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こはくらと巨樹巨木②~波崎の大タブ

新・日本名木100選、ご存知でしょうか。1都1道2府43県、計47あるわけなので、一つの都道府県につき2本前後ずつ選ばれている計算になります。
茨城県からは、地蔵ケヤキ(取手市)と波崎の大タブ(神栖市)が選ばれており、共に県指定天然記念物でもあり、更に言うとどちらも茨城県といっても千葉との県境のほど近くです。私は両方とも訪ねてきて、立ち姿といい歴史といい伝説といい、選ばれるべくして選ばれたという思いで向き合ってきたのでした。

茨城県の最東南端にあるのが神栖市で、風力発電の風車や工場夜景、そしてご当地キャラ「カミスココくん」でも知られるところでしょうか。ピーマンやメロンの生産地でもあり、昨今パワスポとして取り上げられることが増えた印象な東国三社のうちの一社・息栖いきす神社も、こちらの神栖市です(鹿島神宮〈鹿嶋市〉・香取神宮〈千葉県香取市〉・息栖神社を総称し東国三社)。

神栖市の旧波崎町舎利地区、益田山神善寺。その境内に、ひときわ威容を誇る椨の木があります。樹齢千年余、幹周8m超。自由すぎるほどの枝張りで、幹の大きなこぶと一緒になって、その姿は「陸に上がった逆さ蛸」のようです。海も近いので、余計にそう感じたのかもしれません。
江戸時代に野火が押し寄せた際、この木によって当地は難を逃れたと言い伝えられ、別名を「火伏の木」。

波崎の大タブ

『巨樹・巨木』(渡辺 典博 著)によれば、この木には赤花の椿が着生し、冬には花を咲かせ、その様子は仏前花のようだと。私自身が訪ねたのは真夏だったので、もちろん椿の花は確認出来ませんでしたが……そんなこんなのイメージをまとめて「破天荒坊主(椨)と、そんな僧を慕って傍を離れない、幼くして色香漂う少女(椿)」というイラストを描いて添えました。あくまで私個人の印象なのですが、椿はどんな幼木でも、花が咲けば何とも言えぬ色気をまとうと。拙著(※極小部数自費出版@同人誌印刷所)『こだまめぐり 讃』では樹齢300年ほどと推測しうる2本の椿樹を載せましたけど、「寒空の下 艶やかな緑の葉を保ち真紅の花を咲かせる、畏怖と蠱惑の木」と添え文を置いてます。これは『神の木―いける・たずねる』(川瀬敏郎・光田和伸 著)で、国文学者の光田さんが椿について書かれていたことを下敷きにしてる感があります。本が今手元にないので、記憶を基にした、ある種の意訳とはなりますが、「生の輝きが衰える寒い冬という季節に血のように赤い花を咲かせ、血を流しきるかのごとく花が落ちてもなお緑を保つこの木に、古代の人々は畏怖の念を抱いたのではなかろうか」といった内容の……(あくまで意訳と思って見てください、願)

そして…もはや妄想ですが(予防線、自爆)、ここから一篇の物語が浮かんできて。ちゃんと描ける見込みがなく、あくまでメモの域となりますけど、ここに置いておきます……

***

海のほど近くの集落、その端に一宇の寺が建っていました。長い年月を潮風に吹かれて朱塗りが白くなりゆく山門の前に、幼子が置き去りにされているのに住持が気付き、
「この寒い中…気の毒に」
内に連れて入ります。

椿と名付けられた幼子は美しいむすめに成長し、寺にはたびたび「嫁に貰えないか」という男がやってくるようになります。けれども椿はことごとく断ってしまいます。住持に訳を問われると「あたいを見た目だけで欲しがる男たちなんだよ。嫌に決まってるじゃないか」と答えるのでした。
村人にも「椿はもう一人前の女だよ。一つ屋根の下で暮らしていたら、和尚だってあらぬ疑いをかけられかねんよ」と言う者もありましたが、住持は「何言ってる。小せぇ頃から育てた椿は、俺の娘も同じだ。娘に手ぇ出すような坊主は地獄に堕ちるほか無ぇぞ」と笑い飛ばすのでした。

ある時、当地に野火が押し寄せてきました。皆逃げましたが、住持は残ると言います。「あたいも残る、ここから離れない」と泣く椿の手を村人が引っ張って、寺から去っていきました。一人残った住持は、迫りくる野火を感じながら祈祷を続けました。「この集落から火難を退けたまえ」と……

