見出し画像

「福岡市 教師によるいじめ」でっちあげ事件報道検証 3~福岡高等裁判所での控訴審審理と判決を中心に

後輩となる雑誌記者に対する西岡研介さんの見解と共著者である烏賀陽弘道さんの的外れの応答と

 これまでもたびたび紹介してきた「俺たち訴えられました!SLAPP裁判との闘い」において、西岡研介さんは後輩となる現役の雑誌記者に対してこう述べています。

鳥賀陽 ー ところで西岡さんは、物書きとして二〇年近くやってくる中で、実際にメディアの劣化を感じることはある?
西岡 - そら、感じるわ。まずはじめに僕、雑誌の世界に移って一〇年近くになるけど、残念ながらいまだに「後世畏るべし」って思ったことないもん(笑)。たしかに今『週刊文春』や『週刊新潮』で記者やってる子らとか、若くしてフリーで仕事してる子らとかの中には、優秀やなとか、頑張ってるなとか思うような若手は何人かおるよ。彼らは確かに優秀やし、ホンマに真面目に仕事してるんやけど、何と言うか、こっちが恐ろしくなるような突破力とか、破壊力がないんよね。記事を見て「こんな特ダネよう引っ張ってきよったなぁ」とびっくりしたり、「どうやったらここまでディープな取材ができるんやろ」と、こちらが震え上がったりするようなことはない。僕より若い人が書いた記事で、「こんな子が出てくるような時代になったんや。ああ、これで僕も商売終わりやな・・・」と思ったことは一度もない(笑)。

鳥賀陽弘道・西岡研介著「俺たち訴えられました! SLAPP裁判との闘い」

 そもそも、無実の小学校教師という市井の人物を目線付きの写真、自宅の写真と実名付きで「殺人教師」と誹謗中傷する記事を週刊文春に掲載し、それが民事訴訟で否定されているにもかかわらず、この民事訴訟のねじれた当事者の構図によって言い渡された不可解な判決を唯一の根拠とし、その判決文すら読んでいないとしか思えない主張で自己弁護を図る西岡研介さん自身がメディアの劣化を体現しているとしか思えないのですが、ご自身はその自覚はないようです。また、ご自分は雑誌の世界でどれほどの大家であると自負されているのかはわかりませんが、若手の雑誌記者を「子」などと述べるような意識であるからこそ、根拠もなく他人を誹謗中傷する記事を執筆することができるのではないかとすら私は感じました。
 そして共著者である烏賀陽弘道さんも負けていません。西岡研介さんに対してこのような言葉をかけるのです。

西岡 ー だって、嘘ばかり書いている雑誌もあるもん。
烏賀陽 ー みんな雑誌や週刊誌を一括りにして話すけど、批判の対象となっているのは「中高年男性向け週刊誌」、俗にいう「ザラ紙週刊誌」のことですよね。ザラ紙週刊誌に世論が厳しくなった理由は、はっきりしていると思う。弱い者いじめを何度もやらかしたから。何の権力もない市井の人を、犯人じゃないのに犯人扱いした書き方の記事が何本か出て、お詫びや訂正を出したことを覚えている。例えば、東京・護国寺で幼女が殺された「お受験殺人事件」がそうやった。『週刊文春』が「殺された子供のお母さんが犯人じゃないのか」みたいな記事書いたやろ?結局、『週刊文春』はお詫びと検証記事を掲載した。週刊誌報道が「公人」というか、社会的に力のある者、強い者、権力のある者に刃向かっていくのなら、なんぼでも自由を保障する。けど、権力を持たない弱い者に向かってキバをむいたら、そりゃ世論は怒りますわね。「スクープ」の意味を間違えとる。普通のおっちゃん、おばちゃんを素材にして、「こいつが犯人ちゃうか?」「こいつは借金があってどうのこうの」みたいなことを書いてる。そういうふうに弱い者を犠牲にした記事は、弁解の余地がないと思う。そもそも公人でもない市井の私生活なんぞ「ニュース」の名に値せんやろ。

