趣味判断の第三様式『関係』まとめ

一七 美の理想について

 美学的判断の規定根拠は、判断する主観の感情であって、客観の概念ではない。
 それだから我々は、趣味の所産の或るものを範例(他者の模範を模倣することによって趣味が習得せられ得るという意味ではなく、独自の能力としての趣味)と見なすのである。
 してみるとこういうことが判る、即ちー最高の模範即ち趣味の原型は、各人が自分自身のうちでみずから産出せねばならないようは理念にほかならない、そして彼は他のすべての人の趣味をすら、この理念に従って判定せねばならない、ということである。
 理念はもともと理性概念を意味する。趣味のかかる原型は、最高のものという不定な理性理念に基づきはするが、しかし概念によって表示されるものではなくて個別的にのみ表現されるものである、それだからこのような原型は、美の理想と呼ばれるほうが適切である。また我々は、たとえかかる理想を現に所有していないにしても、これを我々自身のうちで産出しようと努力するのである。美の理想は、取りも直さず構想力の理想にほかならない。ところで我々は、どうしたら美のかかる理想に達するのだろうか?

 まず注意しておかねばならないことは、理想がいかなる判定根拠によって成立するにせよ、対象を内的に可能ならしめるところの目的をアプリオリに規定するようななんらかの理性理念が、判定の根底に存しなければならない、ということである。
 それだから美しい花の理想とか、美しい風景の理想などというものは考えられない。恐らくその理由は、これらの物の目的がそれぞれの内的目的の概念によって固定されていないために、その合目的性が漠然とした不定の美におけると殆ど同様に自由だからである。
 すると存在の目的を自分自身のうちにもつところの者即ち人間だけが、理性によって自分の目的をみずから規定することができるわけである。或いはこう言ってもよい、ー自分の目的を外的知覚から得てこなければならないような場合でも、かかる目的を人間に本質的な普遍的目的と突き合わせて、この普遍的目的を美学的に判定し得るのは人間だけである、と。それだから世界における一切の対象のうちで、人間だけが美の理想をもつことができる。そしてそれは、叡智者としての彼の人格に具わる人間性だけが、世界におけるあらゆる物のうちで完全性の理想をもち得るのと同様である。

この第三判断様式から論定される美の説明

 美は、合目的性が目的の表象によらずに或る対象において知覚される限りにおいて、この対象の合目的性の形式である。

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