見出し画像

拙作語り㉘~創部前から一年目@『Secret Base』

過去筆の拙作であり現代学園短編連作小説、『Secret Base』。
文化祭の発表そのもの以外の部分は、だいぶこちらで再掲したのですが、まだの部分はあり……
そんなわけで、部員の人数が揃ってサイエンスクラブが発足する前から1年目の出来事の中で、未掲載の箇所を切り出します。
今回で地の文は9割以上出せたことになるんじゃないかと。

そもそもの始まりは、飛鳥が高校一年生のとき、理科準備室に置いてある天体望遠鏡に目を留めたことであり・・・

 つくばね秀栄高校の理科担当教師には、職員室以外にも机が用意されている場所がある。それが理科準備室で、「職員室より居心地がいい」と、そちらで授業以外の時間を過ごす者も多い。物理教諭の安西勝男あんざい かつおもまた、その一人であった。
 六時限目までが終了し、職員室へと引き揚げていく自身よりはるかに年下の同僚たちを見送り、彼が一息ついて自身の机の上にある本に手を伸ばしたとき。
「失礼します」
 一人の男子生徒が、準備室にやってきた。彼は、しきりに教諭のはるか後方にある何かをうかがっている。
「どうかしたかな?」
「あれ…天体望遠鏡ですよね」
 安西教諭は振り返り、
「ああ、あれか。…そうだが、何か?」
「使ってないんですか?」
「まあ、夜間の観測に使われるものだからね…。かつてそういうのが好きな先生が居て、予算が余ったときに買ったらしいんだけど、別の学校に異動になって…それきりかな」
「もったいない。望遠鏡が泣いてますよ」
「そうかもしれないね。君は天文に興味があるの?」
「はい」
「君…新入生だね?」
五十嵐飛鳥いがらし あすかです、1-Aの」
(Aクラス…特進の生徒か)
 この つくばね秀栄高校は進学校で、各学年5クラスずつ。進学校という看板通り、全てが進学クラスで相応の学力がある生徒を集めている訳だが、中でも優秀な者をA、Bクラスに置いている。それで、Aクラ・Bクラは特別進学クラス…略して特進と呼ばれる。
 子供たちの理科離れ・理数系の学力低下が取り沙汰され、分数の計算が出来ない、あるいは実物を観察した経験の無さゆえに、その場で実在するはずの小動物を描かせると「存在しえない生物の絵」を提出してくる大学生も少なからず居るという。それは指針を打ち出し統括する省庁や自治体の機関、および教育を受ける側だけでなく、当然のように教育する側…つまり自分たちにも非があるのだと、安西教諭は感じていた。
 だからこそ、授業や教科書では扱いきれない リアルな『身近な科学』に興味関心を持つ彼のような生徒を、適当にあしらって帰してしまうのは残念に思われた。
「そうか。ならば…」
「え?」
「私が週番で遅くまでここに残る日に、あれで天体観測するというのはどうだろう?まあ、これから上に話をするから、必ず叶うという保証は出来かねるが…」
「いいんですか?本当に」
 すっかりその気の生徒の様子に、安西教諭は少々慌てながらも、
「いや、まだ決まったわけじゃないよ」
「あ、はい…でも、それならちゃんと勉強しときます。今頃、どこに何が見えるかとか」
 期待たっぷりで足取りも軽く立ち去る、この五十嵐という男子生徒の後姿を、彼は苦笑いしながら見送った。
  * *
 幸いなことに、主任から教頭・校長という学校の首脳部はぐだぐだと異論を唱えず肯いてくれた。
「女の子なら多少心配もしますけど、男子なら…。あとはあなたの裁量に任せましょう。ただ、あまり遅くまでは何かあったら困りますのでね。まあ、八時くらいには帰してくださいよ」
「ありがとうございます」
   
 そして、安西教諭に週番がまわってきたのは一月近くが経ち、ゴールデンウィークも明けた頃だった。
 一旦学校を出、近くのベーカリーで帰宅するまで腹をもたせる『夕食その一』を買って、飛鳥は再び学校に戻る。下校時刻であり、また週末だから潮が引くようにサアッと学校を後にしていく生徒たちに逆行する彼は、はたから見れば実に奇妙なものに映ったろう。
「あれ、五十嵐じゃない。忘れ物?かっこ悪いね…でも、週末だから背に腹は代えられなかった?」
 声をかけられて振り返ると、見覚えのある人物の姿があった。
神足こうたり…?」
 同じクラスの女子生徒・神足魅羽こうたり みうが、かごに買い物袋を入れた自転車に乗り、制服ではなく普段着でこちらを見ていた。
「お前こそ、こんなとこで何してんだ。もう家帰ったのかよ?」
「まあね。うち、すぐそこだから。朝の連ドラ見てから出ても、ホームルーム間に合うくらい近いんだよ。どうだ、うらやましいだろ」
 半年ごとに次々と新作が放映され、年月とともに忘れ去られていくことが多いNHKの朝の連続ドラマに興味などない彼には、別にうらやましくも何とも無かったが。
「買い物帰り、みたいだけど」
「その通り。お前は?」
「俺?いや、あまり大きな声では…」
 事情を知りたげな彼女に歩み寄り、近くを通り過ぎていく生徒たちに聞こえないよう声を落として、これからの予定を話す。
「へえ、そんなことが…」
 言うと笑顔になって、自転車の向きを変える。
「じゃ、あたしも!理科室行けばいいんだよね?これ、家に置いてまた来るからヨロシク」
「おい、ちょっと…!俺の責任じゃないんだから!」
 しかし、引き留める彼の言葉は届かなかった。逃げるように校門を過ぎて東校舎の第一理科室へ向かった。
 ほどなく、制服に着替えた魅羽がやって来る。
「やっぱ、逃げたな…」
 でも居所は分かってるんだから関係ないもん、などと一人つぶやきつつ、彼女もまた東校舎へと夕暮れの校庭を歩いていく。
  *
「あ、俺やります」
 天体望遠鏡を運ぼうとしていた安西教諭を見付け、飛鳥が声をかけると同時に望遠鏡の三脚へ手を伸ばす。
「ベランダじゃなくて、屋上に持って出て構いませんか?」
「え?どうしてかね」
「この2005年5月現在、土星は西の空に見えるらしいんで…ここ、東校舎で窓は東向かいですから」
「ほう、本当に調べてきたのか」
「ええ、まあ…。せっかくだから、見られるものは色々見てみたいなと。腕力に自信あるわけじゃないけど、力仕事なら俺やりますから」
「そうか。いいね、若いもんは」
 安西教諭は再来年の春には定年退職を迎える。いい年のおじいさん先生だ。
「見ーぃっ付けた!すごーい、いかにも天体望遠鏡って感じ!本物だあ」
 廊下からの声に、二人が振り返る。
「神足…ホントに来やがった」
「君も一年生だね。今時分こんな所に、どうしたのかな?」
「さっき、こいつから門のところで話聞いたんですよ!面白そうだなって思って」
「すみません、先生…」
 魅羽は駆け寄ってきて、とにかく謝る飛鳥の隣に立ち、
「夜の女の子の一人歩きは危ないってお思いかもしれませんけど、大丈夫です。家すぐ近くだし、こいつに送ってもらうし…あ、かえって危ないかも」
「何だ、それ!ふざけんなよ、お前…」
 二人のやりとりを見ていた安西教諭は『ケンタッキー・フライドチキンの前にある、あのおじさん』のような笑顔で、
「痴話げんかはその辺にしなさい、君たち」
 彼を見上げ、魅羽は納得した。
(だからあだ名がカーネルなんだ、この先生…)
 容姿自体かなりそっくりだが、にっこり笑うと更に似るのだ。おそらく、あの白いスーツを着て杖を持ち、店の前に立っていたら、何かのイベントと勘違いして写メールを撮る人間も出るだろう――彼女にはそう思えた。
  *
 日が暮れ、周囲は夜の闇に包まれる。
 とはいえ、夜のつくばは山中ならまだしも、街場となるとビルや家庭などから放たれる光でかなり明るい。しかも、今日は一日曇り空。あちこちで雲が星空を隠している。
「昔はこの辺も夜になるともっと暗くて、今よりずっと星が沢山見えたものだけどね」
 少し寂しげに安西教諭が言う。
 何か思い立った様子で彼が席を外すと、飛鳥がひとりごとのようにつぶやく。
「こうして星空見上げると、ほんっと俺らって…人間ってせせこましいなって思うよね」
「ん?」
「今俺たちが見てる、この星明りは何万年も前に発せられたものなわけで。この星にまだ人類なんて現れてない頃の光もあるって考えるとさ、俺たちの悩みなんて小さいものだし、人間の一生もほんの一瞬なんだなあって」
「ふーん」
 興味なさげに相槌だけ打つ魅羽に、
「お前、仮にも理系志望だろうよ?そういう知識ないのか!?」
「無いわけじゃないけど…秒速約三十万キロメートル、つまり一秒間に地球七回り半するほどの速さを持つ光が一年間で進む距離が一光年で、およそ十兆キロメートルっていう…。一光年でも想像つかないけど、一番近い恒星でさえ四、五光年だったっけ?気が遠くなる話だよねえ」
「なんだ、分かってるんじゃないか」
「見直した?ただ可愛いだけの女子高生じゃないってコトだよ」
 得意げに返した彼女を眺め、飛鳥は軽くため息をつく。
(可愛いって…自分で言ったぞ、こいつ)
 確かに、世間一般の価値基準でいけばそれなりの美少女かもしれない。成績も運動神経も悪くない。しかし、その男勝りで鼻っ柱が強く、思い込みがやや激しい性格は少々いただけない。
 そんな彼女を差し置き、彼は屋上へ運んできた天体望遠鏡と、つい先程教諭から手渡された取扱説明書を懐中電灯で照らしながら、
「口径127mm、焦点距離1500mm…現状150倍、架台は赤道儀式、マクストフカセグレン式か。17kg あったんだ…軽いほうだろうけど、重いはずだよなあ」
「なぁんか、よく分からない用語が多いよ。どういうこと?」
「赤道儀式の架台ってのは、極軸…天の北極と南極を結んだ線の回転の一方向のみで星を追いかけることができる。つまり、もう一つの方式であるところの 上下・左右に動く経緯式の台が一度導入した星を二個のツマミを回して追わなければならないのに対して、赤道儀は一個のツマミを回すだけで追いかけることができるぶん楽みたい」
「X-Y 直交座標系と rθ極座標系の違いってこと?」
「そんなもんかもしれない…いい喩えをするね」
「マクストフカなんとか式ってのは?」
「天体望遠鏡には、対物レンズ(凸レンズ)で光を集める屈折式、反射鏡(凹面鏡)で光を集める反射式…他に、両方を組み合わせたタイプがあるそうで、その組み合わせタイプの一つだって」
「ははあ…詳しいんだあ」
 感心したようにつぶやき、魅羽は続けて尋ねる。
「それって、どのくらいなの?グレードとしては」
「入門者用にしては立派なもんじゃないの。だけど、これだって十万円くらいはすると思うよ。とても個人じゃ買えないよね…」
 飛鳥が軽く首を振ってため息をついたとき。
「お茶でもどうだい?」
 再び現れた安西教諭は、左手に小さな卓上ポットを、右手には紙コップとラップの掛けられた紙皿とを載せた小さなトレーを持っていた。
「ほうじ茶と、昨日家内の作った大福で良ければね…君らのような若い子たちには、ちょっとアレかな」
「あ、俺はパンとジュース買ってきてあるんで…」
 飛鳥はそう言って遠慮したが、
「すみません、ありがたくいただきます!」
 お礼の言葉と共に、魅羽が手を伸ばす。
「それで…何かいいもの見えたかな?」
 『あの笑顔』で尋ねる教諭に、
「いえ、これからです」
 飛鳥は屋上まで持ち出して掛けていたパイプ椅子から立ち上がり、西の空に向けた望遠鏡を覗き込んだ。
「まずは、西の空…ふたご座のそばにある土星を探して。あとは南天のおとめ座近くに輝いてるっていう木星を見たいですね」
 星空の誘惑、とでも言うのだろうか。飛鳥は強度の近視でゴッツイ黒縁の眼鏡をかけ、更に控えめでおとなしいため、目立たない生徒だ。何かと派手な魅羽とは対照的でもある。だが、望遠鏡で星空を眺める彼の横顔は喜びにあふれ、惹きこまれそうになる。
(あんな眼鏡やめて、コンタクトにすれば…せめてもう少しお洒落な眼鏡にすればいいのに)
「あった!本当に環が見える…」
 嬉しげな彼の声で、魅羽は我に返る。土星が見付かったようだった。
「わざわざ来たんだから、お前も見てみたら?神足」
「あ…うん…」
 食べかけの大福を口に納め、お茶を少しすする。安西教諭からタイミングよく差し出されたウェットティッシュを受け取って手を拭うと、魅羽も椅子から立ち上がり、望遠鏡へと踏み出した。  

