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映画his感想文

ついに観ることができた!!

先月公開後から、身近で話題になりながらなかなかと機会を逃していて、念願の!!

すでに、レビューが飛び交っているし、観たよって方のお話も聞いていて、用意はしていたわけだが・・・

泣く

最初に、空ちゃんが登場したシーンから泣く

映画って、泣くものでしたっけ?くらいの泣きっぱなし。。。

唯一の悪役と思う、あの毒々しい方の登場だけは歯ぎしり。。。キャリアウーマンが活躍する背後には存在しがちなのかもしれないが、憎々しく、しかし、時代や社会、教育事情が生み出した象徴ともいえるので、その唯一の悪役すらも寄り添えるほどに、子どもを中心とした身近な周りは、みんな優しくあったかく、思いやりと愛、それを支える日本ならではの環境?未来を切り拓くたくましさを味わって心地よさが漂うひとり余韻会

登場シーンわずかなのに、悪役にフォーカスしてしまうのは、わが生い立ちに寄っているからか???うーわー、なセリフの連続なのに、刺さってしまう。。。しかし、ああやって、一生懸命大切に女の子を立派に育てたのよね~~そして、自分の人生を否定するように羽ばたいていく娘を素直に褒められない、褒める発想などない。

駆逐されるべき存在であるが、今の超高齢化社会において、実は日本社会を牛耳る支配者かもしれない。だから、あの悪役にこそケアする仕組みがあれば、次世代を生きる若者たちは、まさに未来を切り拓いていくのではないか、ラストシーンは、それを象徴する秀逸な表現であった

言葉を文字にすることを生業にしているので、文字という制約のある表現をむしろ、日々楽しんでいるが、映画という表現が持つ絶大なる伝える力に、いちいち感動してしまう

文字にしてしまえば、同性愛、地方移住、カミングアウト、アウティング、親権争い、離婚訴訟、専業主夫、キャリアウーマン、毒親・・・キーワードを表現することは簡単だけど、その内実を伝えるのは本当に難しい

なのに、映画ではしっかり盛り込まれているし、無理がなく、理屈すぎないし、考えてみたいけど、思考しすぎなくても大丈夫なかんじの心地よさ

ちょうど新たに、すてきなレビューが目に止まる

あえて、つまらなくする覚悟で、離婚調停~法廷のシーンを解説したい

移住業界は移住業界なりにツッコミがあるのかな

私は、弁護士登録早々学びにいったのが、同性愛カップルの里親というテーマだったのもあって、その辺も聞きかじったもので、うんうんうなづくシーンもあったし、いわゆるセクシャルマイノリティの生きづらさの問題についても学んだこともあったので、繊細なひとつひとつにも、感情移入するシーンが離婚問題以上にあった

南弁護士が監修されているし、そちらのテーマにまつわる細やかな問題については、違和感を感じなかった、というか、気づかずに済んでいるだけかもしれないけども、丁寧に描かれていたと思う

裁判関係の描かれ方もひょっとして、その程度かもしれないけど、表現が悩ましいとしても、違和感がぬぐえないので記す

リーガルハイのごとく、法廷では、あまりしゃべることはありません!といったものにとどめるつもりはない

書面のやりとりを映画で表現するにはあまりにも難しく、そこはリアリティを手放さざるを得ない点は仕方がない

初回期日から、双方代理人が意見をしあうことはないし

 現実には、訴状の陳述、答弁書の陳述、争点は~ですね、次回期日を・・・、という具合に5分程度で終わる、なんなら、被告側がそもそも欠席するということもある

離婚訴訟において証人尋問、まして意見を聞くことはないし

 現実には、子の監護に関する陳述書として、監護補助者に位置づき得るパートナーや、監護環境を知る第三者が作成した書面を一方的に提出し、それに対して、準備書面において、意見するという活動を映画上伝えやすく証人尋問手続きにして見せている
 代理人は、「質問」をするので、「意見」は言わない
 「質問」は、証人が体験した事実に関する問いに限定されるので、普通か特殊かといった「意見」を聞くことはしない

