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チェッカーズにまみれていたあの頃

Twitterのフォロワーさん(ストロベリームーンさん)が彼らについてnoteを書いておられました。返信しようにもTwitterのリプ欄に書ききれない想いが、十代の頃にあの時代を生きてきた者としてたくさんあるわ…と改めて感じ、私も感想の意を込めてnoteしてみました。
趣味嗜好や興味対象があれこれと移ろいゆく性格なので、彼等7人と過ごした日々もまた数年と言う日々ではありましたが、間違いなく「十代」「思春期」と言う多感な時期を共に過ごしたので、一度は記しておかなければならないと思いました。
彼等に対する熱い想いと言うよりはどう接していたか、と言う「供述調書」だと思って読んで頂ければ幸いです。

人気者の彼を遠巻きに見てた

小学6年生の終わりの頃に、彼らの存在を初めて知りました。クラスのグループの友達が「フミヤが好き!」と騒いでおりました。自分は「へー」と言う感じ。
中学生になると、まわりは全て熱病にうなされたような女子ばかり。男子の前髪は少しずつ長くなり、校則とのハザマで切られたり伸ばしたり。「Long Road」をオルガンで弾けるとヒーローだったり、吹奏楽部の先輩が後輩にSAXの座を渡さない話が問題になったり、映画を見た、ベストテンに出た、「うちに子にかぎって」で流れてたあの曲はなんだ、と、仲良しの友人はフミヤが大好きだったので、その影響で彼等の話から逃れられる訳もなく。そんな毎日。

私はと言うと、なぜにそんなに情熱を傾けられるのか不思議でならなかった。
それは後になって気づいたのですが(しかも本当に最近)、大衆が良いと思うものに対して、理由や根拠を自分なりに砕いて理解するまでにとても時間がかかるのです。そんな理解すら芽生えてないので「なんとなく」な距離感で彼等を知って付き合っているという感じでした。
「私はフミヤ」「私はナオユキ」と言うカテゴリも、当時どうやって分けて何て言っていたのか覚えておらず、後になってから「顔はトオル」と言っていたような気がします。

この頃のフミヤって、「クラスの女子全員が何故だか好きになっちゃう男の子」的な存在で、積極的な女子はアピールが凄かったけど、静かに「好き」って想ってる子もいたり。私は「好きかどうかよくわからないけどモテるのは認めるよ」と言う立ち位置だったかなと思います。天邪鬼ですが存在は意識していました。

騒ぎすぎていた頃

大衆が良いと思うものに対して、理由や根拠を自分なりに砕いて理解するまでにとても時間がかかるわけで、私の「彼等への理解」は中3の終わりに来ました。「I LOVE YOU,SAYONARA」の頃と卒業が重なり、「アベニュー」と言う腕時計のCMがスーツ姿で、それまでの彼等とは違うカッコ良さでこの時にやっと良さがわかったのですね。遅いですね。

高校生になってからと、彼らのオリジナル曲のリリースラッシュが丁度重なって、アイドルっぽかった存在から急に「男性」として意識し始まった感じでしょうか。
アルバム「GO」からがツボってツボって。このアルバムから過去に巻き戻ってアルバムを揃え始まると言うハマり方をしました。
理由や根拠を自分なりに砕いて理解するまでにとても時間がかかると言うこの性分は後にもいくつかブームになっていったアーティストにあてはまります。飛びつくのはいつも旬から過ぎた頃だったりします。映画やドラマもそんな感じです。価値に気づくまで時間がかかります。

高校生活は、友達が「チェッカーズ」を好きだった、のではなく「チェッカーズ」が好きだったから友達になったと言う「彼等が主役」な感じでした。
初めてのライブ体験も高校から始まって、西武球場、日本武道館、できたばかりの東京DOME、当時はビッグエッグと呼んでいたなぁ(遠い目)。スーパーのレジのバイト(名札は藤井)を頑張って、お金貯めてせっせと通い詰め、土日は友人宅に泊まり込み、延々とライブ鑑賞、とんねるずのみなさんのおかげです(録画)を夜通し見ては騒ぐのです。
「アメリカン・ランナウェイ 君よ熱く南へ走れ!」なんて、何度繰り返してみたかわかりません(ラストのキスシーンで悲しみに打ちひしがれても)。