『Secret Base』「Apr-2005」より

 秋の日はつるべ落とし、とはよく言ったものである。10月も終わり 11月が迫る頃だけに、日が傾いてくると暗くなるまではあっという間。この関東地方の茨城県南部でも、夕刻になるとぐっと冷え込んでくる。
 そんな10月31日の放課後、日没間近の つくばね秀栄高校東校舎の屋上には、天体望遠鏡を調整する男子生徒の姿があった。少し距離をおいて、女子生徒が一人その様子を眺めている。
「お前も物好きだよねえ。週末ならまだしも、週明け早々月曜日から夜の天体観測なんて」
「安西先生の週番の日限定なんだから仕方ないさ。それに、先生が校長たちとした約束があるから午後八時までだし…」
 男子生徒は そこまで言うと、口調を やや皮肉めいたふうに変え、
「お前も相当物好きだろ。いくら家が近いからって…。どうせ、先生の奥さんが毎回作ってくれるお菓子目当てなんだろうけど」
「そんなことないってば!ま、奥さんの手作り和菓子、好きだけどさあ…美味しいし」
 思い返せば、この年の4月のこと。第一理科室隣にある理科準備室の片隅に置かれた天体望遠鏡に気付いた、この一年生の男子生徒・五十嵐飛鳥の情熱に感心した物理担当の安西教諭が、
「私が週番で遅くまでここに残る日に、あれで天体観測するというのはどうだろう?」
と切り出したことから始まった。
 教職員の間で交代に、放課後の校内の見回り・点検などを行うのが週番である。職員室での『島』こと、机を接している六人の教師で一週間を受け持ち、また次の島へと移る。従って、週番と言っても実質一人一日の分担となり、それが一月から一月半ごとに回ってくる。『日番』と呼ぶのが正しいのかもしれない。
 安西教諭に週番がまわってくるたびに、彼は生徒たちが去って静寂に包まれる校内に残り、望遠鏡を夜空へと向けている。たまたま加わった初回以降、頼まれもしないのにやってくる彼のクラスメート・神足魅羽が今回も一緒だ。
 飛鳥は望遠鏡の設置を終え、西の空を見遣る。
「もうすぐ日が暮れるな」
「今日は何を見るつもり?」
 魅羽に訊かれ、彼は星座早見盤に懐中電灯を当てながら、
「火星が地球に接近してて、東のおひつじ座とおうし座の辺りに普段より明るく見えるはずなんだよ。それと…この時期になるとアンドロメダ座が北東から天頂に近付いてくるから、アンドロメダ銀河を探して。はくちょう座のデネブ・こと座のベガ・わし座のアルタイルから成る『夏の大三角』は、先月の同じ時間からみたら西に移動してるはずだね」
「はあー。毎度毎度、予習は抜かりなしって感じだね。その意欲を、英語とかの予習にも分けて使えばいいのに…訊かれたその場で考えて答えるより楽だよ?」
「余計なお世話だ」
「でも、今度はアンドロメダ銀河きたかあ…昔はアンドロメダ星雲って呼ばれてたらしいね」
「知ってるのか?」
「宇宙戦艦ヤマトが向かった『イスカンダル』があるって設定された大マゼラン銀河などと共に、この太陽系の存在する銀河系と合わせて局部銀河群を形成する…。他にも『銀河鉄道999』の機械の体をくれる星とか『聖闘士星矢』の星雲鎖ネビュラチェーンとか…少年漫画やらアニメやらに登場するっていう」
「お前…一体何者だよ。つうか、年いくつ?」
「詐称なしの十六歳だってば。『ただ可愛いだけじゃなく知識もある、才色兼備の女子高生』とでも言っておこうかな」
 相変わらず自画自賛気味の彼女であった。飛鳥が小さくため息をつく。
「準備完了のようだね、五十嵐くん」
 屋上に現れた初老の紳士に、振り返って答える。
「はい、安西先生」
「神足くんは今日も来たんだ…。君も好きだねえ、月曜なのに」
「ええ、まあ」
 魅羽は何にでも好奇心を持ち、あれこれ調べたがる性質たちである。もちろん、夜の星空もスィーツも嫌いではない。だが、実はそれ以上の関心事があって ここへ来ている。
「日没から午後八時まででは、色々と制限も多いだろうけど…いいもの見られるといいね。じゃあ、私はまた少ししたら来るから」
 そう言い残し、安西教諭は階下へと去っていった。
「今日は観測日和ってとこだね」
 曇りのち晴れ。空を見上げていた魅羽が、同意を求めて飛鳥へと視線を移す。彼は眼鏡を外してクロスで拭いているところだった。
「…誰かと思った」
「はあ?そんな訳ないだろ。眼鏡が無いだけだぞ」
「でもねえ、顔のパーツが一つ足りない気がするもんだよ?普段から付けてるもんが無いわけだから」
「ひどい言われようだなあ」
「だけど…眼鏡外したとこ、初めて見たかも。ハイテクな防汚加工でもしてあって拭く必要なんて無いのかと思ったよ」
「何言ってんだよ、お前が知らないだけ。高校入学して半年以上、学校に居る およそ1/3日、眼鏡かけっ放しって有り得ないだろうが」
「ちょっと貸して」
 渋々ながら、飛鳥が黒縁の眼鏡を魅羽に手渡す。試しに掛けてみた途端、彼女が声を上げる。
「何これ!目まいしそう…度が相当きつい」
「そりゃ、まあ…俺の命綱だし。お前は裸眼だっけ」
「うん。でも片目0.3で両目0.7…車免(=自動車免許)の規定ぎりぎりってとこ。教室の後ろのほうだと、小さい字で黒板に書かれるとお手上げだね」
 自分の手の中にある眼鏡に一度視線を落とし、そして隣に立つ同級生をまじまじと見つめた。
『お前…やっぱりコンタクトにしたほうがいいよ』
 言いかけて止める。
(仮にもそうなった場合、外見から入る女子たちが手の平を返したようにコイツに注目するじゃないの…)
 負ける気はしないが、ライバルなど居ないほうが…最初から争いの種など無いほうがいいに決まっている。
(だけど…)
 日も暮れて周囲は夜の闇の色。星の光に彩られる深い藍色の空を見上げる。
(彼は今のところ、『天界の女神様』に夢中…ってとこだし)
 まさか自分がアンドロメダ姫に敵愾心てきがいしんを持つことになろうとは、半年ちょっと前まで思いもしなかった。
「そろそろ返してくれる?」
「あ…はい」
 眼鏡を受け取った飛鳥は、当たり前のように掛け直す。しかし、またすぐ外す。
「レンズに手垢付けただろ、お前。せっかく拭いたのに」
 すぐ傍から自分を見下ろしている彼が、軽く眉をひそめる。けれども、怒っている様子はない。
(勘違いとか思い込みじゃなくて…「あんたの趣味が分かんない」って言われても、それでもきっと、あたしは彼がいいんだって思ってる)
 彼の肩に手を置き、背伸びして顔を覗き込む。驚いたように目を丸くした彼の表情が想像以上に可愛らしく、魅羽は嬉しくなって笑った。
「神足…」
「なに?」
 真顔で名前を呼ばれ、内心おどおどしながら訊く。
「お前、何か食べてるだろ?ガムか飴か…シトラス系の」
「え?ああ…さっきまでね」
「自分ばっか、ずるいなあ」
 黙ってしまった彼女に、飛鳥が手のひらを差し出しながら、
「こう言えば くれるのかな? " Trick or treat ! "って」
 今日はハロウィン。仮装した子供たちが " Trick or treat ! "―「お菓子をくれなきゃイタズラしちゃうぞ!」と家々を訪ねて回る。
(子供じゃあるまいし…。だけど、こんな冗談言うこともあるんだ)
 魅羽は ふうっと大きく息をつき、
「分かったよ。でも、あれはさっきのが最後の一つだったの。別のでいい?」
「別の?」
「そう。ブルーベリーミントのど飴」
 言い終える前に、ポケットから銀色の小さなチャック付き袋を取り出し、
「無印良品のでね、これ大好きなんだけど…個包装じゃないのが不便なんだよねえ。あ、でも…」
「なんだよ」
 彼女が振り返ると、三階と屋上を繋ぐ階段の先にある金属製の重いドアがゆっくりと開く。
「お待たせ。お茶にしようか」
 安西教諭が、いつものように小さな卓上ポットとお茶菓子を持って現れた。
「目標のものは見付かったかい」
「いや、それがまだ…」
 眼鏡をさっと拭いてかけ直し、飛鳥が答える。
「そうか。君にしては珍しいね」
 折り畳みテーブルの上に紙コップを並べて お茶を注ぎ始める教諭を眺めながら、
「五十嵐…お前の嗅覚は犬並みか?あの距離で良く分かったな」
「え?お前だって相当だろ。先生が…というか、お菓子が来るの嗅ぎ付けたんだろ?さっき」
「違うの。あれは嗅覚じゃなくて勘だよ」
「ふーん。どっちにしても便利なもんだね」
「さあ、どうぞ。今日は黄身しぐれだそうだよ…毎度和菓子ばかりだね、本当に」
 この笑顔からフライドチキンやホットビスケットではなく、日本茶と和菓子が出てくるのは不思議な感じだ。ケンタッキー・フライドチキンの前に立つ『あの おじさん』似の安西教諭が、二人に お茶と夫人お手製の菓子を勧める。
「いただきます!」
 満面笑みで黄身しぐれを頬張る同級生を横目で見ながら、飛鳥は望遠鏡に向かう。
『女心と秋の空、今夜から明日朝にかけては快晴でございます』
 彼女につられるように、安西教諭も一緒になって にこにこしている。そんな二人を遠目に見て 軽くため息をついたあと、彼はようやく今日の本題―昨日30日に地球に最接近したという火星を探し始めた。

