日本の宗教についての考察です
Quoraという質問回答のサイトがあり、以下の質問がありました。
「日本人の宗教観は良い意味での名無し宗教 (多神教、自然信仰) との事ですが、なぜその神である妖怪は神として崇められる事なくどちらかと言うと悪役の様に語り継がれていたのでしょうか?」
以下が私の回答です。
「日本人の宗教感は
自然への畏怖から災厄を避け豊穣を願う対象となったもの。
いわゆる八百万の神です。神と名付けられてはいますが精霊的な存在と考えた方が良いと思います。
現象のプリミティブな解釈。
これは不思議なことは(一種の擬人化である)妖怪が介在したことで起こったことと考える科学的思考以前の解釈方法。
権力の正当性を示すための神話。
日本神話です。
本来は別々の由来で発生した宗教観が、あたかもひとつの系統だった信仰であるかのように統合されてしまっていると私は考えます。
…万物の霊性を示していたはずの八百万の神に「妖怪という現象の理解方法」と「中央権力に抗うが故に土蜘蛛や鬼にされた地方豪族」までもが、あたかも初めから含まれていたと後世で語られるようになってしまった。
つまり祀る/鎮めることで自然と付き合っていた土着信仰に妖怪の概念が入ることで、妖怪も元々あった祟り神、荒神の概念に取り込まれたのではないかということです。
そして長い歴史を経て今日、かって「神だったはずの妖怪」という逆転の解釈が生まれたのです。
なぜこんなに容易に解釈が変わるのかを考えるなら、日本での宗教とは神という信仰対象が中心なのではなく、祀る鎮めるという「超自然な力に対する礼拝行為」こそが本体なのかもしれない。
祈ることさえできれば対象の善悪に拘らないというか、対象の意味さえ変えることを厭わないのが日本の宗教なのかも。
まあ妖怪はそもそも鎮める対象ですし、そのなぜ鎮めなければならないかを語り継ぐことが「悪役」とされてきた理由です。
しかしその祟る力が大きいと力を授けたまえとなるところは、やはり対象へ厚い信仰を基調とせず「力と祈り」という関係性になるのが日本の宗教らしいところ。」
そして次の質問
「なぜ日本は仏教、神道、天皇、妖怪(自然信仰)が共存できているのですか?違う宗教の神様がこれだけいては人種としてのまとまりが無くなりませんか?これも日本独自の進化の1つですか?
これへの私の回答
「他の質問の回答でも書きましたが、信仰対象ではなく礼拝の行為自体が日本の宗教だと解釈すれば神様がいくら多種多様でも問題は起こらないと気づきました」
ここからがnote
あらためて書きますと、一般に宗教と言われるものは教義を信じ守る行為とされていますが、
日本人に無宗教が多いとされるのもこの定義に基づくからです。
私の解釈は違います。
日本人の宗教とは祈る行為そのものだと。
対象は神ではなく、人による直接の関与が難しい「見えない力」を
求めるか、鎮めるかのために祈ること。
そして祈ることさえできれば対象に拘らない。
という特有の性質があります。
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