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東京都知事選挙でおかしくなった人々 2 ~東村山市を創価学会の町のように述べる立川雲水師匠のクズポスト 1~ @tatekawaunsui

立川雲水師匠のポストを再確認する

 今回の一連の記事については、立川雲水師匠の該当ポストを記事の頭に提示することとしましたので、再確認をお願いします。

東村山市の開票結果を見て、小池百合子がブッちぎりの1位だったのに驚いた。地元の誇りであった志村けん氏が他界した際に、小池が吐いた心ないコメントの事はもう忘れたのか?と思ったのだが……あぁそうか!東村山あたりはあの勢力の強いエリアだったな。そうか!納得。

@tatekawaunsui

東村山市が「創価学会の町」のように扱われるきっかけとなった東村山市議会議席譲渡問題

 平成の東京都東村山市の混乱は、「反創価学会」を標榜する東村山市議会会派「草の根市民クラブ」の議席譲渡から始まりました。「草の根市民クラブ」は、選挙での多数の得票数を誇る朝木明代東村山市議会議員(当時)のみが議席を有するとい状況でしたが、議席拡大を狙って娘の朝木直子さん(現・東村山市議会議員)、「草の根市民クラブ」の思想的なリーダーでもある矢野穂積さん(故人・元東村山市議会議員)が立候補しました。
 結果として、朝木明代さんと朝木直子さんが当選、矢野穂積さんは次点で落選となりました。ただ、その結果を受けて「草の根市民クラブ」は奇策に打って出ることになります。
 当選した朝木直子さんが市外に住所があるとして当選を辞退すると述べ、同じ会派の矢野穂積さんを繰り上げ当選させるために私は市議会議員にならないと発表したのです。この騒動は選挙管理委員会の決定にとどまらず、最高裁判所の判決によって決着がつくことになりました。住所が生活の本拠であるとする民法の教科書に必ず掲載されているといってもよい平成9年8月25日最高裁判所第二小法廷判決です。

主文

原判決を破棄する。
平成七年四月二三日執行の東村山市議会議員選挙の当選の効力に関する審査の申立てに対し被上告人が同年九月四日にした裁決を取り消す。
訴訟の総費用は被上告人の負担とする。
(略)
2 これを本件についてみるに、前記事実関係によれば、Dが従前東村山市に生活の本拠としての住所を有していたことは明らかである(記録によれば、同市を本籍地とし、昭和四二年出生以来同市に居住し、本件選挙当時は、母、弟らと同居していたこともうかがわれる。)ところ、Dは、本件選挙の当選人の告示の後、当選を辞退し、次点者のEを当選人とすることを目的として、急きょ、松戸市への転出の届出をしたものであり、同女が単身転出したとする先は、父の部下一家が居住する社宅であった上、その後、わずかの間に、いずれも松戸市内とはいえ、二度にわたり転居の届出をしているというのである。そうすると、仮に、Dが、現実に平成七年四月二六日以降松戸市aで起居し、同年五月二九日以降は松戸市cのマンションを生活の本拠としているとしても、松戸市aの前記社宅は生活の本拠を定めるまでの一時的な滞在場所にすぎず、せいぜい居所にとどまるものといわざるを得ない。
これによって、従前の全生活の中心であった東村山市から直ちに松戸市に生活の本拠が移転したものとみることはできない。原審は、住所を移転させる強固な目的で転出届をしていることを、住所移転を肯定する理由の一つとして説示するが、前示のとおり、一定の場所が住所に当たるか否かは、客観的な生活の本拠たる実体を具備しているか否かによって決すべきものであるから、主観的に住所を移転させる意思があることのみをもって直ちに住所の設定、喪失を生ずるものではなく、また、住所を移転させる目的で転出届がされ、住民基本台帳上転出の記録がされたとしても、実際に生活の本拠を移転していなかったときは、住所を移転したものと扱うことはできないのである。結局、原審の認定する事実によれば、記録に現れたその他の事情を勘案しても、平成七年四月三〇日までに、Dの生活の本拠が松戸市内に移
転し、Dが東村山市内に有していた住所を失ったとみることは到底できないものというほかはない。

平成9年8月25日最高裁判所第二小法廷判決

 しかしながら、議席譲渡問題はこれまで追及する側としてそれなりの支持を受けていた「草の根市民クラブ」が追及される側となったことで大きな影を残しました。その影響を最も大きく受けたのが朝木明代東村山市議会議員でした。朝木明代東村山市議会議員は、心身のバランスを崩したのか、東村山駅前のブティックで万引きをし、その現場を店主におさえられることになりました。
 その事態に際して矢野穂積さんと朝木明代東村山市議会議員は、びっくりドンキーでレジジャーナルを入手し、時間のあった時刻にブティックではなくびっくりドンキーにいたと主張しました。そして、東村山警察署での事情聴取の日に朝木明代東村山市議会議員は事件当日の出来事をペラペラ供述しました。事情聴取にあたって、東村山警察署ではレジジャーナルの客の状況が朝木明代東村山市議会議員と矢野穂積さんとは違うことを事前に確認した上で、朝木明代東村山市議会議員に自由に供述させることとしていました。ひとしきり朝木明代東村山市議会議員が話した後、取調官はそのレジジャーナルはあなたのものではないと告げ、本当のことを話すように促しました。動揺した朝木明代東村山市議会議員は、供述を無かったことにして欲しいと述べて東村山警察署を後にしました。そして、朝木明代東村山市議会議員が自殺することになるのです。
 この自殺について、「草の根市民クラブ」の所属議員らは、朝木明代東村山市議会議員がたまたま創価学会を批判する質問をしていたことから、創価学会によって殺害されたと主張しましたが、当時の住宅地図で確認すると、朝木明代東村山市議会議員が転落したロックケープビルの周りにその視界を遮る高い建物が当時は存在せず、「草の根市民クラブ」の主張どおりに朝木明代東村山市議会議員が誰かに突き落とされたとするならば、誰かが騒動に気付きますし、わざわざそのような逮捕に繋がりやすい場所で犯行に及ぶのだろうかという大きな疑問が残ります。