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コースケコーチの出来るまで。15

親父が野球に来るようになってから会話のほとんどが野球になった。

僕は親父に褒められた事はほとんどない。
つまり、会話のほとんどは叱責だ。
日曜日の夜から水曜日の夜まで試合で打てなかったとかキャッチャーで後ろに逸らしたとかを永遠と言われた。
だから食事を早く終わらせる術を身につけた、そして早く寝る。
それをわかっているから母は夕食に嫌いな物を出すなんてミスはしない。嫌いな物を出して食べるのが遅かったら余計怒鳴られるからだ。
毎日、好物の生姜焼きが食卓に並びその他に焼き魚とかハンバーグとかのメニューだった。
僕は185㌢あり弟は193㌢ある。スクール生の親御さんからは「どうしたら大きくなりますか?」と良く質問を頂くが「好きな物をたくさん食べてよく寝る事」と答えている。

そんな食卓に母もうんざりするのだろう。定期的に夫婦喧嘩は起こっていた。
「いい加減にしなさいよ、しつこいわね」「あぁ?てめえうるせぇ!」なんてやり取りは年中だ。
ひとつはっきりさせておくが、野球していたから夫婦喧嘩が増えた訳ではなく夫婦喧嘩の原因が野球になっただけだ。小さい頃から夫婦喧嘩は多かったし親父が暴力を振るう事もあった。
母を心配するが小さな僕には何も出来ずただ泣くだけだった。
しかし、ある日いつもと同じ様に夫婦喧嘩がはじまった。
流れの中で親父が湯飲みに入っていたお茶を母に向かってぶちまけた。「てめえふざけんな!」と言いながら…。
すると母が「何するのよ!」と手もとにあったマヨネーズの蓋を取り親父の顔面に絞った。
こんな日に限ってマヨネーズは新品だ、しかもあの頃のマヨネーズは今と違って星形に結構太目に出る。
勢い良く親父の顔面にマヨネーズがかかり眼鏡をかけていた親父はさっきまでの勢いを失い静かに「何するんだ」と言いながら眼鏡のレンズを指で拭った。
まるでコントの様な出来事で僕は妙にこの夫婦は大丈夫だ…。と安心したのを覚えている。

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