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「つくる」ことをめぐる覚え書き(2023)

山形に越してきて4年目の春。昨日はしっかりとした雨がひさしぶりに1日続き、今日も肌寒いが、植物が芽吹き、雪化粧を落としつつある山々が青々としげる春がはじまる。

さて、私は4年目のいま改めて、大学で教員として働くとはどういうことか、ということを考えている。それまで学芸員として勤務してきた美術館では、展覧会や調査研究、教育普及活動をはじめとする業務を実施するにあたって、その仕事の柱は、「美術館としての基本理念」だった。たとえば、開館準備室を含めて約5年間勤務した太田市美術館・図書館であれば、「創造的太田人 まちに創造性をもたらす 知と感性のプラットフォーム」であり、各事業はそのコンセプトと紐付けられ、発想・実現されることが重要だった。これは、太田市美術館・図書館にかぎったことではないと思う。学芸員は、自身の専門性、そしてプライベートでは好みや趣味を持ちつつも、それらをいったんカッコに入れてみて、その場でなされるべき仕事を第一に考える必要がある。それは、設置主体が公立美術館であれば行政、私立美術館であれば企業をはじめとする各種団体である以上(すなわち、学芸員としての私が設置主体でない以上)当然のことで、したがって、展覧会であっても、「私がやりたいからやる」ということは基本的にない。もしそういうことがあるとしたら、それは美術館の基本理念と個人の欲望が一致した稀有な例だと思う。あるいはそういう幸運に恵まれている人もいるのかもしれない。

他方、「私がやりたいからやる」ではないことの面白さというものがある。つまり、発想の原因や動機が「私の外側」にあることが面白い。自分自身の内側から湧き出るものというよりも、外側にあるものを見つめることからはじめること。それは世界に当たり前に存在する私以外の多くの「誰か」「何か」との出会いであり、その出会いを通して自分自身の内側にあるものを見つめ(直し)、その行き来を重ねることをとおして物事を組み立てていく。積み木のように。

「大学で教員として働くとはどういうことか」に話を戻すと、ここでもまず重要なのは、大学としての基本理念である。現在勤務先の東北芸術工科大学では「藝術立国」がそれであり、開学の1993年春に掲げられた「東北芸術工科大学設立の宣言」(徳山詳直)もある。昨年私が企画担当した開学30周年記念展「ここに新しい風景を、」(会場:東北芸術工科大学 THE WALL、THE TOP)は、この理念や宣言から発想して構想したものだった。

だが、美術館も大学も、設置主体だけで成り立つものではなく、そこに住み、通う人がいる。前者であれば市民であり、後者であれば学生である。理念に基づき、発想・思考することは重要だが、その人たちを見失うようなことがあってはならない。なぜなら、美術館であれば市民が、大学であれば学生がいてこそ、その存在に意味があるからだ。東北芸術工科大学本館には、正面入口から入ってすぐ右手側に、「愛が足りない だからこその大学がある」(徳山詳直)と書かれた書がおおきく掲げられていて、初めて訪れた人をしばしば驚かせているが、これは、大学という場所がその設置主体(学校法人)以外の「誰か」「何か」のために存在するという当たり前のことを知らせている。その「当たり前」のことを、わざわざメッセージにしなければならなかったことの意味を、考える必要もあるだろう。

なかなか本題に進まないが、すなわち人が大事なのだ。私自身は、東北芸術工科大学では芸術学部美術科日本画コースの教員として勤務している。大学教員は、何かしらの専門性を有し、それこそ自身の好みや趣味ではない知見・経験に基づき研究・指導をすることが求められ、私の場合は作家(アーティスト)ではなくキュレーターという職能、日本の近現代美術史を専門の領域とする立場から、学生とかかわりを持っている。それが求められ、ここに職を得ているということでもある。

けれども問題は、どうやらそれだけでは不十分ではないかということなのだ。そのことに4年目にしてようやく気がついたのは、学生たちとの主に授業内でのさまざまなやりとりを経てのことだ。「それだけ」というのは「日本の近現代美術史」のことで、それだけでは、少なくとも私がいまいるこの場では、目の前の学生との十分なコミュニケーションをとれない。「いまいるこの場」とは、「何かをつくりたい」と欲する人たちがいる場のことであり、私としては、その「つくる」ためのヒント、参照することによって有益な知見を得られると思われる今日や歴史の事象を伝えることが役割であると思い、仕事をしてきたが(それが重要であることは、私個人として揺らぐものではないが)、それだけでは足りないということだ。なぜなら、「何かをつくる」ということは、なにより個人の実存に深く関わる(関わってしまう)ものだからである。歴史は、必要に応じて参照し、学ぶものでこそあれ、従属すべきものではない。それでも、私は私の立場と考えから、むしろ個人の実存を考えるため、歴史から主体的に学ぶことを学生にうながすものであるが。

「つくる」とはどういうことかと考える。その人の動機や欲望は一様ではまったくなく、「アーティスト」として「発表する」「活動する」ことは「つくる」ことをめぐる氷山のほんの一角にすぎない。私自身は、昨年、私家版写真集『flows』(2022)を写真家の吉江淳さん、デザイナーの平野篤史さんとつくり(いや、「つくってしまい」)、そのことに気づき、唖然としてしまった思いがある。それなりに長年、「美術」と呼ばれる「つくる」ことをその中心のひとつとする物事に関わってきたにも関わらず。

そしてそれは今なお続いている。あなたはなぜつくるのか。私はなぜつくるのか。実存を問い(問われ)続けなければならないということも、あまりに底が深く、とうてい見通せるものではないけれど。

写真:吉江淳(私家版写真集『flows』より)

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