、そんなことが…」
「ま、デル・リオだけ騙されてるようで申し訳ない気もするが、悪い話では無いからな。彼らの今後を温かく見守るとしようじゃないか」
 教諭の言葉に、キュリーはメンデレーエフにささやく。
「残念だったね、何もする暇なくて。『自称・恋のキューピッド』さん」
「お構いなく。他にも色々案件はあるんでね…お前んとことかさ」
 二人の会話に首をかしげながらも、
「ええ、そうしましょうか」
 ラザフォードが明るい口調で言うと、メンデレーエフとキュリーもうなずいて答えたのだった。
  *
 振り返ることなく早足で昇降口まで来た斎を、追ってきた咲良が呼び止める。
「待ってよ、祝部」
「なに?石動さん」
 いつもと変わらず穏やかな調子で尋ねてくる彼に、咲良は不安げな表情のまま、
「いいの?あんなこと言っちゃって。あたし、祝部のマルコメ君なんて見たくないよ」
「俺だって嫌だよ。でも、あれくらい言わないと収まらないかなって思ったから」
「だけど…」
 演技などではなく、心から自分を(というか、自分の髪を<笑)心配してくれている様子の彼女を前に、さすがに斎も少し良心が咎めたが、
「心配ないない。俺が専任教師になってビシバシやるから」
「えー!だから、それが困るって言うの!あたしはキミと違って出来が悪いんだからあ」
 そんな彼女に、彼は語調を強めて、
「どうしてそう決め付けるの?俺から言わせてもらえば、学校のテストで点数取るほうが世の中渡っていくより簡単なはずだけど…結局『こうきたらこう答えろ』の図式が出来上がってるモノだしね」
「でもぉ…」
 なおも何か言いたげな彼女に、
「もう帰るなら、ちょっとどこかで話でもしてく?今後どう進めていくかを考える上で色々聞きたいこともあるし」
「…うん」

(『Secret Base』Apr-2008 <6> 事件と誓い より)

・・・といったことがあり、斎が咲良の専属講師みたいになって、三年間が過ぎ。
その間、学園祭での出し物の相談をする中で、咲良は大学助手のフィールドワークに付いていけるかもな流れとなり……

