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止まった時代の中途半端人間~いいわけを捨てて、見えてきたもの~

カラ、カラ、カラララララララ..

勢いよく回りだしたルーレットが、やわらかいプラスチックの針にハイタッチして、小気味よい音を立てる。

数字は1から10まで。カラフルなすごろく盤の上。スタート地点から、ルーレットが指す数字の分だけ、ゴールに向かって自分の車を動かせる。言わずと知れた超有名玩具、人生ゲームのルールだ。

兄と妹、それから年の近いいとこたち(みんな同じマンションに住んでいる)とともに育った私は、再ブームに沸いた同世代の子供たちと同様に、何度となくこの遊びに興じた。

ゲームの中で私たちは、職業を選び、家を買い、結婚し、子どもを持ち、時にスカラベなどの高級みやげを売りつけられる。

大人になったらこんなことができるのか。

病院長となり大きな一軒家に住んでご満悦だったとき、約束手形で首が回らず開拓地に進み、悔しさのあまりボードをひっくり返して逃げたとき。納得できたりできなかったり、色んな人生があったけれど、いつでもそのゲームは私に希望を与えてくれた。

これから自分が進むマスには何が書かれていて、どんな人間になっていくんだろう。未来の自分への期待で、わくわくが止まらなかった。

自己紹介

はじめまして、コエテコエの永見です。
現在23歳、大学5年生。
かつての同級生たちはとっくに四大を卒業し、社会人2年目です。

さらに、コロナで延期になってしまった英国留学が実現したため、卒業時は6年生となることが確定しました。6年間って、小学校やないかい。

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あの頃、人生ゲームを通して順風満帆な人生を想像していた私は、この状況を見て何と言うのだろう。時々、思いを馳せることがあります。

サッカー選手、画家、小説家、裁判官、会社員、看護師―。子どもの頃、「25歳の自分へ」の手紙の中で問いかけてきた何者にもならなそうな、今。あまりにも理想とかけ離れていて、きっとあの子は泣いてしまうでしょう。


仲間たちから4ヶ月ほど遅れて、やっと重い腰をあげて書き始めた自己紹介note。
簡単に、私のどうしようもない半生を振り返ることにします。

生まれながらの尻切れトンボ

「『中途半端』がいいんじゃない?」

小学校6年生。卒業前に出された、「自分の指針となるような言葉を習字で書きなさい」という課題を前にした私に、母は言い放ちました。

わずか12歳の子になんてことを言うのだろう。怒って反論したのを、よく覚えています。

もちろん、その年で何かに興味を定め、それ一筋に生きることを決めている子は多くはないでしょう。だから母が意図していたのは、もっと単純なことです。

食べかけのお菓子をそのままにする、宿題の途中で遊び始める、前日から万全にしておいたプールの用意を忘れて登校する。中途半端で、だらしがない。

基本的に落ち着きがなく、そんなことだから、成績表に並ぶ言葉は「忘れ物が多い」「集中力がない」。改めて思い返せば、親ならあれくらいの皮肉を言いたくなって当然だと納得します。

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結局、課題はどんな言葉にしたのかさっぱり覚えていないけれど、母のあの言葉の方は、今でも耳に残っています。

だって、二十年余り生きてきた結果、この「中途半端」という言葉が私の人生を表すのにどれだけ適した言葉なのかが痛いほど分かるから。

給食後、5時間目体育の持久走で、トラック2周目くらいから襲ってくる脇腹の鈍痛のように。その痛みは、走り続ける限りまとわりついて、離れません。

ほとんどの習い事は低学年までで辞めてしまい、学習塾は3年で3回辞め、中高時代は一年ごとに入部と退部を繰り返し、勉強は高校で諦め、せっかく入った第一志望の国立大学は2ヶ月で辞めてしまった。

入り直した大学では、1年生の頃から「留学に行く」と宣言していたにもかかわらず中々行動に移さず、断念するのかと思えば、卒業を延ばして実現にこぎつける。お察しの通り、サークルもいくつか首を突っ込んでは辞めました。バイト先は5年で通算8個です。


始めたのはいいものの、なかなか続かない。何でも途中で投げ出してしまう。そんな自分が大嫌いで、でも、治し方がわからなくて。

ゴールのないマラソンコースを、延々と迷走し続けました。


「え、どうして辞めちゃったの?」「今は何をしてるの?」「将来はなにになるの?」

人生を通して耳にたこができるほど聞かれてきた言葉が、最近、タブーかもしれないと配慮され、しだいに人々の口から蒸発しつつあります。

まあ、聞かれたとて、相手の納得できる答えは用意できないことを私も知っているのだけれど。
そしてきっとその言葉はきっとこうやってはじまるのです。

「いや、だって…」

止まった時代のいいわけ魔神

何もかも中途半端にしてしまうこと、注意力散漫である(スマホと財布は必ず年に2,3回なくす)ことに加え、いやおそらくそれ以上に、私が大得意なことがあります。

それは、「いいわけ」です。

テレビで同年代の天才キッズが紹介されているとき、ライバルが定期テストで良い点を取ったとき、授業でたまたま一緒になった子が英語ぺらぺらだったとき。

しょうがないよ、私はまだやりたいことを見つけてないんだもん…。だって、忙しかったから…。留学してたんだから、そんなの当たり前だよね…。

優秀な人と出会うたび、その悔しさを飲み込むため、私はゲップをするように自分の内からいいわけを生み出しました。
その人たちが積み上げてきた努力には目を向けようともせず、ただひたすらに、偉そうに批評し続けました。

