J・P・ホーガンの訃報(2010年7月)

東京創元社の公式サイトに書いた追悼文です(2010年7月13日)。
東京創元社が「抜いた」かたちになり、5大紙すべてから確認の電話を受けたことが自慢でした。時事共同もだったでしょうか。大森望さんが、ご自身の義弟であり、ホーガンの友人だったトーレン・スミスから逝去を伝えるメールをもらったと電話をくれたのが最初でした。地下鉄飯田橋駅のホームで受けたことを覚えています。
なお、末尾にあるホーガンの寄稿文を翻訳したのはぼくでした。

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SF作家のジェイムズ・P・ホーガンが、現地時間7月12日(月)、アイルランドの自宅で逝去しました。69歳でした。

1941年6月27日、ロンドン生まれ。77年に『星を継ぐもの』でデビュー。日本では80年に弊社より邦訳が刊行されるや絶大な人気を博し、紹介第1作にして翌年の星雲賞を獲得。以後も、『創世記機械』『内なる宇宙』で星雲賞を受賞しています。

86年の第25回日本SF大会DAICON5に、ハリー・ハリスン、トーレン・スミスとともに参加し、その陽気で、(特に女性に)人なつこい性格がファンを魅了したものでした。大会開催中、いつ眠っているのかというほどの元気ぶりには、周囲が本人ではなく相手をしている人たちの心配をしなければならないほどでした。大会終了後も2週間ほども東京に滞在し、毎夜、ゴールデン街の酒場「深夜プラス1」を訪れ常連さんたちと盛り上がっていたそうです……というようなことが、いま、とても懐かしく思い出されます。

以下に、2009年春の東京創元社 文庫創刊50周年の際に寄せられたホーガンのメッセージを再掲いたします。

「第1作『星を継ぐもの』は、1979年に初めて契約した他国語版として、東京創元社から出版されました。今も私の仕事場に、加藤直之さんの壮麗なイラストを飾っています。つまり今年は東京創元社の記念年であるのみならず、私と東京創元社の30年目の記念年でもあるわけです。西洋では宝石を贈って祝います。
人類には、自らがそう望みさえすれば、よりよい未来を前向きに作り出す知識と能力があります。そして最近の短期的な不安と困難の時代にあって、SFはきっと、そうした真実を思い起こさせるために、より重要な役割をはたすでしょう。
もう少し時間が経てば、私と東京創元社は50年。祝事はダイヤモンドの祝いと呼ばれます。その時が訪れ、共に祝うことが出来るのを切望しています。」

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