フェミの文学的被害感情について

 以下は、先日キズナアイを巡る一連の騒動において話題になった、社会学者千田有紀氏のツイートですが、ここに記された「思春期の自分」という言葉と、強く訴えかける被害者意識は、大学教授という立場を考えるとセンセーショナルであり、各所に波紋を投げ掛けました。

私はこの一連のツイートに対し以下のような指摘をしました。

 この「文学的被害感情」という言葉は、ツイッター上でフェミニストを自称する人たちが口々に訴える、女性が「まなざされる性」を意識させられること自体が性的搾取であり、被害なのだという、ある種の「物語化」した被害感情をおもに指すものです。

 ツイッターフェミニズム界隈では、日々女性たちの「被害体験」が語られ、それを絆として連帯し、正義の名のもとに世のさまざまな事象を批判して回っているという指摘を以前noteでしたわけですが、強姦や痴漢、セクハラ、パワハラといった実質的な被害をもたらす体験とは違い、コンビニエロ本や、先日話題になったラノベの表紙など、性的表象が女性の生活圏に存在することで発生する被害者意識に対し、社会はどこまで譲歩し、「公共」とされる場所からそれらの原因を除いていく必要があるのでしょうか。その答えは出ていません。

痛みの「文学」とユートピア思想

 日々繰り返される、主にオタク的表現に対するバッシングとゾーニング論の根本にあるのは、傷ついている我々の気持ちを汲み取って欲しいという要望であり、虐げられた女性たちの文学を読み込んで社会に反映させろという訴えなのだと思っています。しかし、それをどこまでも許容していくのは不可能だということを、以下のような連ツイートで指摘しました。

 ツイフェミが求めているのは、彼女たちの痛みの文学を反映した「女性にやさしい社会」であり、どこに行っても傷つくことのない社会です。その実現のために、男たちは無限に配慮しろと要求している。性嫌悪の女性をも含む、あまりに傷つきやすい人たちが、何の不満も不安もなく過ごせる社会などこの世にありえるのでしょうか?

 このようなユートピア思想は、およそ成熟した大人の考えとは思えず、幼児の駄々にさえ近い。なぜそのような要求ができるのかといえば、ひとえに「弱者」という被害者自認のためでしょう。

「弱者」という名のお客様

 日頃ツイフェミや、うっすらフェミ掛かった世に生きる女性たちによって拡散されているツイート群を見ていればわかるように、彼女たちは「弱者」として、以下のようにあらゆる局面で男性に対しさまざまな要求をしています。

・痴漢撲滅には男が声をあげろ
・痴漢も男が捕まえろ
・暴漢からは身を呈して女を守れ
・二次加害は絶対やめろ
・匿名掲示板でも許さない
・女の愚痴に目くじら立てるな
・生理痛の辛さを理解しろ
・妊娠時の負担を理解しろ
・出産の痛みを理解しろ
・産後の体力低下に配慮しろ
・家事育児をやれ
・家事育児を「手伝う」と言うな
・当然メインで稼げ
・相対的に収入が少ないので奢れ
・レディースデイにケチつけるな
・女性限定メニューにケチつけるな
・化粧が面倒だ
・ジロジロ見るな
・服の露出をとやかく言うな
・お洒落には金がかかるから奢れ
・男のために服着てねぇよ
・デートは当然男が誘え
・スマートに誘えない男はキモい
・すぐヤろうとすんな
・セックスは当然リードしろ
・AVでセックスを学ぶな
・ガシマンする下手くそは死ね
・フェラは欧米では娼婦しかしない
・言わなくても全部察しろ
・欧米人のようにレディファーストしろ
・欧米人のように人権意識高めろ
・欧米人のように歯の浮く台詞で褒めろ
・とにかくあらゆる事を欧米に習え
・とにかく全てにおいて配慮しろ
・配慮できない男はモテない