『Secret Base』「Oct-2005」より

この後、過去記事「拙作語り㉕」にある「Apr-2006」「Apr-2007」が続き…
以下は「Apr-2007」後半部、正式にクラブとして発足し、ニックネームを付けるくだり。

 こうして啓人が加入を決めて生徒が五人集まり、岸浪教諭が顧問となることで、『理科室に集う、放課後の趣味人たち』は正式に「サイエンスクラブ」として申請するに至った。
 諸橋校長は事情を聞くと、すぐにうなずいて見せた。
 感謝の言葉を残して校長室を後にした岸浪教諭と入れ違いに、内山主任と金沢教頭が校長室を訪れる。
「認可されましたか…科学クラブ」
「ええ、安西先生の置き土産ですからね。こうして正式に活動を開始できる運びになって良かったと思ってます」
 校長が言うと、
「校長は安西先生を信頼しておられましたからなあ」
「いえ、退職された今でも尊敬してますよ」
「しかし、あの岸浪君は…」
 やや不安げな表情で、教頭は正直な思いを口にする。
「確かに、少々心配ですよね。生徒たちには兄貴分といいますか、受けが良いようですが…自由で型破りなところもありますし」
 内山主任も率直な見解を述べるが、
「私もそう思っていました。生徒はともかく、父兄や他の教員たちと問題を起こすのではないかと…。けれども、この一年何事もなく過ぎましたからね」
「なるほど。安西先生が後事を託しただけはある、ということですか?校長」
 神経質そうな痩せ型で背の高い、白髪がめっきり増えた五十過ぎの紳士である金沢教頭の言葉に、彼より更に三つ四つ年嵩の老婦人・諸橋校長は笑顔でうなずいて応えた。
  *
「皆!認可が下りたぞー。これで、正式にサイエンスクラブ発足だ」
 放課後の第一理科室に集合していた五人の生徒に開口一番で報告をし、
「せっかくだから、ここでのニックネーム付けようか」
 岸浪教諭はそう言い、生徒たちに独断と偏見で呼び名を付けていった。
「まずは…お前だな、五十嵐。ハッブルってのはどうだ?現在の宇宙論はこの人なしに語れないって偉人だからな。天文好きのお前にはピッタリだろ」
桜井侑斗さくらい ゆうと〈※補注後掲〉じゃないのか」
 ぼそりとつぶやいた啓人に、教諭が即、ツッコミを入れる。
「有田、お前…その年にもなってまだ仮面ライダー見てるのか?ガキだなあ」
「何言うんですか、先生。仮面ライダーは老いも若きも男にとってはロマンですよ」
 間髪入れずに反論してから、ふと気付く。
「桜井侑斗って聞いて仮面ライダーと結びつくってことは、先生だって見てるんじゃないですかー!」
「ああ、それなりにね」
「やだなあ。男って、いくつになっても子供なんだから」
 三年生の女子生徒・神足魅羽が呆れたように口にすると、
「でも、俺も つい見ちゃう」
「おれも」
 他の二人の男性陣も、話に加わる。
「わたしも、っていうか…日曜の朝はテレ朝(=テレビ朝日)かけちゃうな」
万希まきちゃんもなの!?」
 事実上孤立したらしい魅羽は頬杖をついて ため息をついて見せるが。
「でも、五十嵐が桜井侑斗なら、さしずめ あたしは愛理あいりさん〈※補注後掲〉かな?」
(結局あんたも見てんのかよ!!)
 啓人は思った。
 と、間髪入れず、派手な音を立てて二年生の男子生徒・宇内那由多うだい なゆたが椅子から転がり落ちる。一瞬、第一理科室は水を打ったようにシンとした。
「どうしたの!?宇内くん」
 我に返って慌てて声をかける、同じ二年生の橿原万希かしはら まきに、
「いや、こういう状況…オチがついたときには取り敢えずコケておくってのが体に叩き込まれてて…」
 起き上がって椅子に座りなおしつつ、照れ笑いを浮かべて那由多が返す。
 転勤族の父とともに日本各地を転々としていた彼には大阪府民だった時代もあり、その頃の習慣が今でも残っているらしかった。
 彼が居住まいを正したのを見届け、啓人が言う。
「愛理さんっていうより、ハナさん〈※補注後掲〉でしょ?先輩は。あの右ストレート…正拳突きといい」
「誰がいつ、あんたを殴ったっていうの!」
 話は、ひたすら脱線の一途を辿っていた。
「まあいい、話を戻すか…。ニックネームっていっても、ここは理科室。俺たちはサイエンスクラブってことだから、過去の偉大な科学者にあやかった名前をってことさ」
 岸浪教諭が話を繋げる。
「橿原は女の子だから、女性科学者がいいかな…。とくれば、やっぱキュリー夫人からいただくか。放射性の元素を発見し、レントゲン車を駆って戦場の兵士たちを診たという目覚ましい活躍をしながらも妻として母として生きた、すごい女性だ…いいだろ」
 万希の返答を待たずに、次は那由多に向かい、
「宇内、お前は…そうだな、直接炎色反応と関係ある人物ならブンゼンとかキルヒホッフかもしれないが、正電荷をもつ原子核の周囲を負電荷の電子が回る原子モデルを提唱したラザフォードにするか。で、有田。意外とお前、論理的っていうか、順序だてるの器用なんだよな。元素の周期律表を作るに大きく貢献したメンデレーエフから貰うか。最後、神足。お前は…ノーベルで」
「あたしは『ノーベル』?その心は?」
「ニトログリセリンを研究し、ダイナマイトや火薬で巨万の富を築いたが、その実験中に事故で弟を亡くし…警察に追及された際、死人に口なしとばかり、彼に罪を着せた過去がある…。結局、現在のノーベル賞は良心が咎めた結果なのかもしれん。爆弾娘には丁度いいだろ?」
 売り言葉に買い言葉とばかり、魅羽が毅然と言う。
「じゃあ、あたしから先生にもニックネームを付けてあげますよ。先生は放課後の理科室ではフェルミ…アインシュタインの相対性理論を最悪の形で現実のものとした原子爆弾を生み出すのに関わり、原子番号100の元素・フェルミウム等を作り、初めて原子炉での核分裂反応実験を成功させた物理学界の大物。まあ、マンハッタン計画のリーダーはオッペンハイマーだったらしいけど…ぴったりじゃないですか?先生」
「神足、先生に喧嘩売らなくても…」
 横からもう一人の三年生・五十嵐飛鳥は なだめるように言うが、教諭は余裕の笑みで返した。
「いいだろう、上等だ」
  *
 こうして、『サイエンスクラブ号』は時の大海へと船出した。以降、過去ログも併せ、その航海日誌には彼ら乗組員クルーの功績?が書き残されていくこととなる。

『Secret Base』「Apr-2007」より

当時放映されていた仮面ライダーについての解説が、以下。クロニクル感満載。。

 2007年当時放送されていた仮面ライダーシリーズ「仮面ライダー電王」。桜井侑斗とは これに登場する、主人公・野上良太郎(=時の列車・デンライナーに乗る「仮面ライダー電王」でもある)の姉・愛理の婚約者。天文好きらしい。過去の彼がデンライナーとは別の 時の列車に乗って主人公の前に現れ、ゼロノスに変身して共に戦うことに…って、思い切り はしょった解説<汗。
 ハナさんは、デンライナーに乗っている、主人公の良太郎と同じく、過去が破壊されても消えることのない『特異点』の女の子。強い。

『Secret Base』「Apr-2007」補注

ゴールデンウィーク明けに文化祭の相談をするというスタイルも、初年度から……
ちなみに、筆者が大学時代、法学部は卒論が選択科目という話を聞いて奇声を上げた実話が何気に下敷きに…(汗)。あまり友達は多くなかったけども(自分で言った!)、一般教養の全学部共通科目である哲学の講義と先生とを通じて他学部にも知り合いが出来たんですよね…時間場所決めて待ち合わせして会うほどじゃないものの、どこかで顔を合わせたら何となくお喋りが始まるくらいの。。

 という訳で、正式に活動を始めたサイエンスクラブ(これまでの経緯は過去ログを読もう<笑)。当面の目標は「文化祭での出し物を企画・完成させる」だ。
 この つくばね秀栄高校では、毎年文化の日(11月3日)前後の金曜日に秀嶺祭しゅうれいさいと称して文化祭を開催する。吹奏楽や美術など、文化系の部活動にとっては恰好なアピール日でもある。
 ゴールデンウィークが明けて一週間ほど経ち、さすがに休みボケも修正されてきた頃。顧問であるフェルミ=岸浪教諭が、今日も今日とで放課後の第一理科室に集まってきた部員たちに問う。
「皆は決まったか?何やりたいか」
 まだ教員歴二年目のこの教師は、全員で一つのことをやるのではなく各自テーマを決めて発表・展示などを行うスタイルを提案し、
「そんな、今のうちから半年も先のこと考えられないよー」
 正直な思いを口に出した、ここでの呼称・メンデレーエフこと一年生の有田啓人ありた けいとに、
「準備は早いほうがいい、実験とはそんなもんだ。コツコツと実験や試作を重ねてデータを集めて論文書くような研究室じゃあ、修論はともかく卒論なら5月の初めには行動開始するのが常識なんだぞ。卒論さえ選択科目っていう某文系学部の人間にゃ分かるまいって感じだったなあ」
 言いたいことを言い終えると、教諭は生徒たちに、
「とりあえず、週末のうちに何やるか考えて来い」
と申し渡していたのだった。
「まずは部長から聞こうか。お前は?ハッブル」
 最高学年の男子ということで部長の肩書きを押し付けられた、ハッブル=三年生の五十嵐飛鳥が答えて、
「俺は天文関係で何か出来ればと…。『ホームスター プロ』買ったんで、それ使えば何も考えることないんですけど…部屋の準備が面倒な気もしますし、普通に過去の観測記録と撮影写真をまとめてみようと思います。他にも、何か天体の仕組みを立体的に見せたいなとか」
「はあー、あのSEGAの家庭用プラネタリウムか。あんな高いもの買えるとは、今時の高校生は金持ちだね」
 この教諭の言葉に、彼は不満げに、
「そんな軽くポーンと買えたわけじゃありません」
「おれは、ずっとやってるアレを…何か見せやすい形でと」
 彼の右隣に座っていたラザフォード=二年生の男子生徒・宇内那由多が言うと、
「ああ、炎色反応ね。どういう風に発表するかが頭の使いよう・腕のみせどころだな。で、女性陣は?」
 話を振られて、まずノーベル=三年生の神足魅羽が現況を述べる。
「前にもチラッと話してたように、石けん作りを考えたんですよ。でも…ほんとはオリーブオイルとか、いかにも肌に良さそうなの使いたいんですけど、なんか不飽和脂肪酸の多い油で作った石けんは匂いも色も変質しやすいって本に書いてあったから、どうしようかなあって」
「石けんですかあ」
「うん、そう。アレッポ石けんとか釜出し一番石けんとかマルセイユ石けんとか…そんなのが理想だったんだけど」
「聞いたことありますよー。高い目標かかげましたね、先輩は」
「さすが、キュリーは女の子だね!話が分かるぅー」
 話にのってきたキュリー=二年生の橿原万希と一緒になって、女子だけで盛り上がる。顧問は軽く咳払いをし、
「まあ、確かに 石けん作りの一つの王道として、油脂に苛性ソーダ つまり水酸化ナトリウム水溶液を加えて加熱の上、塩析で結晶取り出すっていう方法があるわけだが…そういうときこそインターネット様の御力を借りるんだよ。油脂をさほど熱くせず塩析もしないコールド・プロセスって方法もあるって話だぞ。オリーブソープとか…その、伝統的な『サボン・ド・マルセイユ』のレシピも載ってたな…」
「すごい、先生!だてにあたしたちより年くってるわけじゃないですね!」
「褒め言葉に聞こえないが…」
 しかし軽くおだてられて機嫌がよくなったフェルミは、改めてキュリーに問う。
「お前は?」
「わたしは草木染めをやりたいなと思ってます。お茶とか たまねぎの皮とか、身近なもので…。媒染剤を替えると色が変わるっていうのも面白いでしょうし」
「そうか。女の子らしい視点でいいねえ」
 最後にメンデレーエフに視線を移し、
「で、お前はどうだ?メンデ」
「オレは、化学手品のお約束でカルメ焼きを」
「…ほんとに平成生まれか?お前。古いぞ」
「クラシックも必要ですよ」
 全員の構想が出揃ったところで、教諭が うんうんと首を二度ほど縦に振って告げる。
「なるほど。皆、なかなか個性豊かでいい感じだな。じゃ、各自予定を立てて準備を開始すること。特に三年生の二人は受験が控えてること考えて前倒しで進めとけよ。相談には乗るから安心するように」
「蟻が鯛なら、芋虫ゃ鯨。おっと合点、承知の助でえ」
 思わずそう答えてしまったメンデレーエフに、再びフェルミ教諭が冷めた口調で言う。
「メンデ…どこからそういうネタ仕入れて来んの?お前」
「どこって、『にほんごであそぼ』とか『懐かしい日本の言葉ミニ辞典』ですけど。すみませんね、恥ずかしながら末の弟がまだ幼稚園児なもので。…あ、でも仮面ライダーは弟につられて見てるわけじゃありませんよ」
「そんなことまで訊いてねえよ」
「先生とメンデ、いいコンビだね」
 ノーベルの言葉に、他の皆もうなずいて笑い出した。
  
