映像「『flows』を見る/読む」のこと④
今回の映像では、シンガーソングライターの前野健太さんのこんな言葉が編集で抜き出されている。これは、トークからライブに移り、私から前野さんのご紹介をしたほとんどすぐ後のもので、映像では「戦争が夏でよかった」が続いているが、実際には、このあと、「夏が洗い流したらまた」、「東京の空」、「天気予報」、「戦争が夏でよかった」、「虫のようなオッサン」と5曲を歌っていただいた。「戦争が夏でよかった」は私からのリクエスト、「虫のようなオッサン」は予定時間を超過する中でのアンコール。そして合間のMCでは、前野さんから『flows』についてのご感想(というレベルを大きく超えた解釈)や、私自身のことについて、亡くなられて20年以上が経つ前野さんのお父様のこともまじえてお話いただいた。その内容は、この夏のとても大切なギフトとして私の中に残っている。
さて、前野さんからこの言葉をもらう直前、映像には収録していないが、私はこんなことを話していた。
イベントに集まってくださった皆さまへの冒頭のご挨拶として、なぜ今日前野さんにお願いしたのか、という話なのだが、こうして文字に起こしてみると、もっと上手い言い方はなかったのか、と思う。いま、せめてもう少し言うなら、それは、私たちが生きている中で日々体内に湧き上がる嬉しさ、喜び、おかしみ、哀しみ、または怒り、そういったいくつもの感情に対する誠実さが前野さんの歌にはあるということを言いたかった。そして、「哀しみ」「怒り」と書いたけれども、前野さんの場合、それらはただ負の感情としてあらわれない。前野さんの歌を聴き感じるのは、自分の感情や、対峙している出来事について、そう簡単に良し悪しを切り分けることのできない難しさに向き合いながら、でもその現状に対して自身が真っすぐにあろうとすることの強さであり優しさである。
誰がどうだということではなく、私がこう思う、こう感じる、ということ。前野さんがこのときのMCで、写真集『flows』制作の過程で、私(小金沢智)が仲間(吉江淳さん、平野篤史さん)を頼ってこれを作ったことに焚き付けられた、熱くなっている、ということを話してくださったが、私自身が、前野さんの歌からうかがえる人としての姿勢に、この10年、勇気をもらい続けてきた。前野さんの歌に触れていなかったならば、もしかしたら、この写真集を作るということ自体発想としてなかったかもしれない、というのは決して言い過ぎではない。
ライブでも歌っていただいた「天気予報」という歌に、こんな一節がある。私の父は、前野さんのお父さまと比べれば長生きをしたが、定年退職前からの病気によって、自身の体を思うように動かないまま亡くなった。だからつい重ね合わせてしまう。しかしそれだけではない。
この歌は、その一節だけを抜き出すと想起される、哀しみに満ちたものではない。むしろ、リズムは軽快で、歌詞はおどけている部分もある。そこに挿入される「一生懸命働いても 年金もらえず 死んでった父」という歌詞は、肉親の死という重大な出来事を経ながら、ただただ哀しさを嘆くのではなく、生きている以上は続く日常で、懸命に、普通に、生きる(生きようとする)人の姿を思わせるものだ。
だから、これは前野さんの歌であり、「死んでった父」は前野さんのお父様のことなのだろうが、「死んでった父」は私の父であり、この歌は私の歌でもあると思っている。そう思う人が、私以外にもたくさんいて、私も含めてその人たちは、それぞれの感情や記憶や出来事を、前野さんの歌に重ねている。
父が亡くなって、『flows』を作りながら、そして作ってからも、「ぼくが生きて行ける」のは、多くの人から勇気をもらっているからだと、「『flows』を見る/読む」を通して、実感することばかりだ。私はそれを、誰に、どうやって返すことができるだろう。
◉映像「『flows』を見る/読む」
https://youtu.be/FacHmillP5k
出演:小金沢智、平野篤史、吉江淳、前野健太
会場:iwao gallery
撮影・編集:岡安賢一
スペシャルサンクス:山本直彰
収録:2022年8月19日・20日
公開:2022年12月10日0時0分
32分13秒
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