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摘出生検〜乳がん(かも)備忘録⑥

いわく付きのしこりを取る日がきた。
4/25(月)朝9時受付、9時30分オペ開始。

大腿骨転子部骨折の手術をした時は全身麻酔で何もわからないまま終わってしまったが、今回は局所麻酔で意識がある状態で行われてしまう恐怖体験だ。

…とはいえ、手術室にはジャズが流れていたし、助手の方は女性で、他の2人も若い女性がテキパキ動きながらも優しいトークは欠かさないので安心する。
右腕に点滴を入れながら、血圧を測る。血圧は手術中ずっと測定。数分おきに右腕がキューっと締められては緩むを繰り返す。
左手で酸素濃度測定、右太腿に何かを貼って測定していたのは何だったのか忘れてしまった。
これらを準備して女優ライトが頭上にかざされる。ドラマでよく見るアレは「無影灯」と言うのですね。 
もちろん、オペする様子は見えないようにスタンドが置かれミニカーテンが首のところに敷かれる。私は見たかったのだが。先生と顔が近くなるので凝視されたらやりにくいのだろうと思った。

Vクリニックの紳士先生登場。上半身に手術用ドレープがあてがわれ、左乳房にマーキング、麻酔など4本ほど打たれてジャズがボサノバに切り替わったところで開始となった模様。
スタッフがズラリと並んで「これより…」とか「メス!」なんてもちろん言わない。

先生はいつもの緊張を和らげる為のトークを始める。
「こえりださん、昨日は何を食べましたか?」
「好きな食べ物は何ですか?」
などと、昭和スタイルの手術しか想像できない自分には意表をつかれて笑ってしまうので、先生のリラックス作戦は成功している。
「豚しゃぶです」「漬物です」など話してるうちに、ジリジリっと音が聞こえてきたので電気メスで切り出したのだろうか。いつ切るんだいつ切るんだと身構えてしまっている緊張の糸がいつの間にかほどけている。凄い。
トークは「タイ料理」に移り、「東南アジア」「海外旅行」「南の島」に進んでいったので、「サイパンで大腿骨骨折10日間入院の旅」の話を投入してあげてオペ室がドカンとなった。
オペも佳境に入ったあたりで、切除に差し掛かって摘出していると思われる圧力がかかってきた。痛みではなく圧だった。
その頃にはもうすっかりリラックスしていたので、また天井を見ながら白目むいたりパチっと開いたりとふざけていたが、今日写真を持ってきたおばあちゃんや、昨夜電話をくれた義母、付き添ってくれて駐車場で仕事の受注する夫に脳裏で声をかけた。
「心配かけてごめんね、もう終わるよ、きっと大丈夫」
母には全てが終わってから話す予定だった。現在調子が悪くてあちこち検査していて入院予定だ。心配の種を増やしたくない。
パチっとハサミの音が聞こえてきたので縫合だ。もうすぐ終わる。パチパチっと何度も音がする。
処置したあと上から何度も押される。

「終わりましたよ」
10時45分、約1時間の手術だった。直ぐに身体は起こされて包帯をぎっちぎちに巻かれたので患部は見えない。
お疲れ様、私。
直ぐに着替えて術後処置室にて、血圧、体温、酸素濃度など測っているときに摘出したブツを見せてもらった。
しこりはまわりも一緒にとったので、柿の種みたいなの見せられるかと思いきや「豚の角煮」の様だった。がんかもしれない事を考えると「がんもどき」でもある。
写メっても良い雰囲気だったが携帯は夫に預けてきたので断念した。画像あっても見せる場所がない。ここに貼る勇気はない(嫌われる)

術後は胸に風穴を開けられたような…とでも言えば宜しいか。確実にえぐりとられていたので(角煮を)痛みがない訳でもないが、午後は立て込んだ受注の梱包をこなした。
麻酔が切れたのもわからないぐらい痛み止めも効いて特につらくもなく苦しくもなく、でも大事をとって早く寝ることとした。

結果は5週間後と言われていたが、翌日の傷チェックで「検体は小さいので結果は2~3週間もすれば出るでしょう」と先生。「もう心配ないですからね」。え?嘘でしょ、結果が出るまでわからない筈だけど先生の中では完全にシロとなっているようだ。そうであってほしい。


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