 まず行動を開始したのはノーベルだった。会合の翌週には材料を集め、試作に着手する。
「いくらなんでも早いんじゃないですか?先輩」
「早いことなんてないの。とりあえず形になった石けんを乾燥・熟成させる一ヶ月~三ヶ月って時間と、お試しに関わる肌サイクルを考えると、今からだって遅いかもって感じなのに」
「熟成?肌サイクル…?」
 メンデレーエフは首をかしげるが、キュリーは女子だけに美容関係の知識を持ち合わせていたらしく、
「化粧品が肌に合うかを見極めるには、肌細胞が新しいものに置き換わるまでの約一ヶ月間、『肌サイクル』に合わせて使ってみる必要があるって話なの」
「はあー。女って大変なんだね」
「男も女も関係ないの、ターンオーバーは新陳代謝の一つなんだから」
 キュリーの後をノーベルが引き継ぎ、
「そうそう。若さでごまかせる期間は想像以上に短いもので…今のうちからそれなりに考えておいたほうがいいよ、メンデも」
「何をおっしゃるウサギさん。オレはまだまだ若いですよ!少なくとも、あなた様より二年も若いですよ?ノーベル先輩」
「メンデ、あんた。その口、この出来立ての石けんでゴシゴシと洗浄してあげようか?」
 ラザフォードが見かねて、本当にやりかねないノーベルを なだめるように、
「先輩、抑えて抑えて。そんなに怒ってシワが増えたら、美人が台無しですよ」
「って…ラザ、フォローになってないし。『火に油』」
「え?そう?」
 メンデレーエフに小声で指摘されても、彼は きょとんとしたままだった。
「…ったく、もう!ここの男共ときたら、デリカシーの無い奴ばっかし!」
 いきり立つノーベルに手を焼いた後輩たちが、距離を置いた机で一人 星座早見盤を回していたハッブルを呼ぶ。
「先輩!ピンチです、助けて下さい!」
 やれやれと肩をすくめ、黒縁の眼鏡をかけた背の高い生徒が冷静に一言投げる。
「お前は、大人げ無すぎ」
 彼に言われて、何とか怒りの導火線に点いた火が消えたようだった。一年生・二年生が、ほっと胸をなでおろす。
 こうして、夏至へと向かい昼間の長さがのびていく5月下旬の とある一日も、もうじき夕暮れを迎えようとしていた。  

『Secret Base』「May-2007」より

 平成19年、10月。文化の日前後の金曜日を選んで開催される秀嶺祭=つくばね秀栄高校文化祭が翌月に迫り、準備も佳境に入ってきた。
 そんな秋のある日の放課後。理科室の異変に気付いたフェルミこと岸浪教諭が、部屋に居たラザフォード=二年生の男子生徒・宇内那由多に尋ねる。
「臭う気がするんだが…なんだろな?」
「ああ…きっとアレですよ」
 答えながら、ラザフォードはベランダのほうを指差す。
 フェルミがベランダで見たものは、干されている多量のたまねぎの皮と、紅茶や緑茶の出がらしだった。
「誰だ!?あんなもん広げとく馬鹿は」
「キュリーですよ。草木染めに使うから、って」
 一応の納得はしたものの、フェルミは眉をひそめる。
「わざわざ学校持ってきてやるこた無いだろうに…。アパートとかマンションならともかく、彼女の家、れっきとした庭付き一戸建てじゃなかったか?」
「らしいですけど…なんか妹にすごく迷惑がられたって話で」
 ラザフォードの説明に、教諭は深くため息をつく。
 このサイエンスクラブの生徒たちは、確かに特別進学クラスであるA・B組所属の成績優秀者ばかりだが、『天才となんとかは紙一重』を地で行ける、並の十代からはズレのある変わり者が多数派だ。キュリーこと二年生の女子生徒・橿原万希は、この個性の強い…アクの濃いメンバーの中にあって唯一まともな生徒だ、と彼は思っていた。しかし……
(朱に交われば何とやら、なのか…元々こんなんだったのか…)
 どちらにしろ、頭痛の種が増えたことに変わりは無かった。
  *
 部員たちは、ほどなく一つの問題にぶち当たる。
 演示実験は実際にギャラリーの目の前でやって見せるのがいいのだが、そう何度も上手いタイミングで客が来るとも思えない。
「そんなときは、コレ!ぱっぱかぱっぱっ、ぱっぱかぱっぱっぱー…デジタルビデオカメラー!実演ビデオを作るのだー」
 おかしな前置きのあとビデオカメラを取り出したメンデレーエフこと一年生の有田啓人に、つかさずフェルミ教諭が突っ込みを入れる。
「某猫型ロボットの四次元ポケットか、お前のバッグは」
「でも、そんなの持ってきちゃっていいの?お父さんのなんでしょ、どうせ」
 キュリーが言うと、
「いや、これはオレの。親父は親父で持ってるし」
「…お金持ち」
「小金持ちだよ」
 皆あまり口にはしないけれども、メンデレーエフの家は地主…土地持ちである。つくばエクスプレスが開通してから多少事情は変わったようだが、それでも地価は先行き不透明。正直、あまり得かは分からなくなりつつある今日このごろではあるものの、なんだかんだで彼の家は結構裕福らしかった。
「さっ、オレは何を撮れば良いですか?」
「じゃあ、おれ予約!明日以降だけど」
「あ…そうだ。なら俺も、もう一件くらい内容足そうかな」
 彼の言葉に、次々と手が挙がる。今日のところは和やかに進んでいるようだった。
「不思議ですねえ。横槍が入ることもなく、こんなスムーズに行くとは」
 メンデレーエフが理科室を見回し、部員が一人足りないのに気付く。
「ああ、そっか。ノーベル先輩が不在なんですね?今日は」
 なるほど、本日の第一理科室にはノーベルこと三年生の女子生徒・神足魅羽の姿が無かった。
「なんか、推薦出願の件で担任と相談してくるって言ってたから…それじゃないの?」
 彼女と同じクラスの男子生徒・ハッブル=五十嵐飛鳥が答える。
「へえ…先輩は推薦なんだ。そうですよね、三年生はこれから本格的に受験モードですからね」
 そこまで言うと一呼吸おき、メンデレーエフはハッブルに話を振る。
「こんなとこで、こんなことやってて大丈夫なんですか?ハッブル先輩は」
「こういう時間も必要なんだよ。明け暮れ受験勉強やってられる訳ないし」
「そうですよね…」
「他人事だと思うなよ、君たちも。あと1、2年後にやってくるんだから」
 全員でひとしきり笑ったあと、各自作業に戻る。実に穏やかに秋の夕暮れを迎えた一日であった。
  
 そして11月に入り、いよいよ秀嶺祭前日の木曜日。
 どうも、この名前は「秋の祭り」とかけてあるらしい。高校だけに土日とはいかず金曜日開催だが、一般の来校も歓迎しているため、生徒の父兄以外にも、現在主婦だったり金曜に休みを取れる仕事をしている卒業生などが訪れる。有名人は呼ばれないが、かなりの賑わいを見せるのだった。
「ガーデニングクラブに対抗して、売って売りまくって儲けてみせる」
と豪語していたメンデレーエフだが、顧問のフェルミ教諭にあっさり却下された。
「元手がそれなりにかかっているノーベルの手作り石けんやキュリーの草木染めハンカチでさえ原価すれすれ、つまりは儲けゼロでの販売なのに、ザラメと重曹だけで出来るカルメ焼きなんぞ売り物にする気か?阿呆」
 あくまで利潤追求ではなく、文化的活動を楽しむイベントなのだから…という上からのお達しなので尚更だ。
「まあ、ヘソ曲げるなよ。無事に終わった暁には打ち上げやるからさ」
「え!?どこ?どこで!?」
「ウエストハウス、予約済み」
 ブイサインを出しながら、教諭が笑顔で答える。
 この近隣に住んでいるか通っている者ならば恐らく知らぬ者はない、つくばの有名な老舗洋食屋である。ジャンボパフェなども名物で、テレビに出たこともある。
「ただし…あのビックリパフェは俺のおごりだけど、あとは割勘つうか会費制ってことだから、その辺勘違いしないように」
「何それー。先生、ケチだあ」
 素直に不満を言うノーベルに、
「まだ就職して二年目の俺が、そんな稼いでるように見えんのか?お前らには。苦労の割には安いんだぞー、薄給なんだぞマジで」
 会場作りを進める部員たちが笑い出す。
 いよいよ明日、文化祭が幕を開ける。かなり古いが、言うなれば正に『決戦は金曜日』を迎えようとしていた。