 7月も中旬となり、夏休みが間近に迫った頃。サイエンスクラブの一年生・石動咲良は、放課後に入ると部室である第一理科室へ向かう前に、職員室に立ち寄った。地学の樋口教諭に呼ばれていたからである。
「石動さん、お待たせ。ヤツには『ウン』と言わせておいたから大丈夫。必要なものとか、大体の予定とか。色々書いて送ってきたの、印刷して綴じといたから渡すね」
「ありがとうございます」
 書類を受け取り、一礼して職員室を後にする。
「うわー…ほんとにアポが取れちゃった」
 それを手に放課後の第一理科室へ歩き出す彼女は、複雑な表情をしている。
 事の始まりは、2ヶ月ほど前。文化祭の発表内容についての打ち合わせの際、「自分で石を採ってきたいんで、何かいいネタありませんかね」と言い出した彼女に、顧問の岸浪教諭が「樋口先生に訊いてみたら」と提案したことからだった。
 あれよあれよという間に事は運び、樋口教諭の大学時代の同輩で現在母校の研究室助手となっている佐伯氏の許を夏休みに訪ねることになったのだった。
「うーん…手土産とか、無いとアレかな。つくば銘菓って何だろ…」
 本題から逸れた心配をしながらも、咲良は東校舎へと進む。
  *
 同じころ、第一理科室。
「デル・リオ、まだ来てないみたいだけど」
 部長である三年生の男子生徒・ラザフォードこと宇内那由多うだい なゆたがそう口にすると、
「樋口先生と相談中みたいですよ…いや、正しく言えば、先生経由で先生の知り合いの大学助手と」
 一年生の男子生徒・ベイツ=祝部斎が当然のように答える。
 彼らサイエンスクラブのメンバーには、過去の偉大な科学者からいただいたニックネームというものが存在する。デル・リオとは、咲良のクラブうちでの呼び名である。
 少し首をかしげつつ、ラザフォードが訊き返す。
「どういうこと?ベイツ」
「俺も詳しいこと聞いたわけじゃないですけど、うまくすれば助手のフィールドワークのお供が出来るかもって話らしいです」
「へえ…いきなりアカデミックな展開だな。でもさ、お前それでいいの?」
 メンデレーエフこと二年生の男子生徒・有田啓人ありた けいとに訊かれ、
「いいんじゃないですか。もし大学での研究・調査の現場を経験出来て、それが楽しくて性に合ったなら、彼女は今より尚のこと真面目に勉学に励むようになるでしょうから。少なくとも、俺への義理立てで勉強するよりは身が入るでしょ」
 時として注意力に欠ける『うっかり屋』なデル・リオの監督役を、ベイツは引き受けている。自分が何かやらかした時には、顧問との約束通り、彼は頭を丸坊主にする…そう彼女は信じている。4月下旬、放課後の理科準備室、彼と顧問との間で交わされた『契約』が狂言であったことを知らないのは彼女一人なのだ。
「ま、そうだけどさあ…心配とかしてないの?お前」
「何を心配するんですか。大学のスタッフが一緒なら、崖登ろうが川に入ろうが心配いりませんよ」
「違う違う。その大学のスタッフがやたらいい男でさ、デル・リオ帰ってこなかったら、とか」
「…メンデ先輩、考えすぎです」
 憮然としてベイツが返すと、理科準備室のドアが開く。
「ねえねえ、メンデ」
 準備室から、三年生の女子生徒・橿原万希かしはら まき=キュリーが藤製の平かごを手にやってくる。
