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南京虐殺 1913年

南京事件は何度も起きている。
そして南京大虐殺も繰り返し起きている。

1856年天京大屠殺 これが本当の南京大虐殺。
1913年袁世凱派、張勲軍による虐殺。邦人被害あり。
1927年蒋介石国民党軍による虐殺。南京大略奪。邦人の被害あり。
1937年日本軍のものとされているが、中国兵・中国人による暴虐、略奪、強姦。
1949年中共軍による資本家弾圧と市民1/3虐殺

当時の新聞がどのように報道していたか見てみよう。

1913年(大正2年)09月03日に日本人虐殺の報道

1913年(大正2年)09月03日 朝日新聞

1913年(大正2年)09月04日 日本病院掠奪の報道
中国では、争いがあると一般市民までが掠奪に加わることが多いことには驚く。北軍の手に落ちた南京は大火災おこり、兵士は武装解除せるも惨殺され掠奪にあう商店も多かったようです。

1913年(大正2年)09月04日 朝日新聞

日章旗の権威蹂躙さる との報道
外国にいた邦人が日の丸をつけて中国人ではないというアピールしていたにもかかわらず3名もの日本人が虐殺されています。血気盛んな中国人は何をするかわからないのに今の中国は反日教育しているので抗日運動が盛んになった1937年の通州事件時と似ている状況になっています。
また中国人は約束を守らないことがこの記事でもわかります。
張勲は一切掠奪をやらないといって南京入城したが大略奪大虐殺となった。

1913年(大正2年)09月04日 朝日新聞

1913年(大正2年)09月05日 邦人又虐殺 行方不明数名と報道

1913年(大正2年)09月05日 朝日新聞

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