純粋理性批判というタイトルの意味

画像1 宇宙がビックバンと共にはじまるのなら、その前には何があったのか?宇宙がビックバンと共に膨張するなら、宇宙の果てには何があるのか?←これ、子供なら一度は考える事ではないか?これらは全て形而上学的事柄であり、それらを推論する能力は人間の理性にある。ではこれらの命題はいかにして必然性と普遍性をもつのか?その問いを突き詰めると「学としての形而上学はどうして可能であるか?」となる。感性により与えられた対象は悟性により考えられ、理性は対象を推論することでより広範な認識をつくりだし、世界の全体像に迫ろうとする…
画像2 この書で取り扱う問題は、理性の対象ではなく、理性自身の本性により理性に提示されたところの課題である。もし理性が経験において自分に現れるところの対象に関して予め自分自身の能力を知ることができれば、経験の限界を超えて試みられる理性使用の範囲を規定することができる。かかる研究の意図するところは、認識の拡張ではなく修正であり、形而上学の全設計をいわば建築術的に原理に基づき立案すると共に、建物を構成する一切の部分の安全を保証することである。それだからカントは、生まれながら人間に備わる理性そのものの批判をはじめた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?