「先々月に作って乾燥しておいたの、そろそろいいと思うんだ。メンデも一つ使ってみる?」
 言いながら、かごから石けんを一つ取って見せる。文化祭の準備として、試作を兼ねて5月に製作し、この2ケ月弱ほど乾燥・熟成しておいたものだ。
<中略>
  *
 帰り道、バスに揺られながら斎は思う。
(別に、そんなつもりで彼女に勉強教えたりクラブ活動の監督役をやってるわけじゃない…。彼女がどうしようと、そんなことまで僕には関係ない)
 イヤホンから流れる、先頃購入してデジタルオーディオプレイヤーに移したB’zのベストアルバムを聞きつつ、彼は一人窓の外へと視線を向ける。
『でも、怖いんでしょ。私までもが何も言わずに突然目の前から居なくなったなら、と思うと』
(…誰?)
 誰かが不意に話しかけてきた気がして、思わずイヤホンを取り周囲を見回す。しかし、それらしき人物は居ない。
(怖い…。そうかもしれない。分かっていたのなら、「バイバイ」でも「さよなら」でも…一言だけでも欲しかった)
 幼い日の苦い思い出が胸をよぎる。
(どうして何も言ってくれなかったの?さくらちゃん…)
 今も考えることがある。幼なじみが黙ったまま自身の前から去っていったわけを、あれこれと。
(でも、彼女は違うんだ。同じ高校に通ってるんだし、仮に突然転校することになったとしても、何らかの形で別れの挨拶くらい有る)
『安心してよ。あなたは私にとっての「ソルヴェイグ」だから…最後には必ず帰ってくるんだから』
 誰かの声が、ふたたびそう告げた気がした。
 これまで耳にしたことのない声。
(誰、なんだ…?)
 そんな台詞の出てくる映画かドラマでも見ただろうか。彼は懸命に記憶を辿った。しかし、何にも行き着くことが無いままに、ふと気付けば自宅最寄のバス停のすぐ手前まで来ていた。アナウンスに驚き、慌てて降車ボタンを押す。
「次、停まります」
 耳に慣れた無機質なアナウンスが流れる。ほどなく、バスは停留所に止まる。
 斎はバスから降り、イヤホンをつけ直して歩き出す。
「ソルヴェイグ…確か…」
 イプセンにより書かれた戯曲に、北欧の作曲家・グリーグが劇音楽を作り、のち組曲として改作された「ペール・ギュント」。自由奔放な男・ペールの波乱の生涯の物語に登場する、純情な女性がソルヴェイグだ。年老いて放浪の旅から戻り来たペールは、自身の帰郷を待ち続けていた彼女の腕の中で、子守唄に送られて永遠の眠りにつく。
「どうした?斎。難しい顔をして」
 声をかけられ、顔を上げる。
「おじいさん」
 考え事をしている間に、自宅がある八重垣神社の境内に入っていたらしい。祖父・斎蔵さいぞうが目の前に立っていた。斎がイヤホンを外すと、どこか心配げな表情で問いかける。
「もうすぐ夏休みというのに、浮かない様子だな。学校で何かあったのか」
「そういう訳じゃないけど…」
「まあ、色々ある年頃だからなあ」
 母屋へ歩きはじめる祖父の後に続く。
 自宅に着くころには、曲は“HOME”まで進んでいた。
(言葉一つ・笑顔一つ忘れただけで、壊れてしまう絆ばかりじゃ、ない…)
 彼女との絆も、そうであって欲しい――
 日暮れどき、幼き日のおぼろげな記憶を振り返る彼の影が、長く境内の石畳にのびていた。