『Secret Base』「Nov-2007<1>文化祭、準備編~前月から前日まで」より

そして文化祭当日には、こんなことも・・・

 昼休み、理科室で各自弁当を広げながら、とりとめのない話をしていると。
「あのさ、あたし午後イチで体育館行ってくるけど大丈夫だよね?」
 魅羽が何の前触れも無く、そんなことを言い出した。
「体育館?」
「そう。ステージ発表の、午後の部第一番を拝聴にね」
「午後の部の最初って…吹奏楽部ですか?」
 文化祭の案内パンフレットを開きつつ、万希が訊く。
「うん。『ぜひ聞きに来て』って言われてて」
 魅羽はその男らしくもあるサバサバした性格とショートカットのせいか、異性よりもむしろ同性に人気がある。
「神足さんには女子の制服なんて似合わない!」
と思っている女子生徒も居ると聞く。
「まあ、大丈夫だと思いますよ。先輩は実演しないし…。オレたちは先輩の留守中、思う存分心の洗濯させていただきますから」
「ちょっと、有田。どういう意味!?」
「いえ、別に…。それより、急いだほうがいいですよ。行ってらっしゃい、先輩」
 むっとしたようではあるが、実際開演時間が迫っていたので、彼女もそれ以上の追及はせずに席を立ち、理科室を後にした。
  *
 吹奏楽部の演奏を聴き終え、体育館を出て西校舎、続いて南校舎の長い廊下を進み、東校舎へと戻る。東校舎と南校舎を結ぶ渡り廊下の手前で、ちょうど第一理科室のほうから歩いてきた四人連れとすれ違う。二十代半ばから後半ほどの若い女性ばかりが三人。そのうち一人は、二、三歳くらいの子供と一緒だった。
「けっこう色んなことやってるんだね、高校の文化祭でも。思ったより楽しくって、来て良かったかも」
「そう言ってもらえて嬉しいな。わたしも久しぶりで来たんだけど」
「ユキナはここのOGだもんね」
「OGって…。卒業生って言ってよ」
「あ、ごめんごめん」
 楽しそうな話し声がこちらまで聞こえてくる。女三人集まればかしましい、とは良く言ったものである。
「でも、ちょっと残念だったなー。クミのカレシ、見たかったけどなあ」
 魅羽は、その一言に はっとして思わず振り返る。
「『俺は見世物じゃ無え』って言うような人だから…。黙って来たけど、野生の勘ででも気付かれたのかもね」
 東校舎二階で展示・発表を行っているのはサイエンスクラブのみ。まさか飛鳥や那由多、啓人があんな年上の美女と付き合っているとは思えない。考えうる可能性は、ただ一つだった。
(あの人…先生の、彼女?)
 出所は不明だが、噂には聞いたことがある。
「あのさ、岸浪先生にはカノジョが居るらしいよ?かなりの『綺麗なお姉さん』なんだって。週末、たまに二人でここらを歩いてるみたいだよ」
  *
 理科室に戻ってまず、居合わせた部員たちに訊く。
「先生は?」
「え?準備室じゃないの?『やっとこさ、遅い昼飯にありつける。邪魔すんなよー』って言ってたから」
 飛鳥が答えると、
「分かった、ありがと」
 そのままツカツカと準備室のドアへと向かい、ノブに手をかけた彼女を、那由多が止める。
「今は止めた方がいいと思いますけど、先輩」
「何も怖いことなんて無いってば、あの人が怒ったとしても」
「おれは嫌です」
「責任はあたしがとるから、黙って見てなさい」
「…分かりました。絶対ですよ」
 ドアを開けて準備室に入り、後ろ手にドアを閉める。
「先生」
「なんだよ。昼飯中なんだけど」
「分かってますよ、さっき聞きましたから」
「だから何なんだよ」
「つかぬことをお訊きしますけど…先生の彼女、ここに来ましたか?さっき」
「…はあ?誰が?」
「だから、先生の彼女ですよ」
「さあ…。だが、そんなはずないって。今日は金曜日、奴だって仮にも社会人だぞ」
「でも、ここに戻ってくる途中ですれ違ったF1層〈※個人視聴率の集計区分の俗称で、20~34歳の女性のこと〉な人達が話してたんですよ。『クミのカレシ、見たかったけどなあ』『「俺は見世物じゃ無え」って言うような人だから…』って」
「なんだと!?本当かよ、それ」
「本当ですけど」
「…ま、いいや。他の連中にはとりあえず黙っとけよ」
「はあ…」
 彼女が準備室から戻ってくると、啓人の姿がない。
「あれ?有田は?」
「『オレも他所見てくるわ』って…」
「あ、そう」
 しかし、それから五分と経たずに彼は大慌てで舞い戻ってきた。
「大丈夫かな、オレ…」
「どうしたの?」
 万希に訊かれて、
「幻でも見たのかな…。まさか、人形が喋って歩いてるなんて…」
「はあ?」
「85年の阪神タイガース優勝時、道頓堀に放り込まれたっていうカーネル・サンダース人形の呪いか!?でも、何故に今時こんな茨城県南部で…」
 何故に自身が生まれる前の出来事を知っているのか謎な啓人のひとりごとであった。
「カーネルって…もしかして」
 飛鳥がつぶやき、魅羽と顔を見合わせる。
「もしかしたら、アンジーが!?来てくれたのかも!あたし、探してくる」
 そう言って、魅羽が席を立ったとき。戸口に目をやった啓人が声を上げた。
「わ!出た!!」
 噂をすれば影、とは正にこのことだろう。淡いベージュのジャケットとカーキ色のスラックスという、ケンタッキー・フライドチキンの前に立つあのおじさんと服装こそ違うが見た目そっくりな紳士が、理科室の引き戸の手前に立っていた。
「安西先生!」
 啓人以外は何かと世話になった、今年の春退職した物理教諭が姿を見せたのだった。
「話には聞いていたが…立派なもんだねえ」
 理科室の中を見回す彼の後ろから、年頃の同じ婦人が顔を覗かせる。
「今日は家内も一緒なんだよ」
「あ、奥さまですか!その節は…毎度毎度ご馳走になりました」
 魅羽の言葉に、夫人は照れたように微笑み、
「あなたが神足さん?主人の言ってた通りの、快活なお嬢さんね」
「お褒めにあずかって光栄です。さ、どうぞ。案内します!」
 最上級のスマイルで答えてから、魅羽は部員たちのほうへと振り返り、
「ホラ、何休んでんの。全員、配置に付きなさい」
 最高学年の男子だから、という理由で部長にされたのが飛鳥。似たような理由で副部長となったのが、もう一人の三年生である魅羽だった。しかし、元々姐御肌というか指導者タイプの彼女こそが、本来の意味でのこのサイエンスクラブのリーダー的存在であった。
「先輩、いいんですか?あの人に仕切らせといて」
 自分のブースに戻りながら、啓人が飛鳥に小声で話しかける。
「いいんだよ。この件については、あいつの言うこと間違ってないし。そもそも、女を立てるっていうか…男は女性の手のひらで転がされてる感じのほうが何かと上手くいくんだって言うからね」
「はあ…。どこで学んだ処世術ですか?それ。でも、何だか悲しいですねぇ…まるでお釈迦様の手の上から逃れ出られない孫悟空じゃないですか」
「有田は亭主関白とかにあこがれてる訳?玄関先に三つ指ついて『お帰りなさいませ』ってお出迎えされたいタイプ?今時難しいと思うけどな…。それより、早く準備したほうがいいぞ。いつものが始まる前に」
「了解っす」
「じゃ、まずは あたしのブース…石けん製作のお話から」
 少し得意げに解説を始めた魅羽の声が聞こえてくる。 
 ちょっと強引で自分を褒めすぎる所はあるが、飛鳥はそんな彼女が嫌いではなかった。かすかな笑みを浮かべつつ、自身のブースの席について夫妻を待つのだった。