もちろんファンクラブ(CBC)にも入って会報を熟読し、グッズを買い、まみれていました。テレビでの露出も多かったので、欠かさず・見逃さず、追いかけて追いかけて。
この頃は個々のソロ活動もあったので、ナオユキの「Naturaly」やマサハルの「貴女次第」なども聴きこんでいたなぁ。良い曲多かったので、今もたまに聴いたりしてますが、マサハルのアルバムは再取得しようにもなかなか見つからなかったり。高校の友人は当時ナオユキファンで、「君が好きだよ」をいつも聴いては「低音にやられる」とのけぞっていたことを思い出します。

選択教科の美術で絵本の製作があり、私が題材にしたのは「Cry For The Moon」の歌詞から、独自にお話を作って仕上げました。「素直にI'm Sorry」のC/W曲でフミヤのこういった世界観が大好きでした(後のソロ曲「タイムマシーン」なども)。この絵本、まだ手元に残してあったはず。探そう。

社会人になってから

タイミングが良いのか悪いのか、高校卒業と同時に彼等も解散の運びとなり、コアなファン友は地元を離れ、地元企業に就職した私と疎遠になっていったのも自然な流れでした。
働いて自由に使えるサラリーを手にした女(私)は、「解散ロス」などと嘆く暇もなく、次々と移り変わる興味対象に散財し、新しい付き合いや楽しみごとを見つけては「今日が楽しければいい」とこの世の栄華を手にした藤原氏の如く毎日を過ごし、彼らのことをきれいさっぱりと忘れていきました。
十代に夢中になっていたアイドルなんて所詮「熱病」と同じだわ、なんて偉そうに語ったりしてましたが、その病の理由は後になってから気づくのでした。

クロベエの訃報と暴露本

​彼らのことを全くもって思いだすこともない日常を送っていた頃、これだけは衝撃が走りました。絶句でニュースを眺めていたことを覚えています。
「暴露本」の件があって、映し出されたワイドショーの告別式の様子は、メンバーが左右に別れて座っていたのを、何とも言えない気持ちで見つめていました。

クロベエの訃報を知った後、カラオケで「青い目のHigh School Queen」を歌って彼を偲びました。

モクが出版した暴露本を、当時TSUTAYAでバイトしていた私は発売日に手に取って読みました。
当時の感想としては「どこがどうして『暴露』なのか」と甚だ疑問。印税が入って儲けさせてしまうことを悔やんだけれども、今となっては、誰かに騙されて書いてしまったのか、そもそも本当に自分で書いたのか、ゴーストが居たのか定かではないけれど、彼が本当に伝えたかった事があったとしても、あんな内容ではないのでは?と感じました。
同じ故郷から出てきた仲間をあんな風に表現するだろうか。ましてや九州の男が、と今は思います。
後に、運送業を経営と言うニュースを目にして、頑張ってほしいと素直に思いました。それはきっと他のメンバーも同じではないだろうかと思います。

先日、3月ぐらいに録画しておいた「激レア!藤井フミヤ ギザギザハートからTRUE LOVE!」をやっとこさ見れたのですが、色々言われていた「芹澤&売野」さんも出演していて、何かにつけ「不仲説」が取り沙汰されているけれど、そんなものは周りがいつのまにかでっち上げた事であって、メンバー達はさほど気にしてはいないんじゃないか、もしくはメンバー間で折り合いがついているんじゃないかとと思った次第。
それぐらい、彼は飄々としていて男気があるような気がしました。社会現象にして当時の女子たちを狂わせたスターには、やはりそれなりの理由があったようで、この歳になってから腑に落ちた感じでございます。

長々とお付き合いくださりまして、ありがとうございます。このnoteをストロベリームーンさんに捧げたいと思います。

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