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コースケコーチの出来るまで。13

前回、親父の誕生日話で終わってしまったが時を戻そう。

親父がたまたま見に来て、火がついてしまったおかげで5年生になる頃には親父は毎週グランドに来るようになった。
親父だけじゃない、母も弟の「啓」もリトルリーグに入れられた。
親父は僕の野球を一人で見に行くのが嫌な為に弟をリトルリーグに強制的に入れ、母を巻き込んだ訳だ。
晴れて野球一家「上野家」が出来た訳だ、さらに運が悪くペリカン便を辞めて大型トラックの運転手をしていた親父がバブル崩壊で帰りが早くなってしまったのだ…。

週末だけでなく、平日も親父と練習をする事になったのだ…。学校から帰って来ると駐車場に「デリカ」が見えると落ち込んだものだ…。
練習するのが嫌なんじゃない、親父と練習するのが嫌だったのだ。
キャッチボールを上手く投げれなければ怒鳴られ、構えた所に投げれなければ捕ってくれず取りに行かなければならない…
親父の近くを通って…。うん…そうだ叩かれたり、蹴られたりする訳だ…
スクール講師なのでよくわかるが小学5年生でグラブを動かさないでキャッチボールが成立する選手は皆無だ。
よくイップスにならなかったな…って今だから思える。

キャッチボールは家の前にある芝生で、時間に余裕があると例の近隣公園だ。
近隣公園での練習はその時にやっているポジション。
はじめは外野手だった僕は、ファーストをやったりサード、時には体が大きい方だからピッチャーもやった。その後にキャッチャーにもなるがその話はまた今度。
したがってこの時の練習はピッチングやノックだ。

ピッチングはキャッチボールと同じで構えた所に行かないと捕らない…しかもボールが来ていないと怒られる…。
むちゃくちゃだ、コントロール良く速い球をなげないといけないのだ…。そんな事が出来る小学生が日本に何人いるだろうか?
そんな事も知らず僕は親父が言うまま身の丈に合わないハイレベルな練習をしていた訳だ。
その練習が終わると少年軟式のバットを片手に持ちもう片手にキャッチャーミットをはめてノックをした。
片手で打っているから結構横に振られるんだが親父には関係ない「ごらぁ!捕れ!おらぁ!」と怒鳴っていた。

親父はジャイアンツ好きで巨人の星も好きだった。
多分…星一徹になりきっていたんだろう…。

スパルタ式練習だが、片手で打っている打球だからそんなに怖くない事に気付くのもそんなに時間はかからなかった。
成長するにつれ、色々な事に気付くのだがその話もまた追々。

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