(『Secret Base』Jul-2008 より)

あとは、「色々お世話になるから何か恩返しを…」と咲良が斎の家の手伝いとして七五三と正月に神社の巫女さんアルバイトをボランティアで引き受けたり、春に宣言した通り、斎が咲良を翌年度Bクラスに昇格させたり、があり。

 学校では理科実験・実習の監督と五教科の専属教師をしてもらい、学外でも出掛けるときには食事や交通費をおごってもらうなどで世話になりっぱなし。同学年の部員同士とはいえ、咲良は斎に対して申し訳なく、恩返しのつもりで彼の自宅の手伝いを引き受けることにした。
  * *
 9月下旬の、第四土曜。休校日に筑波八重垣神社を訪ねた彼女を迎えてくれたのは、斎の母・里穂子だった。
「あなたが石動さん?いらっしゃい」
 客間に通される。里穂子は座布団に腰をおろした彼女の前にお茶と菓子を出しながら、
「正座なんてしなくていいのよ。楽にして」
「ああ、はい。すみません」
 その言葉に甘え、足を崩す。
「なんか、うちのお手伝いに来てくれるのよね。今時そんなのバカバカしいって思うかもしれないけど、色々と儀礼的なことがうるさいところだから…いくつか、わたしから話させてもらうわね」
「はい」
「おおざっぱに説明すると、『ケガレ』…神様が嫌うと言われているものがあってね。死(黒不浄)、経血(赤不浄)、出産(白不浄)、それから火なんかが忌まれるの。特に女の子で問題になるのは、生理のときでね…その時はお勤めのほうは避けてもらわないとならなくて。だから、ちょっと訊いておきたかったのよ。七五三とお正月とにかからないかどうか」
「ええと…」
 咲良は脳内でカレンダーをめくり、
「多分大丈夫…だと思います」
「なら良かった。でも、その時は本当に無理しなくていいんだからね」
 里穂子は笑い、
「まあ、斎も高校生だし神社の息子だから、こういう話は承知しているんだけど…同級生にこんなこと訊きたくないだろうなと思って。あなたも訊かれたら困るでしょ?」
「ええ、まあ…違うこと考えて身構えるってか、ハラハラしちゃいます」
 咲良の返答に、婦人が吹き出す。
「いやあ、もう。本当に正直な子ね、あなたって」
 二人はお茶を飲み終え、
「せっかくだから、試しに着てみましょうか?袴」
「あ、はい」
 席を立ち、別の部屋へ移っていく。
  *
 その日の夕飯時。
「ちらっと見かけたけど…まあ、なかなか可愛い巫女さんじゃないのかな?」
 食事の支度をする里穂子に、斎の父・まさるが話しかける。忙しいのか、彼女が返事をせずにいると、
「でも、魅羽ちゃんには劣るね」
 どこまでも伯父馬鹿な優は、去年までは手伝いに来てくれていたが大学に入り彼氏が出来て疎遠になった姪の魅羽を名残惜しく思っているようだった。
「足袋に画びょう仕込んでおかれたい?お父さん」
 どうしようもない父に、斎が冷めた口調で言う。
「うわ。なんて怖いこと言うんだろうね、斎は。どこでそんな陰湿な仕込みを覚えてくるんだろ」
「お前も悪いだろ、優。若い子にとってもっと楽しい華やかなアルバイトがいくらでもあるだろうに、こんな古風な仕事を引き受けてくれる、斎のお友達なんだから」
 実の母・敏子としこに諭されて、さすがの優もきまり悪げに目をそらした。
  * *
「おや。巫女さん、変わった?去年から…いや、今年からかな?」
 一昨年にも七五三に訪れた家族から問いかけられ、この神社の神職である斎蔵は笑いつつ、
