見出し画像

再録:東北芸術工科大学 開学30周年記念展「ここに新しい風景を、」のための見取り図

小金沢智(本展キュレーター、東北芸術工科大学芸術学部美術科日本画コース専任講師)


はじめに

『広辞苑』を紐解くと「風景」の項目は以下のように説明されている。

①けしき。風光 ②その場の情景。「入学式-」 ③風姿。風采。人の様子。

新村出・編『広辞苑』第七版、2019年5月、岩波書店

では「けしき」とは何か…と辞典を繰っていくと際限がないのだが、ここではひとまず、「風景」がある場所の「けしき」̶̶「ありさま」だけではなく、人の様子までも含むということを確認しておきたい。さて、写真家・かんのさゆりは、本展のためのステイトメント(展覧会場未掲示)で、風景と故郷を紐づけるようにしてこのように書いている。

故郷をかたちづくるのは
地形か 記憶か そこに暮らす人々だろうか
大きく揺れたあの日から かたちを変えた場所があり
二度と戻れない場所がある
変わらない風景 変わりゆく風景
それが良いとか悪いとか
計ることはできるだろうか
今はまだ見慣れないよそよそしい風景も
30年後には誰かの故郷になるかもしれない
あたらしい風景はもうはじまっている

かんのさゆり「New Standard Landscape」2022年

《New Standard Landscape》——「新しい」「標準的な」「風景」と名づけられたかんのの出品作品、それ自体から人の姿を被写体として見出すことはできない。ただ、《New Standard Landscape》に写しとられている家々は、存在感は希薄だが、その背景(というよりも、まさしくその屋内)に「人の様子」を彷彿とさせるものであることは間違いない。例えば、庭先のキャンプ用品によって。あるいは、丁寧に手入れされた植栽によって。または、軒下を飾り立てるデコレーションによって。2011年3月11日の東日本大震災から数年が経った、東北(宮城県仙台市泉区、仙台市若林区、石巻市、福島県双葉郡富岡町)の新興住宅地で2016年以降撮られた写真群は、なるほど「New Standard」としての「ピカピカした新しさ」をそなえながら、確かにそこに人の存在があることを知らせてくれる。そこに見えて(写って)いなくても、「風景」とは「人の様子」であると。
とはいえ、かんのにとっての「風景」は、ただそれとして存在するものとも異なるニュアンスを持っているようだ。すなわち、人の視線や記憶を介在していること。ある風景は、誰もにとって同じ風景なのではない。かんのが、「今はまだ見慣れないよそよそしい風景も/ 30年後には誰かの故郷になるかもしれない」と言うときの「誰か」。その「誰か」にとっての個別具体的な記憶をともなう「風景」。ならば風景とは、人の視線・記憶の数だけ、それこそ複数、無数に存在しえるのではなかったか。いま、私がいる「ここ」。いま、あなたがいる「どこか」。そのけしき、情景。それは私やあなただけの空間ではないが、私やあなただけの風景である。
今回、私はそういう地点から、東北芸術工科大学 開学30周年記念展「ここに新しい風景を、」を始めてみたいと思う。本稿は、まだすべての展示が終わっていない設営中の風景を目にしながら、本展鑑賞のための見取り図として描写される。