 これらはごく一部で、納得できるものも中にはありますが、相互に矛盾する内容も含まれているうえに、現状男性が負っている負担に対しては、まるで無視しています。男性の役割は今まで通り担いながら、これらを文句も言わず完璧にこなせる人間は果たしてどれだけいるんでしょうか。

 この社会の支配者が仮に男性だというなら、女性は完全なるお客様でしょう、これでは。「MGTOW(ミグタウ)」と呼ばれる、女性に一切の期待をしない代わりに何も与えないし、関わりたくないという男性たちが出現するのも理解できます。

ユートピアを望み具体的には何もしない

 世にある問題に対して、具体的な改善点を厳選して提示するのなら──例えばピルつきさん、多摩湖さんを中心としたネオリブが「緊急避妊薬の市販化」という明確な目標を掲げているように──社会運動にもなり得ますが、ツイフェミにおいては達成すべき目標があるわけでもなく、実現不可能なユートピアを夢見て、ツイッターで日々の不満を垂れ流しては、それらの元凶と考える「男」を叩いて溜飲を下げているだけです。

 こうした声がツイフェミから出てくることは皆無なんですね。

 「あらゆる局面で包括的に配慮せよ。なぜなら女性は『弱者』だから」

 これこそがツイフェミの基本姿勢であり、自分たちはあくまでそのままでいいという考えなのです。

男性に課せられる無限譲歩

 ツイフェミのこのような意識は、男性側からすればゴールが見えない無限譲歩であり、何をどこまで配慮したら「赦し」を得られるのかもわかりません。仮に譲ったとしても、譲歩したラインが次の要求開始ラインになるのは、ポルノやオタク文化への炎上の閾値が下がり続けていることから考えても目に見えています。

 このような一方的な要求を垂れ流せるお客様精神の背後にあるのは、「弱者」であることと共に、この社会は男性に都合よく、男性によってつくられたもので、女性は社会設計に関わっていない従属する存在だという強い思い込みです。実際には、男女双方の欲望が影響し合ってできた社会であるにも関わらず。

 『男子劣化社会』などで指摘されるように、先進国では既にかなり社会の女性化が進んでおり、女性の方が幸福度は高く、消費社会の主役はいつも若い女性であり、ホームレス化したり自殺するのは中高年男性です。すでにどちらの性が「得」で生きやすいか、簡単に判断できるような社会ではなくなっているように感じます。さまざまな指標が示すように、男女どちらにも生きやすさと生き辛さがあると考えた方が現実に則しているはずです。

 そもそも女性のメリットとデメリットは分かちがたく結び付いている場合が多く、女性の社会進出と専業主婦の問題などに顕著ですが、デメリットの解消によるメリットの喪失を、当の女性たちが拒否しているような側面を無視しては、議論にもなりません。

 男女問題を突き詰めると、辿り着くのはいつも女性の「出産機能」と「身体的な弱さ(由来の暴力への恐怖)」であり、そうした生物的な非対称性がある限り、女性の被害感情は永久に解消されないのかもしれません。そして、根本的に解消しようのない「永久被害感」を逆手にとって、さまざまな要求を突きつけられている、というのが男性側から見た実感ではないでしょうか。

ツイフェミの議論パターンとその問題点

 さて、ここからは、肥大化した被害感情を根拠に、あらゆる局面での理解と譲歩を要求するツイフェミの議論のパターンや問題点について考察していきます。

 ツイフェミの議論を観察したことがある人ならわかると思いますが、彼女たちは基本的に統計のようなマクロなデータではなく、個人のミクロな被害体験プラス象徴的な現実の事件によって、擬似的にマクロな社会を描き出し、あたかも社会全体がそうなっているかのように語る傾向があります。