「ええ、そうなんですよ。去年までは外孫に手伝ってもらってたんですが、あの娘ももう大学生でやりたいことも多いようなんで…。今年は内孫が同級生を頼んで連れてきたんです」
「へえ、お孫さんの…。ゆくゆくはここを継ぐんでしょ」
「ええ、継いでくれるらしいです」
「そうですか。なら、花嫁修業ですか」
「いやいや。まだ高校一年生ですから」
 もちろん、斎や咲良は距離を隔ててこんな会話が交わされていたことなど知らないままだった。
  * *
 七五三、正月三箇日。仕事を終えて私服に着替え、咲良が帰ろうとすると、
「さくらちゃん」
 里穂子に呼び止められる。
「もう少し待っててくれたら、買い物行くのに車出すし、お家まで送ってあげるけど」
「いえ、おじいちゃん家に行くから大丈夫です」
「おじいちゃん家…?」
「はい。ここから、そんな遠くないとこなんで。兄貴かお母さんが来てるはずですし」
「ああ、そう…。分かったわ。じゃあ、これ」
 ぽち袋を差し出され、
「え?」
「お給料というほどじゃなくて、ほんの気持ちだけど…貰ってくれる?お年玉」
「えー!でも…」
「いいの、いいの」
 渋々、袋を受け取る。
「申し訳ないですね、どんだけ足しになったか分からないのに」
「華を添えるってのは、それだけ価値ある仕事なの」
 里穂子が、晴れやかに笑う。
「中学から高校にあがったってことで斎のお年玉に上乗せしようと思ってた分だから、気にしないで」
「ええぇー!気にします、それは気にします!」
「いいのよ。あの子はおじいちゃんからも貰ったんだし…」
 結局、彼女に押し切られてしまった。
「あーあ…また『借り』を作ってしまった気がする」
 祖父の家へと向かいながら、咲良はため息をつく。
(このお年玉で…今度はあたしが何かおごろうかな…)
「うん、そうしよう」
  * *
 今年のバレンタインデーは高校休日の第二土曜と重なり、教員陣が止めてもまるで効果のない生徒たちのチョコレートやりとり合戦は前日の金曜日へと前倒しになっていた。
「祝部、これー」
 放課後、クラブの活動場所である第一理科室にやって来た斎に、咲良は紙の手さげ袋を差し出した。
「…何?」
「明日、バレンタインデーだから…こう、普段の感謝の気持ちっていうか?」
「ああ、そう。ありがとう」
 受け取る彼に、
「あたしは橿原先輩みたいにお菓子作りの才能とか無いから、既製品だけど」
「別に構わないよ、そんなこと」
 中を覗いた彼は、ホテルメイドのチョコレートの詰め合わせ以外にも小さな封筒が入っていたので首をかしげる。
「カードか何か?これ」
「うん、amazonのギフトカード」
 メッセージカードだと思って訊いた彼は驚きつつ、
「え?そりゃまたどうして」
「祝部が貰うはずだったお年玉、あたしが受け取っちゃったわけだから…半分以上は還元しようと思って。それで何か好きな本とかCDでも買ってよ」
 ふと、斎は理科室を見回し、
「有田先輩、まだ来てないけど…」
「ああ、先輩にもあげるよ。チロルチョコ10個」
「安っ」
 結果的には元手になるものを回した自分であるとはいえ、内容に差をつけてもらえたのは嬉しくはあったが、それにしても落差が大きい。困惑する彼に、
「いやいや。1個10円のじゃなくて、コンビニとかに売ってる20円のチョット大きいやつだよ」
「あまり変わらないよ」
 笑い合っていると、静かに引き戸が開く。
「あっ、先輩!これ、どうぞー」
 春は、もうじき訪れる。相変わらず、賑やかな部員たちであった。

