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コースケコーチの出来るまで。10

昭和から平成の狭間だったが僕は楽しく野球をしていた。

野球人生のスタートは外野手だった。
毎日野球をして遊んでいたせいかフライも比較的すぐに捕れる様になった。
試合の最後に守備に着く事も増えて「早くバッターボックスに立ちたいな」なんて思ってた。

親父はまだグランドに来る事がなかったのが楽しく出来ていた要因の1つかも知れない。
でも、親父は親父だ。

野球が終わり帰宅すると1日あった事を興奮気味に話すのが日課だ。(母に)
ある日の試合、1つ年上で近所に住む「HISASHIくん」がピッチングとバッティングで大活躍した事を話した。(母に)上手な「HISASHIくん」は憧れで特に興奮していたのかも知れない。すると突然父が「人の話ばかりしてねぇでてめぇの事を考えろ!!」と怒鳴られた。
また、別の日は守備から入っていた僕がはじめてバッターボックスに入るチャンスを迎え…るはずが前のバッターがよりによってダブルプレーでチェンジになりバッターボックスに立てなかった事を家に帰り「バッターボックスに立てそうで緊張した、立てなくて残念だった」と言う話をした。(母に)
この時も親父は「バッターボックスに立てもしなかったクセに緊張した話なんかするんじゃねぇ!」と怒鳴られ箸で叩かれた。

今思うに、話の内容に怒られていたのではなかったのだろう。
腹が減っていたか、ビールが冷えてなかったのか、風呂が沸いてなかったのか、夕食のおかずが気に入らなかったのか、ジャイアンツが負けていたのか…。
簡単に言うとムシの居所が悪かったのだ。

ただ、親父にいくら怒鳴られ様と僕の生活の中心は「野球」になっていった。

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