鳥賀陽弘道・西岡研介著「俺たち訴えられました! SLAPP裁判との闘い

 「弱い者いじめ」を「やらかし」、「何の権力もない市井の人」である小学校教師を「犯人じゃないのに犯人扱い」するレベルに留まらず「殺人教師」などと目線入りの顔写真、自宅の写真とともに実名を週刊文春で公開し、その記事が民事訴訟と懲戒処分取消によって完膚なきまでに否定されたにもかかわらず、「俺たち訴えられました! SLAPP裁判との闘い」で「クズ教師が教え子を虐待したという事実に代わりはない」などと自らの記事に対する責任を回避する史上最悪ともいえるデマ記事を書いた西岡研介さんが目の前にいるにもかかわらず、烏賀陽弘道さんはよくもそういう言葉を述べられるものだと感心します。メディアの劣化は、西岡研介さんだけでなく烏賀陽弘道さんによってもなされているのかもしれません。
 なお、この記事を書くにあたって私は「俺たち訴えられました! SLAPP裁判との闘い」を古本で購入しましたが、不思議な物が挟まっていました。

「謹呈 著者」

 烏賀陽弘道さんから「謹呈」されたのか、西岡研介さんから「謹呈」されたのかわかりませんが、著者が献本するほどの著者との関係性のある人にとっても古本として金銭に替えるほどの読み応えしかない著書でしかないのかもしれないと私は妙に納得してしまいました。

福岡高等裁判所における審理から

 原告である児童と児童の両親は福岡地方裁判所の第一審判決を不服として福岡高等裁判所に控訴しました。原告らが第一審判決を不服とした大きな理由は、小学校教師個人に対する責任が認められなかったことと、PTSDなどの被害のほとんどが認められなかったことにありました。ただ、控訴審が始まってすぐに原告らは小学校教師に対する控訴を取り下げてしまいました。

 控訴審は平成19年1月にスタートしたが、その幕開けは波乱含みだった。原告側はなんと、同年3月5日付けで川上教諭への控訴を取り下げてしまったのである。ということは、控訴審自体が打ち切りとなり、一審判決で確定かといえばそれは違う。あくまでの教諭への控訴のみを取り下げたのである。
 なんともややこしい話だが、今回の訴訟の被告は教諭と福岡市の二者である。つまり原告は、教諭に対してだけ控訴を取り下げ、福岡市に対しては控訴審を続行する構えなのである。
 1審判決が下った時、浅川夫婦は「信じられない」と絶句。原告側代理人の大谷辰雄弁護士も、PTSDが否定され、いじめの内容や回数でも主張の多くが認められなかったことに不満を露わにし、「原告の『でっちあげ』と認定された判決」(控訴理由書にこうある)にはとうてい承服しがたいと、引き続き控訴審で争う意向を示していたのである。
 ところが、いざ控訴審が始まってみると、原告側はあっさりと教諭への控訴を取り下げてしまった。私はその真意を問おうと大谷に電話を入れたが、「あんた何様だ。あんたに話すことはない」と即座に電話を切られてしまった。
 代わって、教諭の代理人である上村雅彦弁護士が説明してくれた。
「原告側は表向き、被害者である児童本人が、教諭が本訴訟に関与しないなら当審において証言したいと決意したからだと理由を説明しています。しかし実の狙いは、1審判決で認定された軽微な体罰やいじめに対する220万円の慰謝料請求だけは維持したい、2審判決でこれも取り消されては困ると考えて、教諭への控訴を取り下げたのでしょう」
 要するに、この2審で1審判決以上の有利な判決勝ち取れない場合を想定してのことだというのである。

福田ますみ著「でっちあげ」

 そして、小学校教師は、福岡市の補助参加人として民事訴訟に参加することになりました。

 仕方なく、南谷、上村両弁護士は教諭を、「福岡市の補助参加人」とするよう裁判所に申請して認められた。この法廷での新たな身分によって、教諭はかろうじて今後も裁判に関与できることになった。

福田ますみ著「でっちあげ」

 ただ、民事訴訟に被告として参加するのと他の被告の補助参加人として参加するのとではその主張に対する裁判所の評価が異なるのは当然のことです。控訴審の判決においては、福岡市の補助参加人として参加した小学校教師の主張につちえは次のように判断しています。