時が経ち、避難していた村人たちが火が鎮まったのを見て戻ってみると、村には火が及ばず、無事でした。皆、ほっとした顔でした。
「そうだ、住職は…」
誰からともなく、寺へと向かいます。
寺の境内には煤にまみれた、ところどころ焦げて黒くなった大木が立っていました。
「こんな木、あったっけか」
「…無かったよな」
「どうしたんだろう」
皆が口々に言いました。
「住職が何処にも居ないよ」
火の粉を被ったものの燃えずにそこに在った建屋を捜すも、住持の姿はありません。
『住職が、この大木に姿を変えて盾となり、集落を野火から守った』
まさか、そんなことが……
しかし、皆そんな思いで大木を見上げるばかりでした。

住持の姿が消え、寺は無住となりました。
大木の下に椿が立ち、木に語り掛けます。
「…ほんとに和尚さんなの?」
木は答えません。それでも、椿は大木に住持の面影を見たかのように続けます。
「追い出しやしない、ここに置いてやる。俺の傍でいいんなら、居たいだけ居ればいいさ……そう言ったじゃないか。あたいは何処へ行けばいいのさ。行くところなんて無いよ、ここ以外には…」
椿は地に崩れ、その頬を涙が伝い、地面にぽたぽたとこぼれ落ちました。
「英雄気取りかい。本当にずるいよ、和尚…」
涙は、地面を濡らし、吸い込まれていきました。

無住の寺を、時折村人たちが掃除しに来ました。
「住職に続いて、椿の姿も見なくなったな。あの女のことだから『自分が頭を丸めて尼になって、この寺を守る』とでも言いだすのかなとも思ったけど」
そんなことを言いながら、村人は箒を置き、冷え込みを増した風に冷たくなった両手をこすり合わせました。
ふと村人が大木に目をやると、何やら赤いものが見えます。まだ小さく細い椿の木が、大椨の根本から伸び、一輪の真っ赤な花を開かせていたのでした。
それは大椨に手向けられた花のようでもありました。

しばらくして、みやこから訪ね来たという僧がこの寺に入って住持となりました。
なんでも、夢枕に立った如来様から「この国の東方に常に緑葉なる大木の立つ無住の寺があるから、ぬしは当地へ赴き、堂宇に在る我の像と大木とを供養いたせ」とのお告げを受けたのだといいます。
境内に立つ大椨を見上げた僧の耳には、
「和尚さん、和尚さん」
「なんだぁ、ハハハ」
壮年の男と、かれに付いて回る子供の声が聞こえたようでした。

時は流れ、皆忘れていってしまった出来事です。
けれども、椨の大樹は緑の葉を保ち、根本の椿は冬には決まって大樹を称えるかのように花を咲かせ続けます。

**

一個人の妄想であり、あくまでもフィクションですけど。。
センテンス妄想人間なので、一行でも一文でも何かしら自分の中でヒットすれば、そこから想像をたくましくして一篇作ってしまいうるのです(おおいに自爆)
昔話の語りというか絵本調子的な雰囲気で書いてみましたが(通常の文体ではないですぇ;)
詳細に書くところと不確定事項が多くザックリなところとバラバラで、完成形からは遠くてメモの域です。。
自分自身で捻り出したオリジナルな部分は実は少なくて、民話や伝承伝説の各種の類型を取り込んでいるなあーとも思います(さらに自爆)

真面目な話で戻りますと…
神善寺へ公共交通でとなると、千葉県銚子駅からバスを使うしかだと思います(茨城県なのに県内でのアクセスが難しい。県境に近いところでは時折起こる事象であり、余談ながら稲敷市阿波の大杉神社へも千葉県の駅からバスか徒歩となり…嗚呼。潮来駅や鹿島神宮周辺からレンタサイクルという手もあるかもだけど…それも相応の覚悟が要るかも;)。『地球の歩き方 日本の凄い神木』の著者・本田不二雄さんは、この「銚子からバス」で訪ねたみたいなのでスゴイなと思ったのでした…だって電車バスの本数が限られてるから(切実)
評判ばかりが先行し実際訪ねてみたら然程響かなかった、というケースも正直ある中で、茨城県内の数々の巨樹巨木を見渡しても波崎の大タブそして地蔵ケヤキは「きっとガッカリしない、行って見る価値は十二分にある」木だと思います。。

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