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嘘をいっても、嘘はつけない

バタバタと、つぶやくしかない日々の中で、最近達観していることを記す

我ながら見苦しいものと自覚している、これに関するもの

息子の嘘には、繰り返し心を乱されてきたが、全て振り返ってみたときに、実は、嘘をついていない、とたどりついた

嘘をいうから惑わされるが、究極のところ、目の前の自分の心地よさを選択する中で、事実に反してしまうという誤った表現を選ぶことがあったにすぎないのではないか、と気づく

お腹がすいて食べてしまったお茶碗に残ったご飯の件も、言ってしまうとよくないことが起きるかもしれないという危機感に自然に沿った結果だったり

常に正しいことが、人を傷つけないで済むとは限らないということは、若かりし頃からの私が直面してきた課題でもあったし、そこに共感する人もいるかもしれない

正しすぎるということも、生きづらさを招くのである

極限まで研ぎ澄ました先まで見据えて正しくあろうとすること(合理的であろうということも含む)、それが正解とは限らないのかもしれないということ

目の前のことをごまかし、直面する危機を回避する術だって生きる術ともいえる

ごまかすということの負のイメージがあるが、常に正しくいて、一方で、正しさに満たされずに辛くあるというのも、やはり、自己肯定感を育む上では支障ではないか

まぁいっか

それでいいのかもしれないのである

嘘を言う息子を信じてだまされることすら、親としての正義だと貫いてきたこともあった

正義ということは、迷惑をかけることもあるということだ

結局のところ、人間は、嘘を言っても嘘をつけないというセオリーを実感しているとおりなのだと落着する

正しいことや合理的なこと以外にも人生には選択肢があるということ、無駄かもしれない、それが、余白となるヒントなのかもしれない

そうやって、わが子から教わりながらの、親育ち

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