『Secret Base』「Nov-2007<3>文化祭当日~来訪者」より

無事に文化祭が閉幕した後には・・・

 あれよあれよという間に、秀嶺祭は終了の刻限を迎えた。一旦帰宅してから打ち上げ会場に来るよう指示が出されていたので、片付けが終わると、皆下校していった。…約一名除き。
「五十嵐。お前は自宅帰ってたらもう出て来れないだろ。私服持ってきて、神足の家で着替えさせてもらえ」
 昨日、飛鳥は唐突に岸浪教諭からそう言われた。
「確かに、帰宅してたら間に合いませんけど。でも、なんで神足の家なんですか」
「学校で私服に着替えて集合ってのは、あんまし風聞よろしくないんでね。お前と神足は、近くのローソンまで来とけば俺が拾ってやるから」
 かといって同級生の異性の家に小一時間居座るのも気まずい。教諭が学校を後にして会場に向かう時間ぎりぎりまで校内に留まることにしたのだった。
 開け放たれた引き戸から、廊下に差し込む夕日が第一理科室にも入ってくる。
 すると、突然理科準備室から声がした。
(先生一人のはずなんだけど…)
 つい聞き耳を立ててひととおり話が済んだ頃、そろそろ時間とばかり、彼はようやく学校を後にした。
  * *
 神足魅羽の自宅を訪ねると、ドアを開けて顔を出した同級生はいつになく可愛げのある表情で、
「お帰りなさい」
 そして微笑んで見せる。
「…つうか、ここ、俺の家じゃないし」
「分かってるよ。ちょっと言ってみたかっただけ」
 あとは普段通りの彼女だ。愛想もなく中に招き入れられる。
 ほんの一瞬とはいえ、飛鳥は『仕事を終えて疲れて帰ったところを迎えてくれる愛しい新妻』という図式を想像した自分が情けなくなった。
「そういえば…先生が電話で誰かと話してたな、かなり熱くなって」
「へえ…」
「先方の言ってたことは分からないけど、推測で補間するならこんな感じかな」
  *
「お前、今どこだ?」
『どこって…自宅だけど』
「自宅って、守谷もりやのかよ?今日は金曜じゃないか。仕事どうしたんだよ!?」
『休みにしたの』
「休み!?いい身分だな、お前。どういうことだ!?」
『だって、上司が出張だったから』
「上司が出張って…あの偏屈なおっさんが?どうして、よりによって今日…。じゃあ、うちの文化祭に来てったってのは本当なのか!?」
『中学時代からの友達が、つくばね秀栄の卒業生でね…一緒に』
「お友達はいいんだ、どうしてお前まで来んだよ!?」
『生徒さんには抜き打ちテストするくせに、自分がアポなし訪問されるのは嫌なの?』
「それとこれとは話が別だろ。一言いえよ、どうせなら…コソコソしないでさ」
  *
「…へえー。普段はあんな余裕こいてる先生も、カノジョには頭が上がらないのかなあ」
「彼女と断定するのか?神足は」
「そう考えるのが自然じゃないの?…どうでもいいから、さっさと着替えたら」
「どこで?」
「そうだなあ…。あ。ちょっと、付いてきて」
 二階へと続く階段をのぼりきると、廊下を挟んで左右に一部屋ずつ。
「ここ使っていいや」
 魅羽は向かって左側のドアノブに手をかけ、少しドアを開けた。
「兄貴の部屋だけど、クラーク博士のお膝元は居心地がいいと見えて盆と正月にしか帰ってこないし…物もだいぶ片付けられてるから閑散としたもんだよ」
「お兄さん、居たのか…札幌に住んでるの?」
「うん、まあ…。一人暮らしがしたいんだ、スノボで思う存分滑るんだーって、H大にさ…。今まで別に話す機会も無かったからね」
「そっか…じゃ、借りるよ」
 部屋に入ろうとすると、
「あ。こっちの部屋は覗き厳禁ね」
「は?」
「あたしの部屋なの!」
「見られると困るのか?」
「見たいわけ?」
「別に…」
「じゃ、あたしは下に居るから…隣でも、ドア閉まってても人の気配あると嫌でしょ?」
「気を利かすね…珍しく」
 飛鳥が笑う。
  * *
 言われたように近くのローソンまで出ていた二人を拾い、会場に向かう。午後五時の時間通りに店の前に集合していた三名の部員たちと合流して、教諭が言う。
「あ。お会計は後払いな、来週徴収するから。お一人様、千円なり」
「え?でも、ここ…2100円からですよね?パーティープラン」
「その通り。資金援助の話が来たんで、値下げってこと」
「…資金援助?」
 那由多は首をかしげたが、多少事情が分かっている魅羽と飛鳥は、こう推測した。
(たぶん、援助資金の出所は先生の彼女だな)
「さ、入った入った」
 ぞろぞろと店内を進み、案内された予約席に座る。前もって注文しておいたのか、六人分のドリンクがほどなく運ばれてくる。
「ま、無事終了したってことで。皆、お疲れ様」
 岸浪教諭がグラスを取り、高く掲げる。
「ホラ、乾杯するぞ。乾杯」
 生徒たちも、彼に倣う。
「かんぱーい!」
 カン、コン、とグラスが小気味よい音を立てる。
 料理がほぼ出揃うと、
「はい、あとはしばしご歓談を…」
「…何の会ですか、これ」
「打ち上げ、だけど?」
 しかし夕飯時の高校生だけに、食べ始まると会話も無くなる。数十分は時折食器が音をたてるくらいで、静謐のなか過ぎていった。
 概ね皿が空になった頃、高さ60cmのパフェが運ばれてくる。話によれば十人前。
「さっ。完食目指して頑張るぞー!」
 一番気合が入っているのは岸浪教諭であった。
「とてもじゃないけど、このデカさだからなー。挑戦したくても相応の面子が集まらないと無理でさあ。頼りにしてるぞ、諸君」
「先生、甘党なんですね」
「おう。酒もタバコもやらない好青年よ?俺は」
「お酒頼まなかったのは、車だからってだけじゃなかったんだぁ」
「そうそう。世のおじさんたちが…あ、おじさんとは限らんが…何が楽しくてあんな苦くてマズいもん飲むのかが俺には分からんね」
「そんなこと居酒屋の真ん中で口に出したなら袋叩きに遭いますよ、先生」
 飛鳥が気を遣ってそう言うと、
「お前もそのうち分かるさ。俺はジンジャーエールで酔える男だからな」
「格好悪い」
「経済的ではありますけどね」
 生徒たちの嫌味など右から左へ受け流し、教諭がスプーンを手に取ったとき。
「あのー…」
「なんだ?宇内」
「噂には聞いてましたけど、実物見るの初めてなんで…写メ撮っていいですか」
「あ、なら俺も」
「わたしも」
「あたしも撮っとこ」
 そしてジャンボパフェの撮影会が始まる。携帯をパフェに向ける生徒たち、スプーンをくわえてそれを見守る二十代半ばの青年。ちょっと不思議な光景ではあった。
「もういいか?」
「ええ、どうぞ」
「…って、お前らも気張って食えよ!」
「分かってますって」
  *
 啓人が持ってきていたデジタル一眼レフ(!)で、お決まりの集合写真を記念にと撮影し、とりあえず社会人の真似事をして三本締めなど終えた頃には午後八時を回っていた。
 母親が迎えに来てくれるという魅羽と那由多、父親が近くの行政法人に勤めていて丁度この時間退社するから拾ってもらうという飛鳥を除いた二人を乗せ、岸浪教諭の愛車が走り出す。
「にしても、実家住まいの独身男が乗る車ですか?これ」
 啓人が軽く嫌味を言う。
「神足にも同じこと言われたよ。仕方ないだろ、選んだの俺じゃねーし。兄貴のお古」
 確かに、七人乗りのトヨタ車・ダークグレーのヴォクシーなど、実家住まいの独身男が乗る車ではないかもしれない。
「ま、兄貴も俺と同じ身の上だけど…あの人は車好きというか。出始めで買って、まだまだこれからだろっていうのに五、六年で乗り換えちまうからなあ」
 とりとめのない話をしているうちにも、車は走る。後部座席から自宅への道案内をしていた啓人が、長く生垣と白っぽい土塀の続く道路の脇に差し掛かったときに言った。
「あ、ここです。オレの家」
 教諭が慣れた動作で車を停めると、そそくさとドアを開けて降りる。
「ありがとうございました。お疲れっス」
 残る一人を家まで送るべく、再びヴォクシーは大通に戻る。つれづれに、岸浪教諭が後ろに座っている万希に話しかける。
「俺は大学は自宅通学だったし、今も実家住まいだから良く分からんけど…。橿原、お前偉いな。宇内から聞いたんだが、家事やってるんだろ?毎日毎日繰り返しで休み無し、誰も特に褒めてくれないっての」
「え?そうですけど…」
「いや、母親がワケアリで家事を引き受けてる『家事子さん』が知り合いに居るもんで…な」
(噂には聞いたことあるけど、彼女のこと言ってるのかな…先生)
 万希が何を考えているのかはお構いなしで、続ける。
「簡単にはいかないだろうが、たまには休めよ。お前は、ちょっと完璧を目指して頑張りすぎるきらいがあるっていうか…甘え下手と見受けられるから。恋愛相談は経験豊富じゃないんで無理だがさ、愚痴くらいなら聞くぞ?」
 同じクラブの女子生徒でも、魅羽には絶対にこんなことは言わない。彼にしてみれば、少し自身の恋人と似たところのある万希が気がかりに思えるのかもしれなかった。
「…ま、彼氏が出来るまでの期間限定だけど」
 ふと気付けば、自宅のすぐ傍まで来ていた。万希が慌てて言う。
「あ、次の角を右で…」
 自宅の手前で停めてもらった車から降りながら彼女は振り返り、ぽつりと告げる。
「彼氏なんて、当分は無理ですよ?気付いてもらえてないみたいですから…」
 そして、声を少し大きくして続ける。
「ありがとうございました。先生、お気をつけて」
「こちらこそ。家に帰るまでが遠足だからな、大丈夫…って、遠足じゃないがさ」
 深々とお辞儀する彼女に見送られ、岸浪教諭は一人自宅へと向かい愛車を発進させる。
「ただいまぁ」
 沢山の思い出を残し、様々な思いが錯綜した、彼らの平成19年秀嶺祭はこうして幕を下ろした。着実に近付いてくる冬を感じながら、万希は自宅のドアを開けた。

『Secret Base』「Nov-2007<4>文化祭当日~終わり良ければ、全て良し」より

写メ・写メールという単語に時代を感じる…
そして「右から左へ受け流す」も懐かしいフレーズ(しみじみ)
 
この後、「Feb-2008」が続き(多分、過去記事「拙作語り㉕」に既出)。
次は「Mar-2008」から未掲載の箇所↓

 3月7日。地元の旧国立大学を受験していた五十嵐飛鳥は、合格発表を見たあとで、つくばね秀栄高校に立ち寄った。とりあえず職員室で挨拶をしてから、第一理科室脇の準備室を訪ねる。合格者の受験番号が貼り出されるのは午前中。まだ昼前で、後輩たちが集まる放課後までは時間がある。
「律儀だなあ、お前も」
 たまたま金曜は午後からしか授業が無く、準備室に居た岸浪教諭が話し相手を買って出た。
「しかし、いくら自宅が陸の孤島だからって、放課後までここで粘るのは大変じゃないのか?どっか見歩いてくりゃいいだろうに…図書館とかクレオスクエアとか」
〈※クレオスクエア:TXつくば駅に隣接する、西武やジャスコ等から成るショッピングセンター。2024年現在、当時とはテナント等もだいぶ入れ替わり「トナリエつくば」となっている〉
「陸の孤島って…八郷やさと地区から刺客が来ますよ、先生。確かにちょっと不便かもしれませんけど、星が沢山見えるし…いいとこですって」
「結局お前の価値基準ってそれなわけね。だがなあ…その家、お前が買ったわけじゃないだろ?」
「ええ、両親が決めた所です」
(星空に固執するのは血統なのか…)
 軽くため息をついてから、教諭は話題を変える。
「そういや、お前…T波大受かったって言ったけか。つうことは、俺の後輩になるのか」
「先生も?なら、神足もです」
「あいつもか…」
「ええ。神足は去年のうちに推薦入試で」
「ああ、そんな話聞いた覚えあるな」
「で、先生はどこの学群・学類でした?」
「なんか去年から再編されたんだよな、色々と。昔の名前で言うところの第三学群応用理工学類物質・分子工学専攻だが…今はどんな肩書きになっているのやら」
「じゃあ、先生は理学修士じゃなくて工学修士…?」
「一応な」
「にしても…理工学の研究室で修論やりながら教員試験受けてたんですか、先生は。しかも一発合格とは。世の中には教員浪人も居るって話なのに、すごいですね」
「いやいやー、昔は若かったから。で、神足とお前はどこに?」
「神足は生命研究学群地球学類…再編前の名前は第一学群の自然学類地球科学専攻…だったかな。俺は、理工学群工学システム学類…再編前の第三学群ですね」
「はあー。確かに、あの大学には天文専門のセクションは無かった気がするが。しかし、工学システム学類なんて行って何すんの?お前」
「土木・建築関係を扱ってる環境開発工学主専攻を目指すつもりです」
「ふーん…しかし、工学システム学類か。情報・通信系だけど知り合いが居るから、会うことがあるかもな」
「もしかして、先生の彼女ですか?神足の話では、文化祭に来てったとかいう…。院生か大学教員とはかなりの才媛とみますけど」
「あいつはそんな偉かないって。研究室のアシスタントっていうか、教授秘書…非常勤職員だし」
 他のサイエンスクラブのメンバーになら適当に誤魔化して話題を変え、決して明かさないプライベートな事項を、教諭は彼にさりげなく明かしたのだった。
「まあ、それはいいや。あいつらには昼休みにここに来るよう伝えてやるから、とりあえず昼飯の準備だけしとけよ」
  *
 教諭は思い切ったことに、たかだか三人のサイエンスクラブの在校生を呼ぶために校内放送を使って召集をかけた。昼休みになった途端、三人が次々と第一理科室に駆けつける。
「先輩!今日合格発表だったんですよね!?で、どうでした?」
「受かってたよ、おかげさまで」
「おめでとうございます、ほんと良かったです」
「あ、そうだ。忘れないうちに…これ」
 彼が、いま理科室にただ一人の女子生徒である万希に、丁寧に包装された箱を差し出す。
「ホワイトデーには早いけど、当日は学校来ないと思うから」
「ありがとうございます。すみません、かえって気を遣わせてしまったみたいで」
 万希との話が終わったところで、啓人が言う。
「ってえことは、また神足先輩と一緒になるんですね?先輩は…お気の毒に」
「まあそうだけど、学群違うし。ああ見えて、可愛いとこもあるよ?多少は」
 合格発表を見に来たにしては不似合いな、彼の持っていた紙の手提げ袋に目を止めて、那由多が尋ねる。
「それは何ですか?でかい荷物ですね」
「これねぇ…俺の制服」
「は?」
「神足に『男子の制服、一度着てみたかったんだよぉ。貸してくんない?』って頼まれてさ…この後届けに行くんだ」
「はあ、先輩もとことんお人よしですよね。神足先輩の家は確かにすぐ近くらしいですけど」
「お前たち。話もいいが、昼休みは45分しか無いんだからな。どうせ昼飯持参で来たんだろ?特別に許可するから、ここで食ってけば」
 岸浪教諭が、準備室から顔を出して言う。
「…まあ、第二理科室と違ってホルマリン漬とか人体骨格の標本と一緒じゃないからいいだろ」