当事者尋問中に、不意打ちの証拠を提出するのは、弾劾証拠として?な展開もアクロバティックで、映画的にはワクワク面白いけども、そこはリアリティを欠くシーン

 弾劾証拠としての提出になると、「ちゃんと子育てできます」という供述証拠の信用性を失わせるためだけの意味になってしまうので、そういう方法よりも、親権者としての適格性を否定する事実を裏付ける証拠として、事前に提出しておきたいもの
 実際、現に監護していない親に対して、そもそも、責め続ける必要はなく、いくら母親であっても親権獲得は難しい
 実際は、親権争いのために当事者尋問がスパークすることはない
 「お子さんは元気に過ごしていますか?」→「はい」と監護親が答えるだけで、親権者は決まる
 最近は、「別居親との面会交流はどうするおつもりですか?」という問いがされることはあるが、100日提案してもそれだけでは監護していなければ親権者になれないし、月に1回(ほぼ親子断絶?)というだけでも、親権者の適格性として問題にされない

映画だから、わかりやすく対立したけど、あんなに差別意識を露骨に言葉にしてくる弁護士はいるのか???それは、同性愛を「特殊」と言い切る側も、女性の仕事と子育ての両立の難しさを責め立てる側も。

あれだけ、わかりやすかったら、反論もしやすいよね。業界は、古い頭も残っているけど、同性愛への理解はむしろ進んでいるので、内心の差別感情を克服できていなくても、露骨に、同性愛を「特殊」と言い切ることは裁判所を舞台としてはあり得ないのではないか、という点も違和感を生んだ。

敵は、もっと巧妙に言葉にしない。同性愛を特殊とは言わない。そこを全部避けて、「(男性のくせに)無職で経済力がない」ことを叩くとか、もっと恐ろしいのは、言葉にもならないアンコンシャスバイアスあふれる空気の中で、「子育ては母親がするもの」という結論へと吸い込まれていく現実の方が闇深い。そこに思考がないからだ。

映画の結論は、一見ありふれたその空気に吸い込まれていったかのような、表明的な枠組みに向かう。だが、母親だけど、一家の大黒柱として、家計の担い手であったからこそ、それまでの親子の時間が制約されていたということを専業主夫をしていた夫が認めるということを、現実は起こり得ない。よく言ってくれた!と拍手したいほどだったが、それが言えるのは、優しい個性にとどまらない、やはり、闇深い「子育ては母親がするもの」教にやはり呑み込まれていったのか。専業主婦の母親には、そのセリフが言えないのではないか。言えなくさせるのは、やはり、あの悪役がいう「絶対親権取れ」にも関係するのだろうか。。。思い出すと、やはり毒々しい。

同性愛の問題も、理解が進んでいるようで、それは表面的な理屈としての話にすぎず、まだまだ、言葉にならない壁の方が深刻なのではないか。

移住先の地方の環境で、「男も女も関係ない」と優しく受け入れてくれるほど、地方は理想的なのか。疑わしくもある。

当事者尋問の途中で打ち切って、和解というのも演出すぎるが、表現技法の問題として、目はつぶれる。

当事者尋問を終えれば、ほぼ判決が書かれるのを待つばかりなので、和解の機会がたしかにある。非公開の和解室に移動して、条項を詰める。
 1.原告と被告は、本日離婚する。
 2.原告と被告の間の長女の親権者は、原告と指定する。
みたいな提案をするのかと思いきや、わかりやすく語ってくれた。でも、この親権者の指定って、そういう意味だろうか。もっと噛み砕いて考えることができるのではないの?というのが、#共同親権論
 その辺りを、養育費や面会交流についての議論で充足しうるのであり、実は、親権者の指定で、父か母かという争いではなく、どちらかを主な居所にするのだけど、どう分担させるかが、土俵のメインになるのであって、父か母かを決めるだけでは解決しないのである。

何よりもの違和感は、時間軸だろう。

2018年秋頃から物語が始まり、調停が親権の対立で1回で終わったにしても、2019年3月までに、離婚訴訟が提起され、当事者尋問があり、和解で終結、子の引渡がなされ、春から小学校入学、これが一番リアリティを欠くのである。