東北芸術工科大学開学30年の歴史

1992年4月に開学し、2022年4月に30周年を迎えたことを記念して開催する本展「ここに新しい風景を、」は、本学本館のギャラリースペースTHE WALL(1階)とTHE TOP(7階)の2会場で実施するものだ。THE WALLは、年譜「東北芸術工科大学開学30年の歴史」(制作:企画調査室)と、元・現教職員・関係者(84名)と卒業生による言葉を中心とするグラフィックとインタビュー映像の展示。THE TOPは、卒業生8組(アメフラシ、飯泉祐樹、F/style、かんのさゆり、近藤亜樹、近藤七彩、多田さやか、西澤諭志)とひとつのプロジェクト(東北画は可能か?)によ展示。二部構成で、いずれのアートディレクションも、本学情報デザイン学科卒業の小板橋基希(akaoni)である。
「元・現教職員による言葉があるといいのではないか」と提案したのも小板橋であった。本展は、企画当初は「12,836+(12,836プラス)」という、開学以来2021年度までの卒業生・修了生の人数をタイトルとしてスタートし、途中、ある判断から変更したという経緯を持つ。数字から、幾分かの抒情性をはらんだタイトルへ。当初はTHE TOPのキュレーション上のキーワードであった「新しい風景」、タイトルであった「ここに新しい風景を、」を全体に敷衍する過程で、必要とされたものが「風景」の複数性であったと言えるだろうか。
実際、30年という時間の積層が、年譜に加え、元・現教職員と卒業生による言葉によって際立つ思いがする。それらは、「芸工大で、記憶に残っているイメージ(人・風景・物事)」「芸工大で学ぶ学生に対する言葉」のどちらかを選んでいただく格好で、主に学内の教職員に寄稿を呼びかけたものである(壁面とエレベーター内に掲示しているものは抜粋であり、全員・全文は、壁面手前の台座のグラフィックで読むことができる)。それらは、ある一文は大学の歴史において重要な出来事が語られた記録性の強いものであり、ある一文は非常に個人的ではあるがこの場所で起こった物事や感情が語られているという点で、やはり貴重なアーカイブにほかならない。校友会からの呼びかけによって集められた卒業生からの言葉・写真は、「思い出」にとどまらず、すべからく大学が学生なしには存在できない教育機関であるということも示しているのではないか。ぜひご一読いただきたい。
さらに、THE WALLでは、小沢明(元環境デザイン学科教授、第3代学長、本学名誉教授)、上條喬久(元情報デザイン学科教授、大学ロゴ作成、大学名提案)、長澤忠徳(元情報デザイン学科助教授、現武蔵野美術大学学長)、峯田義郎(元美術科彫刻コース教授、本学名誉教授)、畠中美栄子(元大学ストアスタッフ)、原田奈緒美(大学教学課 学生相談員、元校友会事務局)、片岡杏子(本学一期生[洋画コース]、表現の場づくり研究室)、後藤健一郎(本学一期生[映像デザインコース]、現寒河江市議会議員)の各氏のインタビュー映像を制作・展示。いずれの方も大学開学の草創期をご存知であり、2022年の現在からその当時を見つめ直すとき、30年前に立ち上げられた理念と活動があってこそ、現在の本学があることを実感させられる。出演者の推薦はすべて校友会によるものである。
本学設立に大きく寄与した元理事長である徳山詳直(1930-2014)の熱意あふれる言葉の数々にも触れておきたい。本展では、「大学設立の宣言」(1992年春)、「二十一世紀に向けて 東北芸術工科大学の誓い」(2000年5月)、『藝術立国』(幻冬舎、2012年)の3つのテキストから、特に今回着目したい一節を抜粋・掲示している。「大学設立の宣言」(1992年春)が、「この大学は、悠久の大河最上川をつつんで、蔵王連峰、出羽三山、朝日連峰に囲まれる日本文化の源流、縄文の奥深い土壌の中から生まれた」と、まさしく「風景」の描写から始まる点に注目していただきたい。本学が、山形県と山形市による公設民営の大学として設立しながら、「山形芸術工科大学」ではなく「東北芸術工科大学」と命名されたことは、本学のロゴデザインを行政から依頼された上條喬久からの提案であったと今回のインタビューにも詳しいが、徳山もまた、「東北」という場所に強い思いを抱いていた。そして、(さまざまな文章に見られるように)「新しい世界調和への展望」「新しい世界観の確立」「新しい文明の原理」の探究を、「新しい世紀」「新しい時代」に、東北芸術工科大学という「新しい大学」で実践しようとしていた。「わが大学の前に道はなし。あるは、歴史的実験のみ」(「大学設立の宣言」1992年春)という言葉から30年。今は次第に整えられてきた道の上で、しかしなお、本学には「歴史的実験」が求められていると言えるだろうか。