(『Secret Base』Autumn-2008~Winter-2009 メイデン・サクラ より)

更には、幼少時の記憶でハッキリしていなかったのが、咲良のほうも筑波八重垣神社の御守や境内を見ているうちに「見覚えがある気がする…」となっていき。
そして、2011年3月を迎え―――

 3月7日、S州大理学部前期日程入試の合格発表日。
 携帯が鳴ったので、もしかしてと思い、斎は慌てて電話に出る。
『う・か・あっ・たああよぉぉーーー!』
「…あ、咲良ちゃん…だよね?」
『他に、誰が?誰が居るっていうんだよぉぉー!』
「いや…携帯に発信元表示されるから分かるんだけど。受かったんなら、いいじゃない」
『それだけかよぉーー。薄情だなあ、ちみは』
「…おめでとう」
『お祝いついでに、何かおくれ』
 途端に本性を出したか、と斎は眉をひそめたが、
「なら、うちの学業守あげる。いや、厄除守でもいいけど」
『…んぇ?』
 電話の向こうでおかしな声を上げる彼女の反応に会心の笑みを浮かべ、
「欲しいんなら取りに来なよ。場所は分かるでしょ?」
『ん…ああ、うん…』
 大きくなっていた気が急にしぼんだようで、意地悪だなと思いつつも問いかける。
「なに、お守りなら要らない?ご利益無いとか、ナメてる?」
『いや、そうじゃなくて…考えとく』
 そして、電話は切られてしまった。
   * *
 咲良が御守を貰いに筑波八重垣神社を訪れることなく、3月も半ばを過ぎる。
 そんな折、不意の来客があった。
「おや。これは太田さんじゃないですか。久しぶりですねえ、近くに住んでおりますのに」
 境内にやって来た老人を見付け、斎の祖父・斎蔵が社務所から出て声を掛け、軽く一礼する。
「いえいえ。こちらこそ、ご無沙汰しております。本当は、もっと早くにと思ったのですが…」
「そうですな、あんな大地震なんて予想しませんでしたからね。うちも、まだ完全には片付いてませんよ」
 さかのぼること数日前の、3月11日午後。日本観測史上最大規模の大地震が東日本を襲った。津波や火災も重なり、東北、関東にかけて多大な被害を受けた。この茨城県南でも震度6弱を記録し、電気や水道等ライフラインが停止したのである。
 境内の石灯籠いしどうろうが崩れ落ちたまま、まだ戻せていない。余震が今なお続いているためだ。
「…どうかなさいましたか」
「お孫さんは、どちらですか」
 訊き返されて斎蔵は驚き、
「斎のことですか?…内孫が、何か?」
「いえ、何かというほどでは…。うちの孫娘が世話になったらしくて、その孫娘も来春から家を出て長野で大学生だと言うものですから、私からも御礼を言いたくて」
「さようでしたか…。まあ、とりあえずお上がりください」
 先に立って太田氏を母屋の客間へ案内し、座布団を勧める。互いに腰を下ろしたところで、
「そういえば。お孫さんのお名前は?」
 斎の口から、太田某という生徒の名をついぞ聞いたことがない。斎蔵が確認のために尋ねると、
「外孫ですから、婿方の姓で…石動咲良といいます」
「もしかして、咲良ちゃんのことですか」
「斎蔵さんもご存知ですか?」
「ご存知も何も…七五三に正月三箇日と、うちで巫女さんとして手伝いをしてもらいました」
「そうでしたか。本人は何も話をしないもので」
「…まあ、気難しい年頃ですからなあ」
 斎蔵は改めて立ち上がり、客間から出て行く。ほどなく、彼は斎を連れて戻って来た。
「斎。こちら、近くにお住まいの太田誉礼おおた ほまれさん。咲良ちゃんのお祖父さんなのだそうだよ」
「…初めまして、こんにちは」
「うちの孫が…咲良がお世話になったと聞いたので、何か一言二言と」
 太田氏が、菓子折を出して座卓に置く。
「息子が軽井沢に居りまして…皆さんで食べてください」
「これは申し訳ありません。うちこそ、安く手を借りたりだったのに」
 斎蔵が、丁寧に受け取る。太田氏は、斎蔵の隣に座った斎へと向き直り、
「あのフラフラしていた咲良も、ようやくやりたいことを見付けたようで、熱心に勉強をして第一志望に合格することが出来たとのことで…ありがとう。またこうして、八重垣神社の坊っちゃんにお世話になるとは思わなかった」
 斎は怪訝けげんな顔をした。
「また…こうして?」
「ああ、そうだね。もう十何年も昔の話だけど…娘が体調を崩して、こっちで入院させることになって。兄の直樹は婿さんと向こうの親御さんに頼んだが、咲良はうちで面倒を見ていたんだ。冬から春にかけての、二月か三月くらいだったけれど…ここにも勝手に遊びに来てたようで。ああいう子なんで、怪我もなく済んで良かったと思う」
 太田氏は一つ息をつき、
「もしかしたら、あの子はお別れの挨拶もせずに帰ってしまったのかもしれない……ずっとそう思っていた。でも、あの子を責めないでやってくれるかな。娘が退院し家に戻った日に、『お前はもう伊豆へ戻るのだから、神社の斎くんに「さよなら、ありがとう」とちゃんと言ってきなさい』と家内が声を掛けたというが…帰ってきたら部屋にこもって泣きっぱなしだった」
「そんな、ことが…」
「三歳頃の話だし、あの子は覚えていないのかもしれない。だから、今でも君があのときの幼なじみだと気付いていないのかもしれないが」
「…そう、だったんですか…」
 太田氏が小さくうなずき、腰を上げる。
「よろしくね」
 小声で斎に言うと、斎蔵へ向き直り、
「長居もご迷惑でしょうから、失礼いたします。お邪魔いたしました」
 軽く頭を下げて立ち上がり、廊下を玄関へと去っていく。
 祖父が客人に付いて部屋を出て行き、斎一人が残された。つい先程の太田氏の言葉が思い起こされる。
『帰ってきたら部屋にこもって泣きっぱなしだった』
 彼女は悲しかったのだろうか。悔やんでいるのだろうか。今もあの日のことが胸につかえているのだろうか。自分と同じように――
 彼女に直接尋ね、確かめたい。だが、彼女はここへ来ようとはしない。
(彼女が…さくらちゃんが長野に発つ前に…)
 しかし、声を掛けるきっかけが掴めない。そのまま、寒さのみならず震災により厳しさを増した三月も終わりへと、時は淡々と過ぎ去っていったのである。

(『Secret Base』Mar-2011 <2> あの日の真実 より)

