高校のサイエンスクラブ構成員を中心とした、一次創作短編連作小説『Secret Base』。
今回は、未掲載のこまごまとした恋愛模様の一コマ的なものを集めてみます(「まだコレがあったか…」的に、何より筆者が驚いた:自爆)。
飛鳥と魅羽
大学進学以降の二人を書いた箇所が、とくに番外編に多くあり。
この二人の関係も、それなりに揺れがあるんだなと…飛鳥のほうが大人というか冷静で一歩退くことが多いから、喧嘩にならないだけなのだろうと。
そんな飛鳥も、だいぶ手厳しいことを言う(苦笑)。飛鳥モノローグ(過去記事「拙作語り㉑」に再掲済)で語られた一件の魅羽視点語りが、以下にあり。
飛鳥の両親には、結婚後なかなか子供を授かれず、何年も不妊治療に取り組み、ようやく長男誕生が叶ったという過去があり。「もう一人」と望むには限界で諦めざるをえなかった為、息子にカノジョが出来たこと、しかも魅羽が社交的で年長者とでも仲良く出来る女子学生だから安心したし嬉しかったのだろうと。。
そしてGWに家族ぐるみで外出し・・・
後輩・啓人のクラスメートである葉月が目撃。
葉月はバレンタインデーには値段の張るGODIVAチョコレートを贈るほどに魅羽のファンであった下級生なので、GW明けに一騒ぎ起こることに。
相変わらず冷静な対応をとった飛鳥であった。。
その後の五十嵐家といえば・・・
読み返してみて、「そうか、当時まだグランピングなんて言葉は無かった…」と時代を感じた(墓穴)
この「あなたは私の太陽、の裏側」といい、初代顧問・岸浪教諭の学生時代の話で牧野教授が言った「恋は人を詩人にする」もなのだけど、大学時代の一般教養での哲学講義のおりに先生が熱く語っていらした内容が元となっております。先生ありがとうございます。。
そして時は流れ、ドリカムの歌「時間旅行」ではないが、2012年は日本の広い地域で金環食が観測でき、大学を卒業した二人が結婚を決める段となると・・・
冒頭・末尾の英文は、気持ちとしては文字色を変えるか斜体にしたかった(正直な感想)。
昔からそうなのだけど、ウデが中途半端だから絵の出来にムラがあり、今見ると筆者本人ややしんどいので(嗚呼)
シルエット版にて再掲…
斎と咲良
この二人に関しては過去記事「拙作語り㉒」に詳しいのだけれど、以下の未掲載箇所は高1の6月の出来事。
過去記事「拙作語り㉒」にもあるように、斎には入園前に数ヶ月だけ遊んで過ごし、何も言わずに去って行ってそれきりになってしまった幼なじみの「さくらちゃん」が、ずっと胸の中に在り続けており。
当時はまだクレオスクエアだったし、31アイスクリームもそこに在ったんだよなと…(時代…)
に しても、その「抹茶・ラムレーズン・ダイキュリーアイス」ってフレーバーは高1男子のセレクトとは思えず、渋すぎる…大の大人でも、なかなか居ないと思う(正直な感想)。
竜起と与恵
岸浪教諭と恋人(後に妻)・与恵の件も実はまだ再掲してない箇所があり。
それは番外編、O県での教員採用に係る汚職のニュースから始まった話の後半部。前半にあたるところは、過去記事「拙作語り㉔~ミズモちゃん」にて再掲済。
「コネとかカネなんですか?先生も」と訊いた啓人、それに同感で乗っかった咲良は、後日二人で謝りに行き、教諭のほうもそれで収めたはずだったが…恋人の顔を見たら何となく愚痴をこぼしたくなってしまったのだろうと。。
深く共感すればこそ、ポストカードブック『道元禅師からのメッセージ』を何年経ってもあちこちで引用している私(自爆)。
「あんなに頑張って自力で合格したタッちゃんなのに…疑われるなんて可哀想」と黙っていられなくなった与恵の愛の強さもなのだけど、何事もないように受け答えしてたと思いきや実は物凄く緊張していた啓人の姿にツッコみたい感情を禁じ得ない(笑)。
啓人の台詞「コネとカネで誕生した教師に『努力すれば夢は叶う』だとか『夢を持って。頑張れ』だとか云われたくない」は、そのまま自分自身の意見であり、啓人に代弁させた形です(爆)。
「教師になれば奨学金を返さなくていいから」って理由で教員になって、しかも児童生徒にそれ喋っちゃってた教師がホントに居たんだよなと…更には、大学出てそのままスーッと教員っつう社会人になっちゃって、出来合いのレールの上に乗り続けているから世間のあれこれの経験値的に浅い教員も多く、自分が年をとるごとに「経験に裏打ちされた言葉の強さ」を感じるようになり、当然のごとく「自分じゃ経験なんてしたこと無いくせに、分かったようなこと偉そうに言うなよ」になっていった(実話)。
それが多少変わったのは、高校であり大学だったなと…
子育てもだいぶ落ち着いた頃になって「教師になろう」と教員免許を取るのに大学に通って高校教師になった国語の先生との出会いがあり。
大学では、学士→修士→博士→そのまま所属研究室の助手(現在の助教)→更にそのまま助教授(現在の准教授)というコースを辿れるのは、よほど運が良くてデキる人だけで、ごくごく少数派。一度大学を出て、他の大学や研究機関で何年とかやってから母校へ戻って来る、逆に言えば外に出て何年とかいう経験をしてきてようやく戻ってこられた感じの先生が非常に多かったので(…逆になっていたのだろうか、これで;)、「そういう先生も居るんだよな」と思い直し、やはりいろんな経験を重ねてきた先生の言葉には素直に耳を傾けるようになったよなと(爆)。。
そんなこんなで、拙作にはあれこれと自分の人生経験も多少形を変えつつ織り込んでいるとも言います。
ある程度、年齢を重ねたからこそ出来ること(自爆)。
だからというか、それこそ自分より若い人の創作物に関しては、読んでも「分かったようなこと言うなよ」になってしまいがち(おおいに自爆)。技術的に優れていてもあまり響かないのだとしたら、「経験に裏打ちされた言葉」という点が弱いからなのだと思います。。
確かに、若いのにすごく重い経験をしてきてる人というのも居ますけど、それは限られており。多くは、あくまで想像と他者の言葉の借用とで書いてるんだろう、と感じてしまう(何気に酷評)。どんなに史料・資料を読み漁って、それを基に描いたとしても、自分自身で実際に体験したことほどは実感として迫ってこないんじゃないかと(何気に辛口)。
拙作についても、やはり若い頃の作はその辺あこがれが強かったというか、地に足が付いてない印象を自分でも受けます(爆)。ただ、年を追うごとにあれこれ実感をもって描けるようになったかなと・・・
だから、年をとること・老いることは必ずしもマイナスばかりではないのではないか・・・という話でもありました(謎の締め方。苦笑)。