卒業生8組とひとつのプロジェクトの展覧会

そう、「新しい風景」という本展のキーワードの着想は、前述の徳山詳直の言葉によるところが大きい。THE WALLのための言葉を募った際、いく人かの教員が本学における「畑」の存在について言及しているが、かつて、「この敷地は全部畑と田んぼだった」(徳山詳直『藝術立国』幻冬舎、2012年)。『藝術立国』には、その土地をいくらで買い取ったという生なましいことも書かれているためご興味のある方はご一読をお勧めしたいが、その「畑と田んぼ」だったところに大学が建設され、そしてその校舎もだんだんと施設が増設されていく(年譜を参照されたい)。THE TOPで展示するのは、その「新しい風景」で学んだ卒業生8組と、ひとつのプロジェクト(チュートリアル)である。1階から7階へエレベーターを上がったのち、時計回りの導線を辿るようにして彼らの作品を紹介したい。
まず来場者を出迎えるのは、多田さやかによる《SHAMBHLA》(2015年)である。大学院の修了制作として制作された本作のタイトル「シャンバラ」とは、理想の仏教国のこと。多田は、「理想郷」をテーマに制作を行なっているのだが、描かれているモチーフには彼女にとって親しみ深い街や自然の風景が入り込んでいる。それは、多田にとっての「理想郷」が、遥か遠くで見出されるものでは必ずしもなく、作家のいる今・ここ、あるいは、かつていた・どこかと地続きであることを意味しているのかもしれない。《SHAMBHLA》の上部へと飛び立つようにして展示されているのは、本展のための新作《Wandervogel》(2022年)。大学院修了後は実家のある山形を離れ、東京で暮らし、活動する多田が、この7年間の間に見た風景が、数十羽の鳥となって飛び交っている。
近藤亜樹は、学生時代を山形で過ごし、その後東京から小豆島と拠点を移したのち、2020年、ふたたび山形に居を移して活動しているアーティストである。山形の県花・紅花が主なモチーフの《ただいま山形》(2021年)は、のびやかな筆致とあざやかな色彩によって、みずみずしい生命力の発露を伝える作品だ。近藤は、本作を発表した2021年の山形美術館の個展「近藤亜樹-星、光る」に際して、このようなステイトメントを寄せている。「わたしたちは生きている 生まれ落ちたこの星で カタチはみんな違うけど 光と影をいきている たったひとつの美しい命 祷り、踊り、歌い、笑え 生きる命よ蘇れ 今光るこの星に」(『近藤亜樹-星、光る』図録、山形美術館、2021年、p.4)。心の故郷に思いを寄せた作品「ただいま山形」をご鑑賞いただきたい。
写真家・映像作家として活動する西澤諭志は、本展会場で学生時代の卒業制作《絶景》シリーズ(2007年~2010年)を新たにプリントし、近作とともに展示を行いつつ、さらにイベントとして映画『百光』(2013年)の上映会(2022年9月18日、本館201教室)を行う。被写体を本学の各所に見出しながら、モニュメンタル然とした、何か特別のものであるかのような撮影が行われている《絶景》シリーズと、まさしくモニュメンタルな場所・施設を被写体とした《ウポポイ(民族共生象徴空間)/北海道百年記念塔》(2020年)、《東日本大震災・原子力災害伝承館/東京オリンピック・パラリンピック選手村》(2021年)、《福島県双葉郡富岡町》(2018年)、《福島県双葉郡双葉町/東京都港区 高輪ゲートウェイ駅》(2021年)。そして、自身が住む部屋を1年間にわたり撮影し、「布団」「台所」「客人」「窓」の四章構成で制作した映画『百光』。これらの作品群を通して見えてくるのは、公私において風景が形作られる、大小きわめて甚大な幅のある力学のようなものだろうか。
近藤七彩による作品群は、もともとは何か具体的な機能を持つものが、切り分けられ、組み合わされることで一点一点が形作られている。それらは、建具、掛け軸の風鎮、仏具、木彫(熊)など、(日本の)家の内部にある(であろう)ものたちで統一されているようで、それらのディテールから自身や親しい人の家の光景を思い起こされる人もいるかもしれない。近藤はそれらをリサイクルショップなども利用して手に入れるのだという。誰かの日常風景を形作っていたが、今は無用となってしまったものを、近藤は寸断し、別々のもの同士を接続し直すことで、新たなイメージを立ち上げる。それらは、ただ組み合わせの妙ということではない。《無用建具#1》《無用建具#2》《無用建具改#1》の形態感覚で見られるように、近藤は、既存の造形物の切り取り方にその特異性を見出せるように私には思われる。ある風景・光景を、近藤は独特の視点でトリミングする視力をもっているのではないか。