『Secret Base』「Mar-2008<2>3月7日~大学合格発表の日」より

その後、高校2年の那由多と万希が国立科学博物館に出掛けたりするのだが…
次はホワイトデー前日・3月13日の一件。

 そして翌週の木曜日。放課後になり、生徒たちの大半が下校して去った校舎に、『あいつ』がやって来た。
「よう。元気?」
 理科室の引き戸を開けたのは、くせ髪の男子生徒…かと思われたが。
「…ノーベル先輩」
 居合わせた三人は呆気にとられてしまった。
「男子の制服が着てみたいって欲求は、百歩譲ってOKとしましょう。でも、放課後とはいえ、それ着て先日巣立ったばっかの高校に来るって…どういう神経ですか、先輩は」
「どういうって…こういう神経だけど?」
 気に留める様子もなく、彼女は続けて、
「ホントは明日にしようと思ったんだけど、天気悪いみたいだから…もう用済みの制服とは言え、思い出の詰まった借り物だしぃ。なかなかイイでしょ?これ。だけど、思いのほかスラックスの丈が長くてねー。本人の了解得た上で仮縫いで裾上げしてるの」
 入学時からそれなりに背の高い生徒ではあった、この男子制服の持主・ハッブルこと飛鳥だが、高校三年間で更に身長が伸びたらしい。岸浪教諭も身の丈181cm、およそ六尺ある結構な『のっぽさん』だけれども、彼は知らぬ間に教諭の背を追い抜いていたのだった。
「そりゃまあ…少なくとも、森嶋はキャーキャー叫んで喜びそうですけどね」
「あ。森嶋さんって聞いて思い出した。メンデ、これ渡しといてよ…先月のお返しね」
「ああ…はいはい」
(キュリー、ちゃんとノーベル先輩に渡してたのか…ま、当然かな)
 先月の出来事を振り返るメンデレーエフ。「汗臭いのが移る」と言われたことを思い出し、ややムッとした様子ではあった。(※「Feb-2008」参照)
 かったるそうな彼に、ノーベルは紙袋を差し出し、
「運び屋くんには、足代としてコレあげるから。そうヘソ曲げるなよ」
「はあ…で、何ですか?中身は」
 受け取った紙袋を軽く振りつつ尋ねると、
「『当たり前田のクラッカー』だよ。好きでしょ?こういうの」
「また安~く使われるなあ、オレも…」
 だが、すぐ何か思いついたように、
「そうだ。オレじゃなくて、お前がそれも届けてやればいいんだよ、森嶋に」
 突然話を振られ、キュリーは驚いたように、
「え?わたしが?」
「どうせ、お前もお返し用意してるんだろ?オレが渡すより、あいつ猛烈に感激するぜ?面白いもの見られるよ、きっと」
「…考えとく」
 しばしの間をおいて、キュリーは ひとりごとのように返した。

『Secret Base』「Mar-2008<4>3月13日~ホワイトデー・イブ」より

こんな経緯があって、翌日のホワイトデーの昼休み、キュリー(万希)は1-A教室前の廊下にお返しを持って現れることに…。
ところで啓人よ、魅羽から足代として貰った前田のクラッカーは、ちゃんと万希に譲ったんだろうな!?と(苦笑)。。
さて同日(3月13日)の夜には…

 夜八時を過ぎ、夕飯も済んで一息ついた頃に携帯が鳴った。
(…有田?なんだろ)
 飛鳥は、不思議に思いながら電話に出てみる。
『もしもし。あ、先輩ですよね?ご無沙汰してます』
「ご無沙汰って…一週間くらいだけど。それより、何かあった?」
『いえ、携帯の無料通話が余ってるんで』
「そんな話、訊いてないって。何か俺に言いたいことがあるから電話なんてかけてるんだろ?今」
『ええ、まあ。聞きたいですか?』
「もったい付けるような話なのか?」
『いやー。今日、「あいつ」が来てったんですよ…先輩の制服着て、放課後の第一理科室に』
「…神足が?」
『はい。いやあ、卒業しても何かとやらかす人ですね…あの御方は』
「はあ…。話ってそれだけ?」
『それだけって…驚かないんですか、先輩は』
「あいつなら、やりかねないから」
『なるほど。さすがに付き合い長いですね…。実は、オレが先輩に言いたいことは他にもありましてね』
「ん?」
『神足先輩のことですよ。あの人、少々気位が高いといいますか…自分から「好き」って告ったり「付き合って」とか交際申し込めるタチじゃないでしょう?嫌で嫌で、大学一緒とはいえ学部離れてせいせいしてるってなら話は別ですけど、そうじゃないなら…引き受けてみたらいかがでしょうかね』
「は…?」
『まあ、先輩にはお気の毒ですけど、あのちょっと可愛い外見に騙される哀れな男子学生が将来何人出るかと考えると…いわゆる一つの人助けだと思って、どうです?先輩』
「…お前、あいつに何か積まれたの?」
『いいえ。オレの自発意思と勘で、今こうして話してます』
「あ、そう…」
『オレの提言は以上です。考えてみてくださいね。では』
 言いたいことだけ言うと、啓人のほうから電話を切った。
「提言、ねえ…」
 飛鳥は、先週金曜日に魅羽の自宅を訪ねたときのことを思い返す。
  *
「はい、これ」
 学校を後にし、帰りがけに立ち寄った彼女の家。制服の入った紙袋を玄関で手渡す。
「しかし…これで何すんの?」
「いや、ただいま考え中」
「世間体悪くなることするなよ。来月から大学生なんだから」
「ええ、まあ」
 相変わらずとらえどころのない彼女に、飛鳥はもう一つ、紙袋を差し出した。
「これ、あげる」
「何?」
「ホワイトデーの」
「え?あたし、あげてないよね?バレンタインデー」
「貰ってないけど…だって、自分で言ってたじゃないか。『あたしにとってのバレンタインデーは贈る側じゃなくて貰う側だしぃ』って」
 その勇ましくもあるサバサバした言動と、女子としては高めの168cmという身長。そしてくせ髪を見た目も軽やかなショートカットでまとめた彼女は、どちらかといえば異性よりむしろ同性に人気があった。
「橿原に渡すお返し買いに行ったから、何となく…。まあ、この三年色々あって、それなりに世話にもなったし」
「ふーん。じゃあ、これは手切れ金みたいなもの?」
「お前、少しは言葉選べよ。俺だからいいようなもんだけど、並の人間ならブチ切れてるぞ」
「だって、これで終わったわけじゃないじゃん。大学同じだし…」
「そりゃそうだけど、学群が違うし建屋も違う。今までみたいに、同じクラス同じ教室じゃないだろ」
「五十嵐はもう他人のフリする気満々なんだ…」
 そうつぶやくように告げた彼女が、どこか寂しげに見えた。しかし、すぐまたいつもの調子に戻り、
「じゃ、これは借りるよ。クリーニングはこっちで出しとくから。返すときに関しては、また後でメールでもする」
 閉ざされた玄関のドアの前から、なぜかすぐには立ち去れなかった。だが、何をどうすればいいのかも分からない。
(どうせ制服を引き取りにくるとき、また会うんだ…その時には何か…)
 ようやく思い切り、彼は近くのバス停へと歩き出したのだった。

『Secret Base』「Mar-2008<4>3月13日~ホワイトデー・イブ」より

創部前から一年目というのは、飛鳥と魅羽の二人を追うことメインにもなるのかもしれません。
創部二年目に入り、サイエンスクラブは新編成となりますが、二人の卒業生は自宅から近くの総合大学に通うので、以降も時々登場し。
以下、延長戦みたいな感じになりますが、もうしばらくお付き合いください。。
昨年度から持ち越した一件が語られるのが「Apr-2008<1>」。
児玉清さんが司会してた頃はもとより、クイズ番組・「アタック25」自体、放映終了してからもう何年も経ってしまった…嗚呼。。

