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そういえば、勉強って得意じゃなかった

タイトル通り。

最近「ああ、そういえば。自分って勉強するの、得意じゃなかったなあ」と思い出す。

中学も地元じゃ比較的優秀な子たちが周りにはたくさんいて、高校もそこそこできる子たちの集まりだった。

でも周りの子たちと比べたら習得することにすごく時間がかかる人間だったなあと常々思う。

その経験のおかげで、「周りの人より時間がかかる」っていうことが常に念頭にあるからその分準備もするし努力もするようになったけれど。

本当にどれだけやっても、平均すれすれで頑張っていたよなあと思う(笑)。


特に国語。

中学も高校もたぶん学校のテストで平均点を超えたことなんて数えられる程度でしかない(笑)。


春から(まだ通ってないけど)大学院生になって、本を読むことが今までより多くなって、自分が「読むこと」にあまり自信を持っていないことを思い出した。


といっても、昔から小説はよく読んでいた。自己啓発本なんかも意外と読んだりしている。

今でも本を読むことは嫌いじゃない。

むしろ好きだ。


でも、どうしても「評論」っぽいのは苦手だ。

読むこと自体が嫌いなわけではない。

ただ、理解するのにすごく時間がかかる。


ちゃんと「よし、読むぞ」「理解するぞ」と思って読まないと、さらーっと文字だけ追ってしまう。そして結局内容が何もわからない(笑)。

だからいつも、小説や自伝以外の本を読むときは、

ペンを持っていないと本が読めない(笑)。


大事だなと思うところに線を引いたり、「しかし」、「すなわち」なんかの接続詞にはきちんと印をつけて、『よし、注意して読むぞ』っていう気持ちを入れないと、言葉が入ってこない(笑)。

これは、高校時代の予備校授業の受け売り。


本当に現代文が壊滅的すぎて、高3の春からセンター専用の現代文の講義を受け始めた。

それまで模試の現代文で半分も点数取れない人が、最終的に9割も取れるようになるんだから、面白いよね、本当に。


当時のことを考えると、ある意味自分の中で「全くできない」ことが認識できていたことが大きかったなあと思う。

全く自分の国語能力に自信がなかったからこそ、教えられるように読んで、教えられるように問題を解いた。


自分に自信がないからこその成功体験だったな、と。


といっても、もう少し、楽に文章を理解できるようになりたいと、常々思うけれど(笑)。


難しい用語とか、堅苦しい文章になってくると、無意識のうちに流し読みしてしまう癖がある。

なんでかはわからないけれど。


ちょっと長い講義の本を読んでいて、自分の本の読み方を「相変わらずだなあ」と思ったので、文字にしてみました。

さて、勉強しよう。



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