【断章】郷愁について
いい匂いのするプラスチック消しゴム、などによってそそられる「食べられないものへの食欲」の行き場のなさを引き受ける領域が、言葉のどこかにあるということを示す役割の「詩」があるのではないか
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この食欲は郷愁と似ていると思うが、そうした消しゴムが子供時代の記憶と結びついている、ことを切り分けてもこの郷愁は残る気がする。はっきりそこにあるのにけっして届かないという感じ。食べたら腹を壊すのではなく、口に入れても(期待したような)味がしない、ことが重要なのだと思う。
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つまり「郷愁」の遠さというのは、すべてが遠いのではなく、手が触れるほど近く生々しくあるものと、存在したことさえ不確かなほど遠く手の届かないものが同時に存在することなのではないか。かつての面影を少なからず残した町に帰ってきたにもかかわらず、決定的に「そこ」ではないという感じ、など。
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今ここにたしかにある「それ」が、かつてあった「それ」を隠してしまっているということ。では今ここにある「それ」を破壊すれば見通しがよくなるかといえば、かつてあった「それ」は私の記憶の「それ」を通じてしか見ることができず、ゆえに記憶の「それ」はかつての「それ」をつねに隠している。
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この到達不可能さが生じている部分が、郷愁の現場ということだろう。
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なんとなく郷愁と幽霊は反転した関係のような気がする。幽霊は鏡の中の郷愁、なのか? はたして。
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つまり幽霊というのは、過去に存在した人がその人の現在(記憶を含む)の死角におさまらずに露出してきている状態であり、その露出には「鏡」が一役買うのかもしれない。
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どれだけ昔そのものに近づいたように見えてもけっして届かない、というところに郷愁が発生するのだけど、何かの間違いで届いてしまうと途端に郷愁は消えて不気味なもの=幽霊になるということか。
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