 二学期・三学期の始業式のあとには昼休みを挟んでいつも通りの授業があったりするのだが、年度初めの始業式となれば事情は違う。式が終われば午前中で下校となる。今年度は土曜に始業式となったため尚更だ。しかし、理科室にはサイエンスクラブの面々が集まっていた。
「新学期が始まって、じきに一年生が入学してくるわけだけど…新入生の勧誘とかってしないのかな、うちって」
 ラザフォード=この四月から三年生になった宇内那由多が、居合わせたもう一人のメンバーで、同じく三年生のキュリー=橿原万希に問う。
「しないんじゃないの?去年も何もしなかったし…。メンデは先生が見付けてきて引っ張り込んだわけだし。『俺の手に負えないようなのが来ると面倒だから勧誘なんてしなくていい。うちは少数精鋭でいくんだ』って、先生言ってた気がするから」
「でも…ハッブル先輩とノーベル先輩が卒業して、今三人だろ?五人居ないと部活動として正式に認められないんじゃなかったっけ」
「うん、そうらしいけど。四月に一年生から二人以上入れるって話で保留にしてもらったみたい」
「ふーん。けっこう融通利くんだね」
 同じクラスの男女二人きり。会話は途切れがちである。
 そのどこか気まずい空気を吹き飛ばす、最後の一人が現れる。
「聞いてくれよ、二人ともー!!もうオレ、驚いたよ!驚いちゃったよ!あっと驚くタメゴローだよ!」
「あ…メンデ」
「いつのギャグ使ってるんだよ、お前。年令詐称してるんじゃないか?」
 騒々しく登場した新二年生・メンデレーエフ=有田啓人に、とりあえずラザフォードがツッコミを入れる。
 ラザフォードは父親が転勤族であったため、日本のあちこちに居住経験がある。大阪暮らしをしていた時分もあるため、のったり突っ込んだり、椅子から落ちてこけてみたり…そんな習慣が身についている。どこまでも真面目そうな男子生徒にしか見えない彼の、面白いところである。その後で、改めて訊く。
「驚いたって、何が?」
「ハッブル先輩が別人になってたの!」
「…はあ?」
 本人の弁によると、以下のような出来事があったそうだ。
  *
 春休みも折り返しを過ぎた、4月1日。
 啓人(※理科室外なので、本名で)は母親からおつかいを頼まれ、DONQドンクのパンを買いに、つくばクレオスクエアにやって来た。やたらと風が強い日で、普段は気にならないはずの道のりも、自転車では難儀に感じたものだった。買物を済ませ ふらふらしていると、いきなり声をかけられた。
「有田だよね?一人?」
 声の主に目をやる。見覚えがあるようで無いような、自分より少し背が高く、やや年嵩の青少年。似た人を知らないわけではない。ただ、彼は女子さえうらやむ艶やかでくせの少ない黒髪に黒縁の眼鏡をかけた、目立たない男子生徒だったはず…
(まさか…)
 そうは思ったが、ダメモトで尋ねてみる。
「ハッブル…じゃなかった。五十嵐先輩ですか?」
 彼の言葉に、若者は ぱっと明るい笑みを浮かべる。
「ああ、良かった。分かってもらえたみたいで」
「でも…どうしたんですか?違う人かと思いましたよ」
 彼がそう言いたくなるのも仕方なかった。先月高校を卒業して、春休みが終われば近くの大学に通うことになる五十嵐飛鳥はトレードマークとでも言うべき眼鏡を外し、髪もだいぶ明るい茶色に変わっていた。
「まあ、大学行ったらコンタクトにするだろうってのは想像してましたよ」
「うん。いま、ならし運転中とでも言うのかな。まだまだ違和感あるけどね」
「しかし、茶髪にするとまでは…。合コンの鬼にでもなるつもりですか?先輩は。神足先輩に知れたら、取り殺されますよ…能とか歌舞伎の『道成寺』みたいに」
「いや、これは事故なんだって。床屋で別の客と取り違えられて」
(んーなこと有り得ないだろ!どんな床屋だよ、そこ!!万が一、別の客と取り違えられたとしても、途中で気付かないってどういうこと!?)
 そうは思ったが、相手は一応先輩なので控えめに返す。
「いくら今日がエイプリル・フールでも、あまりにも嘘っぽい話は止めましょうよ。先輩」
「本当なんだよ。俺も困ってるんだから」
 彼もさすがに、善良で正直が服を着て歩いているような先輩をこれ以上叩いても仕方ないと考え直し、
「経過はともかく、結論として見た目だいぶ軽くなりましたよ。神足先輩は知ってるんですか?先輩のその変身ぶりは」
「会ってないから知らないと思うけど」
「驚くでしょうねー。冗談で済ませられる分、会うなら今日なんか丁度いいんじゃないですか?まだ昼前だし」
「そうか…そうだね。うん」
 彼は、二人が互いの連絡先を知っていることを承知の上で持ちかけたのだった。それは「オレは恋のキューピッド」の威信でもあった。
 あの飄々としていて滅多なことで動揺など見せない神足魅羽が、ここまで変貌をとげた飛鳥を前にしたらどんな顔をするのか…想像しただけで、彼は笑いが止まらなかった。
  *
「…で、先輩と別れたわけね」
「その通り!」
「どうして『アタック25』の児玉清のマネすんのさ」
 児玉清というより彼を真似る博多華丸に近いメンデレーエフに、とりあえずつっこんでおいてからラザフォードが続けて、
「あ、そうだ。おれもこの春休みに驚くべきものを見たよ」
「何?」
「というか、誰?」
 キュリーも興味津々なふうで尋ねる。
「フェルミ先生が、若い女性連れて歩いてたとこ」
「えー!それ、まさしく先生のカノジョのクミエさんじゃんかよー!で、どんなだったのよ?ラザ」
 真っ先に食らいついたのはメンデレーエフのほうだった。
「そう訊かれると思ってね、写メ撮ろうと挑戦して…」
 言うとポケットから携帯を取り出して開き、ボタンを押し始める。
「で、どこで?」
「グランステージだよ。新生活の準備なのかなあ…二人揃って」
〈※グランステージ:TX〈つくばエクスプレス〉研究学園駅近くにある、巨大なホームセンター。山新グランステージつくば〉
「そっか。そろそろ『男の決断』をすんのかな?先生も」
 目的の写真が見付かったのか、彼が手を止めて携帯を他の二人へと向ける。
「先方に気付かれないようにだから、こんなんしか撮れてないけど」
「なんだ、手前の先生が邪魔でよく分からねーな。横顔…っていうか後姿に近いし」
「でも、これだけ見てもお洒落な感じするよね。派手というか華美に走らない、奥ゆかしい人みたい。先生はこういうタイプが好みなのかな」
 不満を堂々と口にするメンデレーエフに対し、キュリーは同じ女性ならではの視点で感想を述べる。
「ラザ、お前は根っからの善良な高校生だと思っていたが…探偵の真似事してそんな盗撮まがいのことまで…」
 背後に人の気配を感じて三人が振り返ると、そこには案の定フェルミ=岸浪竜起きしなみ たつきこと、このサイエンスクラブの顧問である化学担当の教諭が複雑な表情をして立っていた。
「あ、いえ、これは…チョット」
「弁明は要らん」
 気分を害した様子の教諭に、メンデレーエフは笑顔で告げる。
「だから言ったでしょ、デートは茨城県南地域から出ないとダメですって」
「ああ、もう。分かったから、さっさと帰れよ…お前ら。一時だぞ、いい加減腹も減るだろ」
 結局この日は教諭に追い立てられる形で、部員たちは帰途についたのだった。

『Secret Base』「Apr-2008<1>始業式後の理科室」より

飛鳥と魅羽のその後について語られるのが、「Apr-2008<5>」。
学園線沿いのミスドはもう何年も前に無くなってしまったけど・・・

 四月も半ばを過ぎた頃の週末。万希と魅羽は土浦学園線沿いのミスタードーナツで久しぶりに再会した。
「先輩はどうですか?大学のほうは」
「どうって…まだ始まったばかりだし、何ともね」
 コーヒーを一口飲んで、今度は魅羽が訊く。
「そっちはどう?新入りは二人、見付かった?」
「ええ、一応。また五人になりましたよ」
「いっつんは行ったわけ?やっぱり」
「いっつん?…あ、いつきくんのことですね。彼含めて、一年生から二人」
 万希もカフェオレを一口二口飲んでから、
「先輩のいとこだそうですね、彼」
「うん、まあ…。どうせ同じ高校通うならと思って、話だけしてみたのね。あいつも結構理科おたくっていうかだし。でさ、もう一人の一年生ってのは?」
「女の子です。石動咲良いするぎ さくらっていう…」
「さくら…」
「何か、思い当たることでも?」
「ううん…『さくら』なんて珍しい名前じゃないし…」
  *
 推薦入試で進学先をさっさと確定した、高校三年生の冬。
 魅羽が出願・受験したT波大の推薦枠は指定校方式ではなく公募式。11月上旬に出願、選考試験が11月下旬にあり、12月上旬には合否が発表される。見事に合格し進路を決め、彼女はその報告に祖父母と伯父一家を訪ねた。
 鳥居をくぐり、境内の石畳の参道を過ぎて、本殿を左手へと逸れ、少し歩くと社務所が見える。内に居た老婦人が彼女に気付いたようだ。
「連絡は貰ってたけど、ほんとに来たのねぇ。魅羽」
 長い髪を後ろで一つにまとめた袴姿の祖母・敏子としこが声をかけてくる。
「まだ御祝はあげないからね、入学したときよ」
「巻上げに来たわけじゃないのにー。おばあちゃんってば、ひどいなあ」
「ミウちゃーん!!」
 突如、中年おじさんの黄色い悲鳴が上がる。
「伯父さん」
「ミウちゃん、同じ市内に住んでるってのになかなか遊びに来てくれないんだもの。おじさん、寂しかったよー!」
 彼女の伯父・祝部優ほうり まさるにとってのアイドルは芸能界や二次元の住人ではなく、自身の姪である魅羽なのだった。普段は澄ました顔して祝詞などあげたりしている神主だが、彼女を前にすると途端に単なる親馬鹿ならぬ伯父馬鹿なオヤジと化す。この筑波八重垣神社の女たち…魅羽の祖母や伯母(伯父の奥さん)は呆れ顔であった。
「同じ市内と言っても、つくば市は広いから…高山市ほどじゃないけど。チャリで来るのは結構しんどいんだよ、今日は頑張ったんだからね」
 苦笑いしつつ、彼女が返す。
 つくばというと研究学園都市の印象が強いが、実は「つくば北条米」という銘柄米の産地だったりと様々な顔を持つのである。
「うん、分かってるよ。ミウちゃん、外は寒いだろ?中でお茶とお菓子でも食べて暖まってって」
 客間に向かいながら、伯父・優が話し出す。
「ほんと、この辺は昔ながらっていうか古い地域だから…遠いところ、よく来てくれたね」
「いえ、そんな」
「ご近所さんも年配の人が多くて…斎には年頃の近い友達が周りに居なくて寂しい思いをさせてしまったよ。ミウちゃんやシータ君がたまに遊びに来てくれて助かった。あの子にとって君たち兄妹は、幼稚園に通う前からの数少ない友達だろうね」
「数少ない、って…他にも居たんですか?」
「ああ。俺も詳しいことは知らないのだけれどね、この近くの祖父母の家に何ヶ月かだけ預けられてたっていう女の子が、たまにここの境内に遊びに来てたんだ。斎はすごく喜んで…『さくらちゃん』って呼んで笑顔で追いかけてたもんだよ」
 部屋に着くと、優は「ゆっくりしてってね」と言い置いて去っていった。魅羽はお茶菓子を出してくれた伯父の妻・里穂子りほこに尋ねた。
「伯母さん、いっつんって来年高校受験でしたよね」
「ええ、そうだけど」
「どこ受けるんですかね?」
「ミウちゃんと同じとこって言ってたから、つくばね秀栄だと思うけど」
「ふーん、そうなんだ…」
「まあ、高校どこ行くにしても、大学は神道学科があるとこ選ばざるを得ないものね…あの子は。本人が『神社も神主って仕事も嫌じゃないし』って言ってくれてるのがありがたいわ」
 ため息まじりでそう話す伯母を前に、魅羽は家の事情を受け止めて進路について強く主張しない様子の従弟・斎と、自分の希望を押し通して北海道へ行ってしまった兄・志唯大しいたとを思ったのだった。
  *
「先輩、どうかしました?」
「え?ううん、別に」
 ふたたびコーヒーを口に運んでから、
「でさ。かはく行ったの?宇内と二人で。あたしたちが気を利かせたの、分かった?」
「え…ああ…はい、行きました。でも、先輩が期待するほどのこと何も無かったですよ」
「なーんだ。相変わらず宇内は鈍感だねえ」
「先輩こそ、どうなんですか?五十嵐先輩とは。なんか有田くんの話では、4月1日に会ったみたいですけど」
「そうそう。会ったよ?違う人になってた五十嵐に」
「やっぱり本当だったんですね」
「うん、いやはやびっくりした」
「で、どんな話を?」
「制服返したらさ、これで用は済んだみたいな顔でさっさと帰ろうとするからムッときて。つい言ったのね、
『ちょっと、つれないんじゃないの?その態度』って。したら、
『別に、付き合ってる訳じゃないし』なんて何事もないように言うわけよ。だからつい、
『じゃ、付き合っちゃえばいいんじゃない?これから』って…口が滑って」
 万希は笑い、
「でも、先輩の本心でしょ?それは」
「まあ、そうだけどさあ…」
 そして今度はドーナツに手を伸ばす。
「それで確かに『うん』って返事したはずなのに、入学式のあとで会って話したら、
『あれ冗談じゃなかったの?エイプリルフールの』だって。もうガッカリ」
「とはいえ、やっぱり好きなんですね」
「万希ちゃんこそ」
 今度は二人揃って笑った。

『Secret Base』「Apr-2008<5>女同士の話は長い」より

時事ニュースもだし、流行りものの話題もだし、当時あった店舗が今もうそこに無いとかも…
時代というか時の流れを感じる作でもあります。
何年も経ってから読み返して、じわじわくるやつ・・・(苦笑)。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?