4人組で山形県長井市を拠点に活動しているアメフラシは、近藤七彩とは異なるやり方で、本展においてきわめてストレートにある風景を切り取ってきた。《切り取る/Cut out》(2022年)は、アメフラシが市民参加もまじえリノベーションした元印刷工場であり、現在は市民アトリエである彼らの拠点「Kosyau」(山形県長井市)2階の一区画を、まさしく「切り取る」ようにしてTHE TOPまで「移築」(?)した作品である。現在アメフラシは、2階をスタジオとして改修するためこれら壁面を撤去しているのだという。そのため、素材としては「廃材」となっているが、本作もまた、かつてはある機能をもった空間だった。本展では、その移設された空間を用いてアメフラシの活動が紹介されている。展示のための什器であり、それ自体作品であるという《切り取る/Cut out》が突きつけるのは、ある風景を構成するものが無用であるか有用であるかを超えた、そのもの自体の存在感である。
飯泉祐樹の作品《木石を刻むことはできず、ただ夢を塑す》(2018年~2022年)は、これまで飯泉が制作してきた作品に、さらに作品・木材を加え、空間全体を用いて一点の作品として構成することで形作られた。2日間の設営現場での飯泉の手つきを見ていると、彼は言うならば感覚的に、作品と木材の組み合わせ、空間における配置を決めているように見受けられた。そのさまは、人類学者のレヴィ=ストロースが『野生の思考』(1962年)で提唱したブリコラージュ(bricolage)の概念を想起させる。すなわち、ありあわせのものを用いて自分の手でものを作ること。「ありあわせ」というと聞こえが悪いかもしれないが、そこにこそ創造性が宿る。彫刻家の戸谷成雄やコンスタンティン・ブランクーシを思わせる造形感覚も一部垣間見せながら、飯泉による本作は全体としてはまるで違う風景を作り上げた。作品の大枠だけではなく、例えば空間上部から吊り下げられているもの(小さな、透明感のある)や、ドローイングなどのディテールにも目を凝らしていただきたい。
2009年11月、本学教員の三瀬夏之介と鴻崎正武(2022年4月より女子美術大学)により、学生とともに東北における美術の可能性を考えるプロジェクト(本学では「チュートリアル」と呼ぶ教員と学生の課外活動である)としてス
タートした「東北画は可能か?」からは、「12号」と呼称される作品群30点を展示した。これらは、P12号(長辺606×短辺455㎜)のパネルを基本フォーマットとして(一部例外あり)、画材・モチーフは自由、ただし「東北」に寄り添って制作を行うことが課された個人制作の作品である。活動13年目となる現在では合計150点を超え、本展では、必ずしも教員・学生を問わず活動に賛同し制作された作品群も含め、風景あるいは風景を彷彿とさせるイメージが描かれた作品を私がピックアップしている。「誰か」にとっての東北のイメージが照射するのは、「あなた」にとっての東北のイメージだろうか?写真家・かんのさゆりによる《New Standard Landscape》は、本展では、一見して「どこ」とわかりにくいものと、「あそこであるだろうか」とわかりやすいかもしれないものが、壁面を隔てながらも隣り合うようにして展示されている。どちらも同じようにわからないという人もいるだろう。作品リストを見ていただければ、どこで撮られたものか撮影地が記載されている。例えば、福島県双葉郡富岡町は、福島第一原子力発電所事故の影響により長く避難指示区域である(ただし、2017年4月1日、北東部の帰還困難区域を除き避難指示区域から解除)。東日本大震災そして福島第一原子力発電所事故により、変わらざるをえなかった風景。「人の様子」が長く認められない場所が、展覧会としては、個人の新築の住宅と隣り合ったとき、いったいどのような感触を与えるのかということを、私は、誰か——あなたと話してみたいと思う。
ところで、風景の最小単位というのはあるだろうか? 私はそれを居住する家に見いだせるのではないかと考えた。五十嵐恵美と星野若菜によるF/styleの仕事から生み出されるプロダクトは、とかく人の生活̶̶家と結びついている。例えば、ふたりが学生時代に手がけ、F/styleの代表作として現在も作られている犬が象られているマット(《HOUSE》穂積繊維工業)。それは、経年変化が基本的には忌避され、制作当初のままの状態で保存・展示されることが望まれるいわば美術作品とは違い、人の生活の中で使われることが前提である。
根本の意図が違うのだ。本展では、数々のプロダクトがどのような人と空間の中で用いられているのかという点に私が関心を引かれ、プロダクトそのものと、プロダクトが含まれる光景の写真(すべて、五十嵐がマニュアルで撮影)を二本柱に展示を構成いただいた。それらは、私やあなたが、日々の生活の起点となる風景——日常を、もっと深く、愛おしく、丁寧に、面白く、見つめることにつながるかもしれない。
こうして、多田さやかによる「理想郷」——そこには日常も含まれている——から、F/styleによる「誰か」の生活の風景を持ってして、本展は締めくられる。