サ 当審控訴人補助参加人の主張について

 Bは、本件いじめ行為のうち被控訴人が自白している事実についてもその存在を争っているが、Bは、当審においては被告ではなく被控訴人の補助参加人なので、被控訴人が自白している事実を争うことはできない(民訴法45条2項)。

 Bは、被控訴人の自白が錯誤により無効と主張するが、民訴法45条2項、46条2号の法理に照らすと、補助参加人は、被参加人が自白した事実について錯誤無効を主張して争うことはできないと解すべきであるから、Bの主張はそれ自体失当である(このように解しても、被控訴人が自白したためBにおいて争うことができなかった事実については、その事実の存在について参加的効力は生ぜず、Bは被控訴人との別件訴訟においてその存在を争うことができるから〔民訴法46条2号〕、Bにとって不利益は生じない。)。

損害賠償請求控訴、同附帯控訴事件 福岡高等裁判所平成18年(ネ)第720号、平成18年(ネ)第1010号判決

 民事訴訟上、原告らの被告小学校教師に対する請求は棄却されており、原告兼控訴人兼被控訴人である児童、児童の両親と被告兼控訴人兼被控訴人である福岡市の審理によってどのような判決が言い渡されようと小学校教師に対する不利益はないと考えるのが裁判所の判断です。例えば、判決文の事実部分に小学校教師が児童に対して虐待やヘイトスピーチを行い、児童の人格を否定するような言動をなしたと記載されていたとしても、児童や児童の両親から小学校教師に対する請求が棄却されている以上、訴外の小学校教師には何の不利益もないということになるわけです。

改めて感じる西岡研介さんのデタラメぶり

 「俺たち訴えられました!SLAPP裁判との闘い」において、西岡研介さんはこう述べています。

烏賀陽 - もし書くんであれば、訴えられても勝つように調べて書く。そういうことかな?
西岡 ー いや、「訴えられても勝つように書く」という後ろ向きな姿勢やなくて、そういう姿勢では絶対にオモロイ記事は出てこないもん。やっぱり週刊誌の報道は、新聞やテレビと違うて、「名誉毀損ギリギリのところで勝負する」というところに魅力があると思うねん。だから、自分たちで取材・執筆した記事は、「どっから訴えられても勝てる」というだけの取材力をつけることに尽きると思う。そうしたら「週刊誌はデタラメ書いてる」という誹謗中傷にも反論できるわけやし、これ以上、読者にソッポ向かれることもないと思うんやけどね。逆に、今までどおり「詐欺師の持ってくるガセネタでも売れればええんや!載せてまえ!!」というような誌面を作り続けてたら、名誉毀損訴訟では負け続けるし、部数も落とし続けると思うんやけど。

烏賀陽弘道・西岡研介著「俺たち訴えられました! SLAPP裁判との闘い」

 しかしながら、この事件を最初に報道したのは朝日新聞西部本社ですし、西岡研介さんの記事は速報性にも欠け、それを補うかのようにまともに取材もせずにセンセーショナルにデマばかり書いていたわけですから、まさに「読者にソッポ向かれ」る記事で、民事訴訟を提起されれば「名誉毀損訴訟で負け続ける」ものなのではないでしょうか。しかも、西岡研介さんがデマ記事の標的とした小学校教師は権力とは縁のない市井の人ですし、多くの部数を発行する週刊文春で小学校教師の実名、目線入りの顔写真、自宅の写真を掲載して「殺人教師」と誹謗中傷することは、取材対象がノイローゼとなって自ら命を絶つかもしれないほどの内容であることは明らかです。
 このような記事の検証もろくにやらず、自尊心を肥大させて週刊誌の将来を語る西岡研介さんには自ら筆を折る以外の選択肢はなく、週刊文春は責任をとって廃刊するほかないと私は考えるのですが、西岡研介さんはろくに検証もしていない福岡地方裁判所の判決のみをもって小学校教師が「虐待」していたとさらに追い打ちで誹謗中傷しているわけです。そして、烏賀陽弘道さんも西岡研介さんのこのような仕事をろくに調べずに対談しているわけですから責任がないとは言えないでしょう。