コースケコーチの出来るまで。6

弟が生まれて一人っ子の寂しさから脱し、僕は嬉しかった。
弟とは今でも仕事を一緒にしている。
弟が会社の代表なのでたまに怒られるが概ね仲良しと言えるだろう。
親父は相変わらず理不尽な事は多かったが、夏にはプールに連れて行ってくれたり、日曜は団地の芝生で野球らしき遊びをしてくれたりしてくれる事もあった。だいたいは遊んでいる途中にブチ切れられ泣いて帰って来るのだが…。

しかし、野球をはじめるまでは野球の様な遊びをしていて怒られた記憶がなく、一塁から何塁まであるか知らないから四塁だの五塁だの言って楽しんでいたのを覚えている。

小学校に入りしばらくすると、リトルリーグに入っていた近所の男の子達(以前話した女の子と遊ぶ事をバカにしていた子達)にリトルリーグに遊びに来ないか誘われた。
その概略はこうだ、「リトルリーグのブロック数チームで勧誘を目的としたソフトボール大会があり友達を誘ってくる様に言われた」そうだ。
母と親父に誘われたから行きたい旨を伝えて、はじめて乗るマイクロバスに胸踊らせグランドに立った。

「オーシャース!」グランド挨拶たる物をはじめて見て「なんて言ってるんだ?」って思ったけど何故か「カッコいい」とも思った。
思えば「女の子とばかり遊んでいる」ってからかわれて男の世界に憧れがあったのかもしれない。

ソフトボール大会では全く活躍せずいたが僕は楽しかった。
帰宅後、一日が楽しかった事リトルリーグに入って野球をしたい事を伝えた。

母からの答えは「NO」だった。
理由は当番が面倒な事。確かにまだ弟も小さかったし当然だったのかもしれない。
親父に夕食の時にどうだったか聞かれた。
僕は得意気に挨拶は「オーシャース」って言うんだと話した。
親父は「あ~そんな挨拶してるのを見た事がある」と言っていた。
立て続けに僕は「一日のあった事を」興奮気味に話していたら突然「挨拶をちゃんとしない事を自慢するんじゃねぇ」と箸で叩かれた。
親父は夕食時に怒ると決まって箸で叩いて来た。
弟が大きくなって親父の右側が僕、左側が弟となっても変わらずだ当然右側の僕は右手に箸を持って叩かれる。兄は損な役割だ。

兎に角、はじめて本格的な野球チームに触れた興奮は母からチームに入る事を反対され、親父にはチームの挨拶を怒られてシュン😢⤵⤵となるという結末となる。

この時はまだ誰も孫の代まで野球に家族でのめり込むなんて知らなかったんだ。

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