このまま終わるのか――と思うと、顔を合わせることになる二人。

 4月2日、土曜日。春らしい暖かな晴天の下、この春高校を卒業しS州大へ進学する石動咲良は、TX〈つくばエクスプレス〉つくば駅へやって来た。駅ホームへの階段を降りようとして、すぐ前を行く見知った顔に気付く。高校の同輩にして三年間同じくサイエンスクラブで過ごした祝部斎だった。
「…祝部。どうしたの」
 声を掛けると、彼は立ち止まって振り向き、
「今日、入学式」
「あ、そうか」
 腕時計に視線を落とせば、午前十時を過ぎている。それに、入学式に出席するにしては一人だし、ジーンズにパーカーとラフな格好だ。
「…間に合うの?それに、入学式ってスタイルじゃないし」
 正直な彼女の言葉に、斎は苦笑して小さく肩をすくめ、
「だったはず、が正しいよ。間に合うも間に合わないも…中止になったからね」
 先月11日の東日本大震災により、大きな被害を受けた東北地方はもちろん、首都圏の大学でも卒業式のみならず入学式を中止にするところは少なくなかった。斎が通うことになるK学院大は東京二十三区にあるが、既に入学式の中止を決定していたのである。
「じゃあ、どうして?」
「東京行こうと思ってたから」
 答えて、斎は咲良の持つ大きなバッグに目を留め、
「…咲良ちゃんは、今日長野に発つのか」
「うん。うちは予定通り4日に入学式をやるらしいから」
「じゃあ、アキバから中央線で新宿出て、そこから『あずさ』で松本まで?」
「ううん。軽井沢の伯父さんが夫婦で引越しの手伝いしてくれるとかで、長野新幹線でまずは軽井沢まで」
「そっか…」
「だから、北千住から常磐線に乗り換えて上野まで行って…新幹線。祝部は、東京って言ってもドコ行くつもり?」
「上野」
「…パンダでも見に行くの?その歳にして、一人で」
 上野動物園が中国から借り受けた、二頭のジャイアントパンダ。震災のため遅れていたが、4月1日から一般公開を始めていた。
「違うって、国立西洋美術館。今、節電もあって特別展のほうしか見られないらしいけど、前売券買ってあったし」
「特別展か…」
「そう。レンブラント展」
「…相変わらずハイソなことで」
「別にそんな高級というか上流でもないと思うけど?途中までとはいえ、行先が同じなら、ここで立ち話しなくてもいいんじゃない」
「あ…ああ、うん…」
 突っぱねる理由もないので、あいまいにうなずいて返す。
 だが咲良は、気付かぬふりをして通り過ぎれば良かったと内心後悔していた。『あること』を思い出してしまったがゆえだった。
  * *
 当たり障りのない会話をするうちに列車は北千住駅に至る。二人はそこで電車を降り、JR常磐線に乗り換え、上野駅に到着した。
 西洋美術館等へ行くには、公園口へ向かうはず。新幹線ホームとは逆方向のはずだが、
『せっかくだから、お見送りしてあげる』
 無言でそう主張している彼の前から逃げ出すことも出来ず、連れ立って新幹線乗り場の改札口まで来てしまった。
「それじゃ…」
 切符を取り出し、別れの挨拶を告げると、彼が遮るように問いかける。
「どうして黙ってたの」
「…何を?」
「気付いてたんじゃないの?俺が…神社の境内で遊んだ幼なじみだってこと」
 素知らぬ顔でしらを切ろうとしても、無理だった。
「太田さんが…おじいちゃんが訪ねてこられたよ、うちに」
「なんで…?そうだったら何?」
 彼から目をそらし、急いで自動改札機に切符と指定席券を通そうとするが、腕を取って引き留められる。
「答えろよ」
 普段から年の割に冷めているというか、淡々と口をきく彼ではあるが、その語調はさながら氷の刃のようだ。顔を背けたまま、小声で答える。
「…分かってた」
「いつから」
「よく分かんない…ごめんね」
「別に謝ってほしいわけじゃない。どうして黙ってたのか、訊いてるんだよ」
 なぜ、彼にここまで追い詰められねばならないのか。波風を立てたくないから黙っておこうと決めたはずなのに、最後の最後にどうして――
