歌うこと

歌を含むありとある芸能•芸術は、この世に[偏在する人ならざる存在]たとえば、神様に捧げるものでした。
それは今も変わりません。

特別な存在に伝えるといえば、「祝詞」や「お経」も普段とは違う改まった言葉使いに拍子や節を付けて奉ります。
「舞踏」は優美また闊達な体の躍動を披瀝して神様の享楽を乞います。
修練に修練を重ね神妙の域に達した楽器の「演奏」も起源は神さまへの捧げもの。
『楽』という漢字の成り立ちは、頭上に供物を掲げた人体の象形だとされています。だから「音楽」は神さまに捧げる『音』。字義どおりにとらえると、捧げものを下賜されて神さまとともに娯(たの)しむもの、それが「音楽」ということができるでしょう。
さらに推し量ると、芸術に昇華された彫刻や絵、文字すら[偏在する人ならざる存在]の姿を写しその名を記録することが起源と考えても、大きく間違ってはいないはずです。

歌っているとき、誰も聴いていないはずなのに「祝福されている」と感じる瞬間を経験したことはありませんか?
時間をかけた修練が結実した充足感だけでなく、その歌に出会えた幸運、イメージどおりに表現できた達成感、歌っている時間すべてに感謝したい瞬間、どこからともなく降って来る[賞賛]。
あれは、何なのでしょう?
自分の存在をかけて本気で修練したものにしか訪れない
[祝福]の瞬間としか思えないのです。

(このドラマはフィクションです より)

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