空ちゃん登場時点で、6歳になっているが、5歳から1年以上かけて、となれば、もう少し合点がいく。そういう意味で、映画の表現によって、実際の闇が覆われてしまった。
現実には、調停が始まっても、2~3回、それだけで数か月から半年かかる。その後に急いで離婚訴訟に移行しても、数か月、離婚自体の争いがなく親権のみが主な争点であっても、訴状に対する反論という論点の整理をするのに数か月、親権者争いのために、監護環境調査をするかどうか(やはり、尋問ではなく、調査官調査によることになる)を経て、離婚訴訟提起から結審までに半年から1年はあっという間に過ぎてしまう。もっといえば、離婚訴訟の親権争いでは、現に監護している状態で判断されるので、その前に、監護者指定・子の引渡事件という審判が先行する。手続きは非公開で、反対尋問等の機会は保障されない。現状に特に問題がなければ、子の引渡は認容されないので、現に監護している方が有利である。離婚訴訟において、親権争いが紛糾はせず、現状の監護状態を前提に、親権にまつわる監護条件(面会交流・養育費)の議論こそが親権争いの実情(そこに満たないで終わる事件も多い)だろう。
同性愛に対する偏見に満ちた弁護士は、「母親が子育てすべき」というこれもまた偏見ある立場から強気に原告の親権を主張しているが、現に監護していない状態で離婚訴訟を提起するのはリスクである。想像するに、調停不成立後のタイミングで、迎えに行き、監護した状態での訴訟提起のつもりが、子が自ら父のもとに移動したため、かなり厳しい闘いになってしまっている。監護者指定・子の引き渡し・その保全をすぐ申立つつ、その事件の方で、警察の調書が発覚し、負け戦確定路線になってしまう。別居親なのに、親権を獲得しえる、映画ならではの棚からぼたもち展開にすぎないということか(実際、母親優先の原則はありえず、別居してしまえば、母親であっても、親権獲得が困難である。共同親権制がないゆえに、別居親は親権喪失を強いられてしまうのである)。
ゴメンナサイとアリガトウの方が解決力がある点は、現実にも適合する!

 あとは、親権者として立候補するにあたっての「経済力」について!!

映画では、裁判所は経済力も重視するから、定職に就くように、という指示を弁護士がしていたが、そんなことはない!!これも現実の闇深さが際立ってしまう。

親権者の指定にあたっては、経済力は考慮されないのである。双方に監護能力や意欲が対等に満たされる状況を前提にしても、経済力の優劣では親権者を決めない。すなわち、監護能力や意欲とともに経済力のある親でもあっても親権喪失を強いられる。
養育費によって解決すればいい問題、と突き放すが、生活保護受給ケースでは、養育費を回収しても、生活保護費の返還を要するので、養育費交渉の機運を逃しかねないし、経済力の乏しい親が親権者となって、養育費請求権を適切に行使することが難しい状況も起こり得る。経済力を考慮しないことが、ひとり親家庭の子の貧困を引き起こしているのではないかと十分に推測できるのである。

映画で伝えたいことの本筋に比べれば、リアリティなんて目をつぶって済んでしまう小さなことすぎて、つまらない作業をしてしまったと自覚しつつ、書いてみて、現実のもっと深刻な闇までをも目をそらすわけにはいかない、とも気づく

#パパもママも  身近に大切してくれる大人も みんなで成長を見守ろうよ

そういう優しいまなざしに包まれていれば、そうさ、子どもはしなやかに、大丈夫!! たぶん、それが、これからの未来を切り拓くための要だ!!

文字にすることが恐縮なほどに、本当に、子どもだからこそ、ありのままを肯定的に受け入れられる優しさを教えてくれる、ということにも気づく

たまにしかないが「ワンオペ育児中」、「3歳のトイレトレーニング」の一進一退具合に、反省する母モードだったということも記しておこう

よく泣いて、ひとり余韻にひたりきって、そうだ!明日は、いろいろな家族を考え語る会

よきタイミングで迎えることができそうで、楽しみ!!

まだまだお席があるそうですので、って最後の告知☆

日本の未来も頼もしいよ~~



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