「だって…何も言わずに去って行ったこと、怒ってるはずだから。嫌われたくなかったから…!」
 涙があふれる。彼の手を振り払おうとしたその刹那、腕をぐいと引かれた。
「怒ってなんかいない。ただ、分からなくて…どうしてなのか、ずっと考えてて…悲しかった、つらかった」
 すぐ耳元で発せられる、彼の言葉。彼に抱き締められ、その腕の中に在ることに、はっと気付く。
 ここは駅の改札前だ。ドラマや映画ならいざ知らず……しかも彼が、こんな場所で、こんな行動に出るとは。
 あり得ない――
 長い長い数瞬のあと。不意に、斎が腕をほどいて一歩退く。
「分かって、良かった…。体に気を付けて」
 それだけ告げると、一度も振り返ることなく、駅構内の上り階段へと急ぎ足で去っていく。
 衆目には、喧嘩のち仲直りの情熱ばカップルだ。我に返り、咲良は紅潮する頬を手のひらで押さえながら小走りに改札を通り抜け、新幹線ホームへと続く下りエスカレーターに飛び乗った。
  * *
 長野新幹線「あさま」の車内で指定席に腰を下ろし、携帯を取り出す。だが――
(何て書いて送ればいいの…?)
 何ら言葉が思いつかない。「ごめん」でも、「ありがとう」でも…もちろん、「何さらす」の怒りでもない。ただ、今あるのは「このまま終わってほしくない」という、その想いだけ。
 彼が観に行くと話していた特別展、『光と、闇と、レンブラント』。
 レンブラント・ファン・レイン。明と暗を追求し「光と影の魔術師」と呼ばれた、17世紀オランダの画家。
 この高校三年間は、文字通り『青春の光と影』だった――
 車中、流れる車窓の風景をぼんやりと見送りながら過ぎし日を振り返り、軽井沢駅に降り立つ。改札の向こうには、伯父夫婦が待っているはずだった。
 唐突に携帯が震えだし、危うく取り落としかける。おそるおそる開いてみると、彼からのメールだった。
 「嫌われてないのなら」という件名に、「さっきはごめん。帰ってきた時は、昔のように遊びに来て。」と二、三行の文面。
(嫌われるのは、あたしのほうだったはずじゃないの…)
 目が潤んだ。
「さくらーっ」
 かれこれ半年ぶりで会う伯父・稔彦としひこが、改札口の先で手を振っている。
 春は別れと旅立ちの季節。新たな生活が、もうじき幕を開ける。
(でも、あたしには帰る場所が…「HOME」がある)
 二人、早春のまだ冷たい風が吹いても、日暮れまで駆けた境内。そして――彼が、変わらずにそこで待っている。
『あなたは私にとってのソルヴェイグだから…』
 イプセンにより書かれた戯曲に、北欧の作曲家・グリーグが劇音楽を作り、のち組曲として改作された「ペール・ギュント」。自由奔放な男・ペールの波乱の生涯の物語に登場する、純情な女性がソルヴェイグだ。年老いて放浪の旅から戻り来たペールは、自身の帰郷を待ち続けていた彼女の腕の中で、子守唄に送られて永遠の眠りにつく――
 およそ一月経てば、ゴールデンウィークがやって来る。
(また、新しい関係を築いていけばいい…)
 心は決まった。心中の暗雲が見る間に去り、晴れ渡っていく。

(『Secret Base』Apr-2011 ~駅は人生の縮図~ より)

「駅は人生の縮図」は高校時代の国語の先生の名言です。。
B’z「HOME」とソルヴェイグの件は、時を越えて二度繰り返すこととなります。
『扶桑~』だけでなく、『Secret Base』でもドラマ性の非常に高い二人でした。。
 
そんなこんなで、『Secret Base』の全文再掲は無理(特に文化祭セクションが無理;)ながら、テーマというか流れごとに関連部分を切り出すことは出来るのかな…などと思ったりしています。。
今更ですが「引用」の使い方を覚えました…拙作引用の自作再掲なのですが、この書式のほうが分かりやすいかなと。。。

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