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事実が歪められて伝えられている群馬の森朝鮮人追悼碑問題 2 〜しばしば軽んじられる実務家たち〜

朝鮮人追悼碑を設置した追悼碑を建てる会の無念

 前回の記事で、私は朝鮮人追悼碑を建立させるために群馬県と調整を続けて許可に結びつけた追悼碑を建てる会に敬意を払う旨発言しましたが、私はどのようなイデオロギーであれ、きちんと調整を繰り返して目的を成し遂げる実務家を評価します。例えば、ヘイトスピーチ規制法の成立のために適切な資料を有田芳生元参議院議員に提出してサポートしたヲ茶会さんや、現在は韓国で「親日派」のレッテルを貼られて弾圧されている日本統治下の朝鮮半島で国家運営のノウハウを吸収して建国間もない頃の韓国の発展に寄与した朝鮮戦争の英雄である白善燁将軍や朝鮮戦争の指揮をとった丁一権参謀総長などを評価します。反面、反差別運動でやいのやいの騒いでいながら、東大阪市など自分の住む地方公共団体の議会で反差別の決議をかちとることすらできない活動家たちを心底軽蔑しています。
 本題に戻りましょう。朝鮮人追悼碑は群馬県との調整という追悼碑を建てる会の多大な労苦の末に建立されたわけですから、その後に追悼碑の管理運営を託された追悼碑を守る会は群馬県の許可の条件に沿った形で先の大戦に関して日本が反省の意を示し、日韓、日朝の友好を進めるための活動をなさなければならなかったはずです。しかしながら追悼碑を守る会はそうはしませんでした。そればかりでなく、日本人が日朝の友好のために必死で群馬県との調整を続けて建立に漕ぎつけた追悼碑の設置許可条件を朝鮮総連の群馬県本部委員長は「朝鮮学校の無償化除外反対」などと述べて無視したのです。しかしながら、追悼碑を守る会が朝鮮総連群馬県本部委員長に抗議したという話は寡聞にして聞きません。つまり、そういうことなのでしょう。そのような経緯を見る追悼碑を建てる会で群馬県との調整に神経をすり減らしたであろう方々の無念の思いは理解することができます。つまり、白善燁将軍や丁一権元参謀総長を「親日派」を弾圧する韓国、ヲ茶会さんを放逐した反差別界隈と同様の実務家を軽んじる構図が朝鮮人追悼碑をめぐる紛争の中にもあるわけです。