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そんな刹那的でもないでしょう

────エッセイ

タイトルだけ書いて放置された下書きがあった。「そんな刹那的でもないでしょう」、何を思って書いたのか分からないタイトル。頭に思い浮かんだ言葉をメモしただけかもしれない。ひとことでいいから本文を書いてくれてればいいのにと、そのときの自分に対して思う。単語だけでも残していれば、なにを書こうとしてたか分かるのだけど。

刹那という言葉が好きだ。漢字の見た目は少々いかついが、仏教用語らしい宇宙的な広がりを感じる言葉だと思う。

時間の最小単位。きわめて短い時間。一説に六十五刹那を一弾指という。

コトバンク

一弾指いちだんしとは、一度指をはじくほどのきわめて短い時間のこと。指を鳴らす時間は0.2秒にも満たないのだから、その1/65ということは極めて短い時間だと想像できる。

刹那はニュートラルな言葉だけど、“刹那的” となるとニュアンスが変わってくる。肯定的にも否定的にも使える言葉だが、自分の印象は “儚いはかな” が強い。美しく咲いている花が枯れに向かう瞬間、花びらが落ちる寸前のイメージ。“刹那的” という言葉を見ると、そんなシーンが思い浮かぶ。

切り花の寿命は花の種類や季節によって変わるけど、おおよそ1週間ほど。その姿を見て、刹那的に生きていると感じるのはヒト目線だからかも。花からすれば、ぼくらの一生はあまりにも長く退屈かもしれない。一方、数千年を生きる樹木からすれば、ぼくらの時間は刹那的に短い。

ここまで書いて、うっすらと思いだした。このタイトルを書いたときはきっと、母に会いに行った日ではないかと。

車いすに座ることさえままならず、ベッドに横になる母。目を閉じて、周りの声に微かな首の動きでこたえる母。その姿を見ていると、ぼくとは違う時間が流れてるように見える。ゆっくりとした時間の中で、1日が36時間や48時間の世界で過ごしているようにも感じる。

そんな刹那的でもないでしょうと、母と会った日に願いを込めながら思った。



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