余命半年

ついに余命半年。

末期がんで闘病中の父が、ついに余命半年の宣告を受けた。余命宣告を受けるのはこれで2回目なので、余命宣告そのもののダメージは少ないが、終わりが近づいている実感によるダメージが大きい。ふとした瞬間に涙が出る。

今日も父の会社の社長に母と二人で会ってきた。つい2週間ほど前まで、父はトラック運転手の仕事をしていた。直接的には言わないが、「何かあって迷惑をかける前に仕事は切り上げてね。」という社長の温度感を感じざるを得なかった。父は色々と誤魔化せていたつもりだったのだろうが、もともと不器用な人でもあったし、誤魔化せているわけもなく、病状の悪化は暗に感じ取られていた。
1度目の手術を終えて復帰した会社で、資格も取って新しい仕事を任せてもらっていたりと、それなりに評価されていたようだった。
1個人としての父を思う気持ちと、社長として会社のことを考えなければいけない責務、その間でなんとか父を雇い続けてくれている社長の姿を見た気がした。
母が病院に行って諸々の事情を伝えると、「もう仕事はやめてもいいかなぁ」と父は言っていたらしい。ここまで頑なに仕事に拘っていた父が。

余命半年、の重みを実感した1日だった。

「あなたが生きている今日は、誰かが生きたかった明日」

こんな言葉を誰しもが聞いたことがあるのではないだろうか。安っぽい、ありふれた慣用句だなと、僕もついこの間まで思っていた。この言葉に実感を覚えるときがこようとは。

やっと妹も専門学校を卒業し、子どもが手を離れるタイミング。きっと、自分の時間を謳歌したい気持ちもあったろう。仕事にもっと打ち込みたかったろう。僕ら兄妹の孫をその手に抱きたかっただろう。でも、それは叶いそうにない。

余命宣告は非常に正確だ。数万の患者のデータの統計値が「余命」という形で医師の口から宣告される。父が余命2~3年と言われたのは2020年の6月初旬だった。そしてこのタイミングでの余命半年の宣告である。非情なまでに、余命宣告は正確だ。

僕らの人生は何の変哲もない、のっぺりとした日常によって大部分が構成されている。でも、こういった日常がいかに貴重で、ありがたいことなのか、この身をもって知ることになった。

もし、誰かの時間を父に移すことができるなら、僕は自分が負える限りの代償を払って、父のための時間を獲得するだろう。それほどまでに、僕たちが生きている「今」とこれから生きる「未来」というのは価値がある。

今なら、自分の温度感を乗せて、厚みを持たせて言える気がする。

「あなたが生きている今日は、誰かが生きたかった明日」なんだってことを。

悲しんでばかりはいられない。

これまででお察しの通り、非常にしんどい局面である。ただ悲しみに暮れ、日々涙を流していれば全てが丸く収まってくれればいいのだが、そういうわけにもいかない。日々の仕事、父の介護・緩和ケアのコト。やらなければいけないことは山積みである。

ここまでの闘病生活で、非常に実践的な学びもあった。

まず、こういった闘病生活には3つの役割が必要不可欠である。
①患者本人の色々な感情を受け止め、世話をしてあげる心を動かす人
②実際に病院に同伴したり、何かしらの申請を行ったり手を動かす人
③病院とのコミュニケーションや今後のことを考える頭を動かす人
ちなみに、役割1つだけをとっても、パンクしそうなまでに重い。我が家は僕と母の二人でこの役割を分担して行っているが、我が家秘伝の異常なまでのバイタリティとタフネスを持って、無理やり回しているに過ぎない。基本的には1つの役割に対して一人以上の人員を持って臨むべきだと思う。

もし、介護や病気などで家族のケアをしている人は上記の役割をきちんと分担できているか考えてみてほしい。役割の受け持ち過ぎは、共倒れから一家離散を招きかねない。

これから我が家は心と体と頭をフル動員して、介護申請やら緩和ケアの方針決定やら、病院への付き添いやら、患者本人のケアなんかをしなければならない。

今も十分悲しいが、何リットルもの涙を流すのは少し先になりそうである。

それでも、感謝。

それでも、悪いことばかりではない。僕の周囲を取り巻く環境には本当に感謝してもしきれない。

病気の父を最後まで雇用し、人としての尊厳を守ってくれた勤務先。
突発的な休みを受け入れてくれる母の職場。
「家族のことに集中しなさい」と言ってくれる仲間たちがたくさんいる僕の職場。
普段治療にあたってくれる病院の医療チームの皆様方。
他にも数えきれないほどの人たちの善意と協力によって、これまでの闘病生活とこれからの闘病生活は支えられていくのだと思う。ただただ、感謝、である。

最後に

僕は父のことを非常に尊敬している。劣悪な家庭環境で育ちながらも、自分の子供にそんな思いはさせまいと、僕のことを立派に育て上げてくれた父を。

せめて、そんな父に感謝の言葉を最後は伝えて上げたいと思う。手紙で書き記して、天国へ旅立つ時には是非とも持って行ってもらいたい。

その手紙を読みながら、僕を育てたことを人生最大の功績と思ってくれたら、僕としてそれ以上に幸せなことはない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?