むすびに

「風景」には「風」が含まれている。「風」とは、「①空気の流れ。気流。特に、肌で感じるもの」「②なりゆき。形勢。風向き」「③ならわし。風習。しきたり。流儀」「④(接尾辞的に)そのようなそぶり。様子」(いずれも、新村出・編『広辞苑』第七版、2019年5月、岩波書店)のこと。そして、「新しい」とは、「①初めてである」「②できたり起こったりして間がない。使い古されていない」「③生き生きとしている。(肉・野菜などが)新鮮である」「④今までにないものや状態である。斬新である」「⑤改めた後のものである」(前掲書)とあって、すなわち「新しい」「風景」とは、どこか固定化されない、移り変わりを多分に含んだ景色のありようのことだと、本展で私は考える。
その上で、「ここに新しい風景を、」と口にしてみる。読点の先には、さらに言葉が続くかもしれないし、続かないかもしれない。本展では、その可能性だけを示している。なぜならそこから先は、私でありあなたの問題であると思うからだ。本展の起点には、東北芸術工科大学という1992年4月に山形県山形市に開学した「新しい風景」の存在がある。けれども、年譜をたどればいっそう明らかなように、その「風景」もまた、30年間で変わり続けている。「新しさ」も、何をそれと認めるのか、人によって意見の差異が現れるだろう。
ここで改めて、徳山詳直の述べた「新しい世界調和」「新しい世界観」「新しい文明」「新しい世紀」「新しい時代」そして「新しい大学」という言葉を、彼の考えたそれらではなく、自分ごととしてどういうものかと考えてみてもいいかもしれない。そして、「新しい風景」についても。

「ここに新しい風景を、」

この余白を含んだ抽象的で未完成な一文のゆくえを、ご来場されたあなたの認識や知覚をもってして考えていただきたいと思っている。

2022年8月29日、東北芸術工科大学 THE TOPにて

出典
『東北芸術工科大学 開学30周年記念展「ここに新しい風景を、」ハンドアウト』2022年9月3日発行

https://www.tuad.ac.jp/30anniv-exhibition/common/pdf/TUAD30th_handout.pdf

展覧会
東北芸術工科大学 開学30周年記念展「ここに新しい風景を、」
日時:2022年9月3日(土)~25日(日)10:00~17:00
※一般の皆さまは1階入口で入館手続きのうえ、ご入場ください。
休館日:月曜日、火曜日、水曜日(ただし祝日の9月19日は開館)
共催:東北芸術工科大学、東北芸術工科大学校友会
協力:シュウゴアーツ
会場:東北芸術工科大学THE TOP(7階)、THE WALL(1階)
出品作家:アメフラシ、飯泉祐樹、F/style、かんのさゆり、近藤亜樹、近藤七彩、多田さやか、東北画は可能か?、西澤諭志
キュレーター:小金沢智
アートディレクター:小板橋基希(akaoni)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?