 「わたし」や「身近な人」の被害体験と、社会的大事件を一直線に結ぶことで、その間に存在する多彩な事象も、オセロのように「黒一色」に塗り替えてしまうんですね。

 例えば強姦をテーマに語る際に持ち出される「伊藤詩織さん事件」や、女性の社会進出をテーマにした際の「東京医科大の不正採点問題」などがその典型例で、

 「『わたし』も被害を受けた。そしてこういう事件が起きた。日 本 の 全 女 性 は こうした男社会の被害に遭っている」

 と急拡大させる言い方です。よく見かけますね。

「わたし」≠社会

 ここには特殊な事例の一般化や、女性に都合の悪い複雑な背後関係の意図的な無視など、さまざまな問題がありますが、いずれにせよ、こうした「わたし」と「社会」の安易な同化現象こそがツイフェミの特徴であり、これは、とりもなおさず

 「個人的なことは政治的なこと」

 というフェミニズムの有名なスローガン自体に問題があったのではないかと考えられます。この言葉自体は、60年代以降の第二波フェミニズムのスローガンですが、ツイフェミの行動原理とも非常にシンクロしていて、今でも広くお墨付きを与えているように感じます。

「個人的なことは生理的なこと」

見事なツイートですね。

 最近話題になったキズナアイをエロ表象ととらえて噴き上がるツイフェミと、まったくそうは思わない女性が多数支持しているような状況から考えても、こちらの方がよほど現実をおさえているのではないでしょうか。「わたし」の問題は「わたし」の生理的な問題です。ほとんどの場合は。

 キズナアイの件では、少年ブレンダ氏がキズナアイに「女の子の身体は女の子のもの」と発言させる動画を公開したことも話題になりましたが、正しくは「その人間の身体は、その人間のもの」でしょう。ツイフェミの間では、こうした自他境界の区別がつかない、「集団的人権」を主張するような言葉がしばしば発せられます。

 「わたし」を安易に「社会」や「他人」に同化させないという意志は、女性の自立や生きやすさにとって不可欠だと思われます。ポルノは「わたし」を描いていないし、「わたし」を搾取してなどいない。なぜ自ら同化し苦しむ必要があるのでしょう?

 女性の強い共感力が他者への思いやりに繋がり、社会全体のやさしさに寄与している美点は否定しませんが、自ら傷ついてしまう不要な同化については、理性で断ち切っていく意志も必要なのではないでしょうか?

 「わたし」や「被害者としての女性」に同調しない自立した女性に対し、しばしば「名誉男性」というレッテルを貼りつけるツイフェミの行動は、人格の違う他人を認めることのできない全体主義であり、小学校時代に繰り広げられた幼稚な学級会のようです。他人は他人。ポルノはポルノ。「わたし」は「わたし」です。

 自他境界の曖昧な学級会を脱し、「文学的被害感情」を振り払いましょう。

 さて、本編はここまで。以下は補遺というか、お楽しみ文章になります。今までのnote記事は無料で公開していましたが、たまにサポートというかたちで投げ銭してくれる方がいて、ありがたいんですが何もお礼ができないので、読んだ後にお金払ってもいいよ、と思ってくれた人に向けたお礼の文章ですかね。よかったら読んでください。文章も崩して書いてます。

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フェミの文学的被害感情について

琥珀色

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頑張って書きました!
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Twitterの琥珀色は引退しました

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コメント (3)
ほぼ全部、自分の考えていることをそれ以上にもっと深くまでまとめてくれて表現しているnoteかと思います。素晴らしい
はじめまして。note大変興味深く拝読させて頂きました。私は最近のラディカルフェミニズム隆盛、及びオタク文化への過度な批評の流れは、おそらく欧米でのGamerGate騒動から持ち込まれたものと考えております。もうご存知かもしれませんが、
もしご興味がおありでしたらこちらの記事等でご確認下さい。https://www.google.co.jp/amp/roninworksjapan.tumblr.com/post/140909400211/ゲームから美少女が消える日-gamergate参加者が語る欧米社会の今-part-1/amp
ツイフェミがまた騒ぎだしたら、その都度このnoteのリンクを投げつけようと思えるくらい良記事でした。
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