そしてそんな「いいわけ」は、自分がやってきたことや、やりたいことに対しても働きます。

どうせやっても無理だから、やめちゃおう。才能がないから諦めよう。今更やるには遅すぎるって。来世で挑戦すればいいや。

自分の前に壁が立ちはだかったら、どうやって乗り越えようか考えるのではなく、真っ先に、越えなくていい理由を探す。それが、私が一生をかけてやってきたことでした。

私の中途半端な人生。諦め、逃げ続けてきた毎日は、私の特性だけでなく、このいいわけ大魔神たる根性によって構築されてきたのです。


しかし、ついこの間、そんな私を大きく変えるヤツに出会いました。

新型コロナウィルスです。

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未知の病原体による感染症を封じ込めるため、私たちの世界は動きを止めました。旅行なんてもってのほかで、日常の買い物すらも控えるように。

大型商業施設、劇場や映画館が閉鎖。私も大学が休校になり、やっとこさ内定にこぎつけた海外留学も保留となりました。

そんななか、ニュースでよく見かけるようになったのは、緊急事態宣言に伴う公演や大会の中止によって活躍の場を失ったアーティスト、スポーツ選手、学生たち。

悔しさに顔をゆがめ、時に涙を流す彼らを見て、私は初めて、彼らがいかに努力して生きてきたのかを知ったのです。


私には、何かが実現しなかったとき、泣くほど悔しかった記憶なんてない。それほどまでに準備を重ね、努力を積み上げてきたことなど皆無だ。

留学の中止も、周囲からたくさんのお悔やみの言葉をもらった割に、自分にはつらいという感情が一切なかった。


自分が適わないと目を背けてきた人たちは、皆たゆまぬ努力を続けていたのだということ。そして、その人たちの苦労の結晶が、いとも簡単に打ち砕かれたということ。

この2つの事実は、私の生半可な人生を顧みさせるのに充分でした。

なんて恥ずかしいことをしつづけていたんだろう。もう、いいわけは止めよう。

それが、私のコロナ下の決意となりました。

新たなゲームのはじまり

中途半端だらけで大成する見込みのない、私の人生。

何も極めることができないと嘆いていたけれど、あるとき、面白いことをいう人がいました。

「つまり、何度でも新しいことをはじめられるエネルギーがあるってことだね」

何かをはじめることも辞めることも体力がいる。短期間でそれを繰り返す気にはとてもなれない。その人に言わせれば、中途半端であることよりも、飽きもせずトライし続ける姿勢の方が注目に値する、と。

いや、でも…

また何かを言いかけようとして、私はハッと口をつぐみました。
喉の奥で噛み殺したゲップをゴクリと飲みこむと、その人の話にも一理あると思えるようになりました。

好奇心と行動力。それはたしかに、何でも中途半端なこの人生の中で、一度も絶やすことがなかった小さな2つの灯火でした。

ひょっとしたら、何もかも中途半端にしてしまう才能ではなく、妥協せずに何かを探し求める執念深さを生まれ持ったのかもしれない。

そう思い込んでみると、なんだか、急に未来が明るくなった気がして、コロナによって生まれた空白の期間、新しいことを次々と始めてみました。

目まぐるしい毎日になったけれど、多くの人との出会いがあったり、自分に努力ができると知ったり、とても有意義な時間を過ごすことができました。

だって、あの時はコロナだったから…。この先、そんなふうに理由を付けて今を振り返ることはない、と言い切れるくらい。

いいわけを止めたとたん、いくつものカラフルなすごろくの道が、足下から放射線上に延びていくのを見た気がします。

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現実の人生のコマを進めるのは、ルーレットを回すほど簡単じゃない。
スタートからゴールまで、ルートが一本で繋がっているとは限らない。
他のプレイヤーに泣きついて、仕切り直しで2回戦を始めるわけにもいかない。

だから、少しずつ努力を積み上げて、めげずに道を探し、投げ出したくなるのをぐっとこらえたら。

きっと、あのときのちびっ子がわくわくするような未来が、切り拓けるんじゃないかと思う。

コエテコエが、その大きな盤の上で、最も素敵な1マスになりますように。

私は、せっかく出会えた愉快な仲間と共に、いろいろなことに挑戦していきます。

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